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姫神幻想伝奇  作者: セリ
34/53

8  奇跡の大地  ②

 

 龍宮の住人たちは別室に案内され、小部屋にいるのは蓮婆、タルモイ、キクリ、緑青、守礼、加奈だけである。6人で円座を組み、タルモイが蓮婆に龍宮を出てからの一部始終を語った。


「獣どもは、見境なく人を襲うじゃろうな」

「対抗するために、蓮婆が新たな獣を獣杯から呼び出すんだよね?」


 緑青が話を先取りし、眉根を寄せていた蓮婆は不気味に笑った。


「いや、せぬ。わしにそのような力はない」

「ない……? ええっ、でも、そう聞いたよ……烏流が言ってたんだっけ?」

「烏流には、そう言っておいた。わしが獣杯を手に入れたかったのは、使うためではない。焔氏に渡さないためじゃ。焔氏が死んだ今、獣杯を使える者は守礼だけじゃろう」


 蓮婆は緑青から守礼に視線を移し、藍色の髪の青年は苦渋の声を発した。


「私にも、そのような力はありません」

「何を言っておる。シギに最初に獣をもたらしたのは、おまえであろう」

「……私ではありません」

「この期に及んで嘘を申すな」

「そのくらいにしておけ、蓮婆。守礼を責めるのは筋違いだ」


 怒った蓮婆を、タルモイがなだめる。


「おかしいと思っておったよ。守礼が学んだのは冥界下りの術で、いつの間に獣杯を使う術を習得したのかと不思議だった。そうか、やはり獣を放ったのは守礼ではなかったか」


「守礼でなければ、誰じゃ」

「その話はどうか、すべての獣を滅ぼしてからにして頂けませんか。今はもっと火急の件がある。蓮婆どのは、獣を獣杯に戻すことができるのですか?」


 守礼が硬い表情で問い、蓮婆は渋い顔で首を振った。


「解き放った獣を獣杯に戻すには、悪しき思念を集める能力が必要じゃ。わしに、そのような力はない」

「できると言ったくせに。人のことは言えないよ、蓮婆。嘘ばっかりだ」


 緑青がぷっと頬をふくらませ、守礼は話を続けた。


「今のシギ国で獣杯が使えそうな者は、焔氏の獣と蛇眼です。蛇眼の方は確証がありませんが、焔氏の獣は獣杯から獣を呼び出す力を持っています」

「馬鹿な。獣に獣杯が使えるはずは……」


 言いかけた蓮婆ははっと言葉を切り、眉間にしわを寄せ黙り込む。


「獣杯が焔氏の獣の手に渡ったら、シギ国は獣に満ち、住人は皆喰い殺されるでしょう。それが焔氏の獣の望みですから。獣杯は、この世界から消し去った方がいいと思います」


 みんな死んでしまえばいい――――。人の殲滅を心から願っているかのような獣の声を思い出し、加奈はぶるっと体を震わせた。


「それじゃあ烏流は何のために戦ったんだよ。最初から龍宮で獣杯を砕いておけばよかったんだ。そうすればあたしらが龍宮を出ることはなかったし、烏流があたしらを守ることもなかった。あいつはろくでなしのタリム野郎だけど、何もあんな目に合わなくたって……」


 キクリが咽喉を詰まらせ、守礼は痛ましい目を彼女に向けた。


「そうですね……本当に」

「あの時は、蓮婆が獣杯を使えるものと思い込んでいたんだから。僕らを騙した蓮婆が悪い」


「ああ、わしを責めるがいい。後悔はしておらん。二枚舌三枚舌を使いこなさねば、焔氏からアシブは守れんかった」

「それとこれとは別だろっ。僕らは焔氏じゃない」


 緑青は怒りに緑の目を大きく見開き、タルモイが間に割って入る。

 

「よさんか。誰が悪いかなど、今は大事ではない。獣杯を砕くことに、わしは賛成する。獣杯を使える者は味方にはおらず、敵のみだからな」

「砕いてしまえば、それっきりじゃ。置いておけば、いつか役に立つかもしれん」


「睡蓮さんが言ってました。獣杯を見つけたら、二度と誰の手にも渡らないよう砕いてほしいって」

「睡蓮が?」


 加奈の言葉に、蓮婆は口もとを引き結んだ。


「……あの子の気持ちも判らんではないが、処分してしまうのは時期尚早じゃ。わしは獣を消し去る術を『記憶の鏡』から学んだ。獣が現れたら、わしが対処する。獣杯はギルの結界の中に、厳重に保管しておく」


 ギル――――。加奈は、龍宮で獣杯を守っていた小さな案山子を思い浮かべた。


「どうやって獣を消すのです?」

「『記憶の鏡』に残された先人の記憶を隅から隅まで探したが、方法は一つしかなかった。自らの内に獣を取り込み、力で消し去る」

「それは私がやりましょう。経験がありますから」


 訝しげな蓮婆に、守礼はうなずきかける。


「獣が初めて現れた時、私は『記憶の鏡』を使い、獣を自身の内に取り込みました」

「おまえが隠しておった獣は、あの時取り込んだものか……」


 蓮婆はふっと遠い目をし、微かな溜め息を洩らした。


「そういうことか……。真相が見えて来た気がするわい」

「真相って何?」


 緑青が尋ね、加奈は皆を見回した。蓮婆は無言で首を振り、タルモイとキクリは視線を落としている。守礼は加奈と目を合わせ、詫びるかのように目礼した。


「わしが先にやる。失敗したら守礼に任せよう」

「あなたの力を疑うつもりはありませんが、危険な術です。どうか私に一任してください」

「駄目じゃ。これは、わし自身のためでもある。心の奥底で澱む黒い思いが、わしをシギに縛りつけておる。シギから出るためには、黒い思いを精算する必要がある」


「黒い思いとは、もしや李姫と族長に関することか。ならば蓮婆が一人で背負うことはない。わしにも罪はある」


 タルモイの静かな声に、蓮婆は薄く笑った。


「おまえさんの罪が何かは知らぬが、これはわし一人の罪。それゆえ、わしは我が身を差し出し獣と闘う。わし自身のために」

「罪って何? 李姫と族長に関することって何だよ?」


 緑青が言い、無言のままの皆を加奈は再び見回した。キクリがもの問いたげにタルモイを見上げ、目でたしなめられている。蓮婆は壁を睨み、守礼は床を見つめ、加奈の目に自分と緑青以外は何らかの事情を知っているように見えた。


「いずれ話す。今は獣対策じゃ。わしは身を清めて来るゆえ、加奈、手伝っておくれ」

「はい」

「武器はある? 全員に武器を配らなきゃ」


 キクリが立ち上がる祖父に手を貸しながら、尋ねる。


「武器庫にあるはずじゃ」

「僕が行くよ。武器庫の場所は知ってるから」


 緑青は不満そうに口を尖らせつつ、身軽に立ち上がった。




 

 白い布を両手で抱え神殿を出た加奈は、カラスの鳴き声に振り向き、ぎょっとした。神殿の屋根の上で、おびただしい数のカラスが羽を休めている。


 蓮婆を追いかけるように長い石段を下り、上がって来るアシブの住民たちとすれ違った。手荷物だけで避難する人。大きな布袋を背負った人。どの顔も緊張と不安にこわばり、ぎくしゃくと蓮婆に礼をする。蓮婆は人々に鷹揚にうなずきかけ、振り返って尋ねた。


「目はいい方か?」

「はい」

「獣を見つけたら、見張りの者が旗を振ることになっておる。泉からも見えるはずじゃから、気をつけておくれ」

「わかりました」


 アシブの通りを突っ切り山に向かい、細い石段を上がると見覚えのある道に出た。黄櫨と緑青と3人で地下通路から出た後、歩いた道だ。あの時は峠を目ざし、途中でとんでもない人に出会った。烏流に――――。


 無数のカラスが加奈を追いかけ、木々にとまり彼女を見つめている。主の外套は見えるのに家に帰れないのはおかしいな、と言いたげに首をかしげる黒い群れを見上げ、加奈は涙を呑み込んだ。


(カラスさん達、ごめんなさい……)


 泣いている時じゃない。今出来る精一杯のことをやらなければと健脚の蓮婆を追いかけ、峠とは反対方向に早足で歩いた。


 蓮婆の後から灌木の茂みに入り、「あっ」と小さな声をあげる。目の前に泉があり、中央に舟の形をした白い石が鎮座している。峠に向かった時も見た記憶があるが、近くで見るとますます志希村の舟石様に似ていた。


「これは……」

「石舟じゃ。シギ国中を探しても、ここほど命の光が多く降る聖地はない。石舟は、大昔の神官が冥界の大河を渡る舟を模倣して彫ったと伝えられておる」

「そう言えば、守礼の舟に似ています」


 杉の芳香漂う、帆のない小舟。守礼の舟を思い出し、目の前の石舟と比べた。


「あの舟をどうやって手に入れたか、守礼にも分からぬらしい。気がつけば舟に乗っていたと言う。獣が放たれてから、シギは謎だらけの国になったわい」


 死んでしまったから、生きていた頃の法則が当てはまらなくなったのでは――――。そう思ったけれど、口にはしなかった。


 慌てて目を逸らす彼女にはおかまいなく蓮婆は衣服を脱ぎ、泉の中へと入って行く。痩せさらばえた裸体は骨ばって、痛々しい。口の中で何事かを呟きながら目を閉じ、両手で水をすくい頭からかけている。


 脱ぎ捨てられた衣服を集め、加奈は周囲を見回した。空を彩る白夜と月と星。木々に囲まれた泉はきらめき、舟の形をした白い石が神々しい。遠くに神殿の最上階が見え、旗が振られている様子はない。


 灌木の茂みで黄褐色の果実がたわわに実り、枇杷に似ているなと思いながら近づくと、カラスが1羽肩にとまった。


「おなか、空いてない?」


 加奈はカラスに話しかけ、果実を1粒ちぎった。触れた感触は柔らかく、美味しそうな甘い香りがする。皮を剥いて差し出すと、カラスは戸惑ったように口ばしで数度つつき、やがて夢中になってむさぼり始めた。その様子を見て、他のカラスが次々と降りて来る。


「ひゃあっ。やっぱり、おなかが空いてたのね」


 叫びとも笑いともつかない声をあげ放り出した果実に、カラスが殺到した。果実をちぎっては皮を剥き、そっと投げる。待ちきれないカラスが木に群がり、実をついばんだ。


「やれやれ、獣に枇杷の味を教えてしまったか。国中の枇杷の木がカラスに襲われるじゃろうて」


 いつの間にか蓮婆が泉から出て、体を拭きながら皮肉な笑みを浮かべ立っている。急いで泉で手を洗い、加奈は脇に挟んだ白い布を広げた。


「ごめんなさい。何か食べさせてあげたくて……」

「まあいいさ。枇杷など、いくらでもある」


 白い一枚布を広げたまま困惑する彼女を見やり、蓮婆は苦笑した。


「おまえさんに着せて貰おうとは思っておらんよ。獣にとり憑かれておらん娘ならば、身を浄める一助になると思っただけじゃ」


 加奈から布を受け取り、手早く慣れた手つきで体に巻きつける。左肩を出し、布に覆われた右肩にピンを刺して留めた。


「一つ頼まれてくれんか。わしにもしもの事があった時、わしは先代姫神を……李姫を殺したと守礼に伝えてほしい」

「殺した……?」


 天気の話をするかのように蓮婆がさらりと言ってのけたから、加奈が事の重大さに気づくまでに数秒かかった。殺した……ええっ?!


「あの、たしか李姫様は、ナ……何とかというご病気で亡くなられたんじゃ……」

「表向きはな。実際は、わしが呪殺した」


呪殺――――呪い殺した。蓮婆が鈴姫のお母さんを……?


「どうして……」


「さあ、どうしてかな。怒りか、憎悪か。嫉妬もあったろう。わしは幼い頃に才能を認められ、キシルラ神殿で働きながら呪術を学んでおった。後からやって来たのが、李姫じゃ。李姫は地方の神殿を取り仕切る大神官を父親に持ち、わしと同い年でありながら華やかで人目を引く娘じゃった。神殿には何人もの娘たちがおったが、李姫は誰とも馴染まず、神殿で学ぶ神官の息子たちと親しくしておったよ」


 蓮婆は木々の合間に見える神殿をちらっと見上げ、帰り道をゆっくりと歩き出した。


「その頃わしには、恋人がおった。名は莱熊らいゆう。わしより10歳年上の莱熊は若くして族長に選ばれ、わしとの関係を終わらせたいと言って来た。近隣国の有力者の娘を娶らなければならなくなったゆえ、堪忍してくれと。わしは了承した。しかし別れる理由は別にあったのじゃ。莱熊は……李姫と恋仲になっておった」


 そんな……ひどい。加奈は、表情の変わらない蓮婆の横顔を見つめた。白髪の呪術師は横目で加奈を見やり、にやりと笑う。


「とはいえ、莱熊が政略結婚する話は本当じゃったよ。莱熊の結婚が決まり、李姫は不機嫌じゃった。その頃、長患いをしておった姫神様が亡くなり、次期姫神の是非を天神に問うこととなった。候補者はわし一人――――のはずじゃったが、いつの間にか李姫が候補に上がっておった。天神は新しい姫神として李姫を選び、わしは神殿を出てアシブの呪術師となった」


 灌木の茂みを出て、2人は並んで峠に続く道を歩いた。


「姫神はキシルラ神殿に居を構えることになっておったが、李姫はなぜかアシブ神殿に住み、キシルラの神事は男の大神官が執り行った。莱熊は、始終アシブを訪れたよ。息子の灰悠をタルモイに預けておったし、その前から理由を作っては来ておったな」

「なぜ……?」


 蓮婆の口調に引っ掛かるものを感じ、加奈は尋ねた。まるで莱熊にも李姫にもキシルラの大神官にも、やましく後ろ暗いものがあるかのような言い方だ。


「さあ、なぜかな。ナムタルが暴れシギに死者が溢れた時、李姫にはどうする事も出来なかった。娘の鈴姫が幼いながらも懸命に『記憶の鏡』を読み解き、ナムタルと闘っておる時に李姫はわしの住まいを訪れ、こう言った。仮にも姫神候補となった身なれば、黙って見ておらず何とかせぬか無能者、と」


 素っ気なく言い放ち、蓮婆は加奈を一瞥する。


「何とかしてやったよ。ありったけの呪力を解き放ち、李姫を呪殺した。人を呪う者は代償を支払わねばならず、わしは若さを失った。……獣どもを祓ったらわしが直接守礼に話すつもりじゃが、それができぬ場合わしに代わり、あ奴に伝えてくれ。すまなかったと」

「どうして守礼に伝えるの? どうして謝るの……?」


 答えはなく、蓮婆はまっすぐ前を見てひたすら歩く。その後ろ姿が哀しく見え、加奈は言葉を呑んだ。




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