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姫神幻想伝奇  作者: セリ
33/53

8  奇跡の大地  ①

 

 アシブで待てと焔氏に命じられた老亥の部隊は、総勢50名。様子を見るようにゆっくりのろのろと行軍し、アシブにほど近い谷の中腹で、キシルラに逃げ帰る兵士の一団と遭遇した。


 戦い敗れた焔氏の兵士たちは、傷つき精魂尽き果てた様子である。彼らの話を聞いた老亥のしわ深い顔が、驚愕に開かれた。


「焔氏が死んだ……だと」


 老亥は黒い一枚布を痩身の体に巻き、銅片をつないだ鎖帷子を身につけている。顎髭をはやした顔は老いても、長年鍛え上げた体は引き締まり筋肉質の足で地面を踏みしめ、膝を突く焔氏の兵士たちを見下ろした。共に皇氏に仕えた武人3人が、彼の隣で口々に言う。


「……烏流が焔氏を殺し、烏流は焔氏の獣に殺されたと言うのか」

「間違いないのだろうな。焔氏が……信じられん」

「この目で見ました。王が、カラスに喰い殺されるのを」


 怖ろしそうに声を震わせる兵士は嘘を語っているようには見えず、老亥を含む武人たちは互いに顔を見合わせた。


「鷲が、いなくなりました」


 老亥の背後にいた大柄な金髪の若者――黄櫨が前に出て、空を指さす。何処にいても常に目にした鷲が、1羽も見当たらない。皆で藍色の空を見上げ、武人の一人が言った。


「鷲に命令する者がいなくなった――――か。今、シギの頂点にいるのは老亥という事になるのかな」

「頂点にいるのは、野生化した獣どもだ」


 旧友の言葉を、老亥は苦い口調で打ち消した。ほぼすべての獣は、焔氏の統制下にあった。焔氏が死んだ今、ほぼすべての獣が野生化したということになる。獣は手当たり次第に人を襲うだろう。あるいは勝手気ままに人に憑依し、楽しむか。どちらにしてもシギの住人にとって、喜べる事態ではない。黄櫨が老亥の前に立ち、嘆願した。


「どうかシギ族と力を合わせ、この非常事態に臨んでください。野生の獣どもが暴れ、人が一人残らず喰い殺される前に」

「獣を操れる者が、シギにはおるか」

「わかりません。守礼や蓮婆なら……『記憶の鏡』を使えばもしかしたら……。それについて、アシブに赴き蓮婆たちと話し合いませんか」


 黄櫨の真剣な顔に、老亥は苦笑を向ける。


「話し合いか。おまえはそのために、わしの所に来たのだろうな。しかし今はキシルラに戻らねばならん」

「キシルラは、俺に任せて頂きたい」


 烏流との戦闘で受けた傷が癒えきっていない牙羅が、ぎくしゃくとした動きで黄櫨の横に立つ。


「すまぬが、怪我人には任せられん。戻るのは都に住むタリム族を守るためでもあるが、それ以上に霊廟のためだ。焔氏が死に、骨に閉じ込められた皇氏王がどうなってしまわれたか、早く知りたいのだ。我らの王は、皇氏様ただ一人。もしも獣どもが王の骨を襲うような事あれば、全力でお守りせねばならん。シギ国やタリム族も心配だが、何よりも王が大事だ」


 何よりも王が大事――――。


 黄櫨は、失望を押し隠した。平等を重んじるシギ族と、タリム族とは考え方が違うらしい。一般の民より族長が大事だとは、シギ族は考えないものだ。族長や長老に敬意は表するが、彼らもまた民の一人であると考えられている。例えば食料は基本的に分配制で大人は皆平等に、子供は大人の半分量を受け取り、族長や長老が多くを得ることはない。


「蓮婆は、獣を獣杯に戻す方法があると言っていました。それが出来るなら、キシルラが獣に襲われる心配はなくなる。獣をどうするか、焔氏王亡き後のシギ国をどうするか、シギとタリムが話し合う場を設けて頂けませんか」


 気を取り直し、黄櫨は懸命に食い下がった。


「霊廟は私が引き受けよう。あなたは獣を何とかしてくれ」


 武人の一人が言い、老亥は目を閉じた。しばしの沈黙の後、彼は決断する。部隊の半数をキシルラに戻し、彼自身は残り半数と共にアシブへ行くことを。


 



 その頃、龍宮住人の一行はアシブに向かう道をひたすら歩いていた。最後尾を行く加奈の足取りは重く、左手で烏流の外套をきゅっとつかみ、右手で何度も涙の溜まった目をぬぐう。


(烏流……)


 態度も口ぶりも凶悪だけれど、彼は焔氏を倒すまで緑青やわたしに危害を加えない約束を守ったばかりか、わたし達を救ってくれた。それなのにわたしは――――。牙羅が死にかけた時は偉そうに彼を責め立て、普段の態度も冷たくて、もっと優しい友達らしい接し方があったはずなのに。


 カラスの群れは、上空を飛び交いながら一行を追いかけて来る。そのうちの1羽が加奈の肩にとまり、外套をつついた。小首をかしげるカラスの頭をそっと撫で、加奈は涙声で呟く。


「……家が無くなったんだね。……ごめんね」

「きっと生きてるよ。あいつは、きっと帰って来る」


 緑青が、泣き腫らした目を彼女に向けた。


「彼は、何度も死線から戻った強者ですから」


 加奈の横を進む狼が言いよどみ、哀しげにうなだれた。


「守礼は、烏流と親しかったの?」

「そういうわけではありませんが、彼の勇猛かつ凶暴な戦いぶりは有名です」

「あなたは……烏流と話し合ったのでしょう? 今回のことについて」


 彼女はキシルラ広場から逃げ出した時のことを思い出し、狼の藍色の目を見つめた。あの時、守礼と烏流が何もかも話し合い済みで、合意したかのような印象を受けた。


「話し合ったと言えるのかどうか。あなたを連れ獣杯を持ってアシブへ行ってほしいと頼み、彼は黙って引き受けてくれました」

「烏流は尋ねなかったの? どうしてそんな事をするのかとか、なぜ焔氏を裏切るような事をするのかとか」

「何も。彼にとって、どうでもいい事だったのでしょう」


 烏流はよく分からない人だと加奈は思う。もっと彼と話をすればよかった。後悔がきりきりと胸を痛めつけ、加奈の目から涙がこぼれ落ちる。


 口数少なく歩き続けた一行がアシブにたどり着くと、集落入り口で蓮婆と睡蓮が立って待っていた。


「雲行きが怪しいゆえ、神殿に見張りを立てておいたのじゃ。おまえ達がこちらに向かっておると、見張りの者が教えてくれた」

「出迎え感謝する。……焔氏が死んだ」


 タルモイの言葉に蓮婆は目を見開き、睡蓮は息を呑んだ。無言のまま蓮婆は杖を振り、龍宮の住人たちに祝福を与える。杖をおさめ、加奈から隣に立つ狼に視線を移した。


 たてがみと尾の青い狼は黒い靄に包まれ、輪郭が揺れたと思うや守礼の姿に変化する。蓮婆の表情が険しくなり、細められた目と藍色の目がぶつかった。


「……獣杯は?」

「ここだ」


 蓮婆の目が守礼から逸れ、タルモイが指さす編みかごに注がれる。


「焔氏が死んだとなると、獣どもは野放しじゃな。ふむ。睡蓮、全住民を急いで神殿に避難させておくれ」

「わかりました」


 睡蓮は先に立って駆け出し、加奈たちは蓮婆に連れられ神殿に向かった。ギルと呼ばれる等身大の案山子に囲まれた石造りの神殿は、白夜の下で堂々とそびえ立っている。石段を5階までのぼり、加奈は立ち止った。


 金柑の樹の下に、水を湛えた鉢がある。以前ここを訪れた時は、小さな丸い光が踊っていたけれど――――。目をすがめたが、何も見えない。あの光はわたしの命に惹かれて出て来たんだろうかと、キシルラ王宮での体験と照らし合わせて考えた。


「どうしました?」


 いつの間にか、守礼が隣に立っている。藍色の長い髪が風に吹かれ、彼女の肩に触れた。


「わたしが水に近づくと、命の光が集まって来るんでしょうか」

「試してみますか?」


 彼は加奈の腕に手を添え、そっと前に押した。守礼と共に水琴窟に似た大きな鉢のそばまで行き、葉っぱの浮いた水をのぞき込む。水は澄んで底まで見通せ、月光を受けきらめいている。人差し指を浸けてみたけれど、命の光は現れなかった。


「王宮の池では現れたのに……」

「常に出て来るわけではなさそうですね。私としては、ありがたいが。あなたから命が流れ出る光景は、見たくない」

「どうして……?」


 加奈は、目を見開いた。焔氏のしもべとするために、生者の国からわたしを連れ出した人物の言葉とは思えない。それとも、あれも策略だったのだろうか。守礼は、苦しそうな表情を浮かべた。


「私が何の迷いもなくあなたをこの国に連れて来たとは、どうか思わないでください。あなたを危険な目に合わせたくなくて、祠で待つ間、何度一人で戻ろうとしたかしれません。でもあなたは白椿の姫神に似ていて……」


「白椿の姫神……?」

「私の女神のことです。それにあなたは翡翠を持ち、鈴姫の幻に導かれていた」

「幻……? あれは、鈴姫さんの幽霊なんでしょう?」


 守礼は首を横に振り、加奈はますます訳が判らなくなった。


「シギにとっても私自身にとっても、あなたは必要な方です。そう思い、この国に来て頂くことにしたのです。何があろうとあなたを守り、そのために長い間秘めていた獣を使い、もしどうしても守れない時はあなたを元の世界に戻そうと、石舟に座ってあなたを待ちながら決めました。狼のことや私の計画について焔氏に知られないためには、私は普段通りの忠実な下僕でなければならず、何もかもあなたに話したかったけれど出来なかった。さぞ怖ろしい思いをしたことでしょうね。どうか許してください」


「そんな……いいんです。生者の国まで送ると言ってくれたのに、残ると決めたのはわたしですから。それにしても白椿の姫神様って、何のことですか?」

「加奈~、守礼~、早く来いって蓮婆が怒ってるよー」


 加奈の質問に、キクリの声が重なった。


 白椿と自分には、何の接点もないはず。いつか守礼とゆっくり話がしたい。そう思いながら彼と連れ立って神殿入り口をくぐり、赤い聖樹の壁画のある部屋を通り抜け、小部屋に入った。


 鮮やかな色彩の敷物が床一面に敷かれ、壁は石造り、部屋の隅に小さな祭壇が置かれている他は家具らしい家具は一つもない。清潔そうだが、質素な部屋である。皆にならって靴を脱ぎ、加奈は敷物の上に座った。




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