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姫神幻想伝奇  作者: セリ
38/53

8  奇跡の大地  ⑥

「守礼に大事な話があるの。後をお願いします」

「あたしも失礼するよ。爺ちゃんが心配だ。灰悠、何かあったらすぐに呼んでよ」


 神殿奥にある小部屋。意識を失った鈴姫が横たわり、枕元に灰悠が座っている。部屋を出て行くキクリの背中を見ながら、加奈はがっかりした。キクリと灰悠を2人っきりにしようと思ったのに――――。キクリの後から通路に出て、小声で尋ねた。


「灰悠に聞きたいことがあるんじゃなかった?」

「ああ……もういいんだ。聞かなくてもわかる。あの様子じゃあね」


 キクリの視線が宙を彷徨い、加奈に留まって笑みを作る。


「そっちこそ、守礼に大事な話って何?」

「李姫さんと族長について。あなたも知らされてたんでしょう?」

「それは……うん。守礼と話しな。あたしも詳しいことは知らないし。シキムラ国から来た加奈には分かりにくいかもしれないけど、姫神を悪く言うのはシギ族の信義に反するんだよ」


 シギは道徳的に厳しい国なのかな、と加奈は思う。緑青と黄櫨の話にも、そんな雰囲気があった。反面、蓮婆の言葉が真実なら不義や陰謀めいたことが横行している。緑青の様子から考えて、人々の大半は上層部の暗部について知らされていないのだろう。知っている者は、キクリのように口を閉ざしている。


 それでいいのかなと、隣を歩くキクリを見やった。表情がこわばり哀しそうに見え、話しかけづらい。灰悠の鈴姫への想いを、キクリは長年見て来たはずだ。どんな気持ちで見ていたんだろう。


 部屋に残らなかったのは、灰悠に辛そうな顔を見せたくなかったからかも知れないと、ふと思った。そうやって何年も、皆の前で平気そうに振る舞って来たんだろうか。本当は平気じゃないのに……。


「俺は、光の世界へ行きたいんだ!」


 いきなり怒鳴り声が聞こえ、加奈は飛び上がった。


「わしもだ。どうすればいい、タルモイ? もう一度光を呼べるか? 呼べるなら、わしを光の世界へ送り届けてくれ」

「シギを見捨てる気なの? 焔氏が死に、国を立て直さなきゃならない大事な時なのに。あたし達以外の誰が国を造り直すって言うのよ」

「獣がまだ残っているんだぞ。蛇眼もどこかにいるだろう。シギに未来なんかあるものか」


「非情でなければ光になれないというなら、俺は非情になる。シギも家族も仲間も、もうどうでもいい。一人で逃げると思われてもいい。至福の世界で暮らしたい」

「どうでもいいとは、どういう了見だ。おまえ、いつからそんな薄情者になった」

「みんな、落ち着け」


 タルモイの穏やかな声が場を静まらせ、加奈はキクリと顔を見合わせた。龍宮の住人たちが集まり、話し合っている。火刑にされ辛い思いをして来た人たちは、どれほど救われたいと願っていることだろう。加奈の胸が詰まった。


「ごめん、加奈。あたし、この話し合いに加わらないと。爺ちゃん一人じゃ心配だ。女たちは厨房にいるらしいから、そこで守礼の居場所を聞いてみるといいよ。厨房の場所はわかる?」

「うん、大丈夫。ありがとう」


 部屋に入って行くキクリを見送り、加奈は一人で通路を歩き出した。前方に睡蓮の姿を見つけ、小走りに駆け出す。


 老亥を含むタリム兵とアシブの男たちは外の見回りに出かけ、残った女たちを睡蓮がまとめている。装飾品をすべてはずした質素な装いで、睡蓮はどこかに行こうとしているのだろうか、急ぎ足で歩いていた。


「守礼を見かけませんでした?」

「裏庭で見ましたよ」

「ありがとう、行ってみます。あの、睡蓮さん。頑張ってください。こんな言い方しかできなくて、ごめんなさい」


 蓮婆が去ってしまい、後を任された睡蓮に重圧が掛かっている。負けないでと伝えたいけれど、いい言葉が見つからない。加奈の困った顔を見て、睡蓮はふっと微笑んだ。


「忙しいのは今だけよ。近いうちに住民たちが、新しいアシブの首長を選ぶことになると思うの。それまでは首長代理を務めるつもりだけど、終わったらのんびりさせて頂くわ」


 顔の半分を長い前髪で隠した姿は相変わらず異様だが、微笑を浮かべた顔は美しい。気難しそうに見えたけれど、本当はそうでもないのかもと加奈はほっとした。


 睡蓮に教えられた通路を進み裏庭に出ると、守礼はすぐに見つかった。木にもたれ一人座る彼の前には、地面に貼り付くように残された龍の体がある。


「ここは危険ですよ、加奈さん。焔氏の獣は、まだ滅びていません」

「焔氏の獣……龍が?」

「多くの獣が加わり、このような姿に変化したのでしょう」


 加奈は、ぴくりとも動かない龍を見やった。焔氏の獣よりさらに巨大だけれど、言われてみればわにに似ている。そう言えば熊は焔氏の獣の体を掘ることに熱心だったと、鰐のうろこを爪で切り裂く熊の姿を思い浮かべた。


「あなたと灰悠さんは、焔氏の獣の中に鈴姫さんがいることを知っていたの?」

「灰悠は、気付いていたようですね。私は確信がありませんでしたが……ただ、シギがこの地に移された後、初めて焔氏に会った時、彼は鈴姫の最期の言葉を口にしたのです。彼の中に、正確には彼に棲む獣の中に、鈴姫がいるのではないかと思いました」 

「最期の言葉って?」


 加奈の問いかけに、守礼は力なく首を振る。


「それについて私も鈴姫に尋ねたい。そう思い、焔氏に忠誠を誓ったのです。鈴姫を守り、話をする機会を得るには、焔氏のそばにいる必要があると考えて」

「それでわたしに獣を守っていると言ったんですね」


 鈴姫の最期の言葉って何だろう。守礼はなぜ、獣杯から獣を放ったのは自分だと嘘をついたんだろう。獣を放ったのは誰? 『白椿の姫神』は何を意味するの? 尋ねたいことはたくさんあるけれど、蓮婆との約束を果たすのが先だと、彼女は守礼の隣に腰をおろした。

 

「実は、蓮婆さんに頼まれた事があって……」


 梢から月光が落ち、加奈を見つめる守礼の端整な顔を照らしている。彼は加奈の話を言葉を挟まずに聞き、彼女が話し終わると静かに口を開いた。


「蓮婆どのを恨んではいませんが、謝罪は喜んで受け入れましょう」


 恨んでも不思議じゃないのに――――。驚きの目で、守礼の変わらない横顔を見上げる。母親を蓮婆に殺されたのに。蓮婆に殺意を抱かせるようなことを李姫がしたとも言えるけれど、それでも……。守礼が邪悪な赤ん坊だから神殿で育てることに反対したと、蓮婆は言っていた。そのことだって守礼は知っているだろう。 


 彼は不思議な人だと、つくづく思った。人当たりはいいけれど、何を考えているのかよく分からない。振る舞いは社交的だけれど、孤独を好むように思える。怒ることも、乱暴な言葉使いもしない。


「あなたは怒ったことがないの?」

「もちろん、ありますよ」


 守礼は、柔和に笑った。


「怒ってもどうにもならないことは、怒らないようにしています。その労力を他に向けた方がいいですから」

「両親に対しても怒ってないの? 実の子供のあなたを、捨て子だなんて……」

「李姫さまに育てて貰えたのですから、文句は言えないでしょう」

「李姫さま……?」


 お母さんを「さま」付けするの、と加奈は目をぱちくりさせた。守礼は苦笑して木にもたれかかり、遠くに目を馳せる。


「母親が誰かということは、うすうす気づいていましたよ。何となくわかるものです、たとえ子供でも。誰も口にはしなかったし、私自身口にすることを禁じられていましたが。族長が私を息子と認め母親が誰かを教えてくれた時、母はすでに他界していました。習慣はなかなか抜けないもので、今でも李姫さまと呼んでしまうのですよ」


 母子としての会話は無かったということ……? 加奈は、痛ましい思いで守礼を見つめた。


「お母様が亡くなられた後、お父様はあなたを実の息子と認めたんですね? 急にどうして?」

「灰悠が、そうするよう責め立てたからです」

「灰悠さんがあなたの両親について、なぜ知ってるの?」


 加奈が瞠目して尋ねると、守礼は視線を落とし睫毛を伏せた。


「……灰悠が鈴姫との婚姻を望んだから。族長は真実を話し、彼を思いとどまらせるしかなくなったのです。鈴姫の父親は恵朴えぼくさまではなく自分で、灰悠と鈴姫は異母兄妹だから婚姻は認められないと。恵朴さまは李姫さまの遠縁に当たり、私が神殿に引き取られてすぐ李姫さまの婿となった方です。灰悠は、鈴姫をあきらめざるを得なくなった。族長の望む政略結婚に応じる代わりに、族長の息子としての地位を私に与えるよう要求し、族長は私と2人きりで会うことを実行された」


「2人きりで……? 族長は、あなたが自分の息子だと公表しなかったんですか?」


 守礼が、静かにうなずく。


 守礼と鈴姫は同父同母の兄妹で、2人と灰悠は異母兄妹――――。そんな大事なことを知らずに育ち、灰悠が鈴姫を好きになって結婚を望んだ時にやっと教えて貰えて、守礼は族長と姫神の息子で王様と女王様の間に生まれた王子様みたいなものなのに、李姫の恩情で拾われた孤児扱いされて、3人ともひどい目に合ってる。守礼の冷静な様子が不可解で、加奈は首をかしげた。 


「そんな事をすれば内政にも外交にも響きますから。ナムタルが猛威を振るった後、タリム族が周辺国に攻め入り始めた時期で、民に不信感を抱かせるような事態を避けたかったのでしょう」


「あなたは、それでいいんですか? 族長と姫神さまの子供なのに捨て子だなんてひどい事を言われて、邪悪とかも言われて、血筋を公にして貰えなくて、大人になるまで何も教えて貰えなくて、腹が立ちませんか?」


 加奈が一気に言い切ると、守礼はくすりと笑った。


「私の代わりにあなたが怒ってくれたから、気が晴れましたよ。ありがとう、加奈さん。あなたに当時の様子を説明するのは難しいけれど、簡単に言ってしまえば自分のことが考えられないほど切迫した状況だったのです。自分のことは、後回し。そうしなければ、国が亡びるという危機感がありました」


「灰悠さんも……鈴姫が妹だと知らされた灰悠も、そう思っていたんですか?」


 守礼の顔から笑みが消え、哀しい表情に変わる。


「灰悠は、シギを守るために何でもする覚悟でいました。でも心は鈴姫のもとにあった。それは、あなたにも分かるはずです」

「そう……ですよね」


 心がどこにあろうと、どうにもならない事がある。迫り来る戦火を前に守礼たちがどんな思いだったか、加奈には想像することしかできなかった。

 恋愛や親子関係を第一に考えることは、難しかっただろう。平和な時代に生まれた自分の価値観を、戦乱の時代に生きた守礼たちに当てはめることは出来ない。両親に守られて暮らし、間違っていることを間違っていると堂々と言えるわたしは、恵まれているのかも知れない。


「言い過ぎました。ごめんなさい」

「謝ることはありませんよ。いい人だなあ。あなたの素直な感情が羨ましい。本当は、そうあるべきなのでしょうね」


「わたしこそあなたを見習って、よく考えて喋るべきだと思います。さっきの話のつづきをしてもいいですか? 恵朴さんという方は、ご存知だったんでしょうか。族長と李姫さんがずっと、あの、不義を続けていたと蓮婆さんは言っていたんですけど……」

  

 沈黙が落ち、加奈は困って守礼を見上げた。彼と目が合い、彼もまた困っている様子なのが分かる。


「不義が続けられていたのかどうか、私には分かりません。恵朴さまは李姫さまの遠縁ではあるものの、貧しい家の生まれです。両親や兄妹と山奥の小さな村で暮らしておられましたが、李姫さまとの婚姻の後、皆がキシルラで職を得ました。シギでは地域ごとにその地の収穫物を分配するしくみになっているので、山奥の小さな村とキシルラでは一人当たりの分配量が違います。つまり……婚姻の後、恵朴さまの家族全員が裕福になったとも言えるでしょうね」


 守礼が説明に困った訳が、加奈にも理解できた。不義だなんて――――両親を悪く言われ、守礼がいい思いをするわけがない。


 鈴姫の父親は族長なのだから、恵朴との結婚後も李姫と族長の関係は続いていたことになる。恵朴は2人の関係に目をつぶり、もしかすると加担する代わりに富を得た――――? 加奈は、小さな溜め息を洩らした。


「鈴姫さんは……知っていたんでしょうか。今話したすべてのことを」


「おそらく知らなかったと思いますが、本当のところは分かりません。私と灰悠は、私たちが知った真実を鈴姫にどう伝えるべきか何度も話し合いました。鈴姫は灰悠の妻になる決心をしていましたから……。ですがタリム族に攻め込まれ、鈴姫に何も話せないまま終わってしまった」


 守礼の美しい顔が、苦しそうに歪む。自分のことなら平静なのに、灰悠と鈴姫のことになると平静ではいられなくなる守礼の様子に、加奈の胸が熱くなった。


 この人は、見かけ通りの人じゃない。怒りも悲しみも冷静な顔の奥に閉じ込めてしまっているけれど、人間らしい感情を持っている。狼から感じた温もりを彼から感じ取り、加奈がほっと安堵の息をついた時、頭の上からキクリの声が聞こえた。キクリが、神殿最上階の縁に立っている。


「加奈~、守礼~、広場に来てくれ。話し合いがあるんだ~」

「すぐに行きまーす」


 返事をしたものの、加奈は戸惑った。何の話し合いだろう。まだ守礼に聞きたい事があるのにと、躊躇した。




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