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姫神幻想伝奇  作者: セリ
26/53

6  蛇使い師  ③

 

 真紅の長衣をまとった焔氏を10名の兵士が囲み、その後ろを加奈と守礼がつづく。一行は、人の途絶えた大通りを広場に向かって進んだ。湿気を含んだ生温かい風が吹き、藍色の空を黒いちぎれ雲が流れていく。


 兵士は革の兜をかぶり、膝丈の巻き衣を腹部で結び、上級兵士らしく颯爽と歩いた。守礼は青い裳の上に黒い短衣を着て、隣を歩く加奈を気遣うように何度も見やる。


 また火あぶりを見なければならない――――。そう思うと気分が悪くなり、加奈は唇を噛んだ。うつむくと、肩まで伸びた黒髪がはらりと頬にかかる。愛らしい顔は青ざめ、セーラー服から突き出たほっそりとした足がよろめく。


「大丈夫ですか?」


 守礼が尋ね、耳元でささやいた。


「火刑が始まったら、騒動が起きると思います。何があっても私から離れないように。いいですね?」

「……何がありそうなの?」

「焔氏様は強い獣を持っておられ、蛇眼様は蛇使い師です。何事もないとは思えません」


 彼は加奈から離れ、周囲をそっと見回した。


「蛇使い師とは、タリムの呪術師をさす名称です。不思議なことにシギにも呪術師を蛇使いと称した時代があり、蛇を守護神とする呪術師もいました。どの国でも、蛇は神秘的で想像力をかき立てる生き物なのかも知れませんね」


 ただ気持ち悪いとしか思えないけど……。加奈は口を閉ざし、広場に目を馳せる。


 広場は大勢の人々が押し寄せ、舞台をゆっくり眺める雰囲気ではない。そこかしこから内緒話が洩れ聞こえ、タリムの人々が蛇眼の火刑に不満を持っている様子がうかがえる。さらに東胡が焔氏に殺されたらしいという話がもたらされ、騒然となった広場を焔氏は平然と突っ切り、途中で足を止めた。


 立ったままの人々の間から、舞台が垣間見える。袖から小柄な男が現れ舞台中央に立ち、人々を見下ろした。観客席の真っ只中に立つ焔氏が鋭く見返し、焔氏の周囲にいた人々が不穏な気配を感じ取って、後ずさる。


(蛇眼――――)


 加奈は、鋭く息を吸い込んだ。屈強な兵士が舞台に上がり、蛇眼の首に青銅の輪を掛けようとして、邪険に払いのけられた。蛇眼の口から音階を伴った言霊が吐き出され、低く謡うように流れるや、彼の足もとから黒い霞が漂い昇り、舞台を這うように広がっていく。


「勝てると思うなよ……」


 焔氏の口から、呟きが洩れた。


 加奈は守礼に腕を引かれ、焔氏から少し離れた場所まで下がった。他の人々は先を争って観客席から逃げ出し、広場を囲む木立ちに逃げ込んだ。遠巻きに焔氏と舞台上の蛇眼を見つめ、その間も蛇眼の詠唱は続く。


(黄櫨……)


 人々の間に黄櫨の姿を見つけ、加奈は唇を噛んだ。金髪の若者は、他の人々より頭一つ分背が高く目立つ。隣にいる人物には見覚えがあると、彼女を目を細めた。――確か、牙羅がら


 髪を短く刈り、見るからに武人といった風情の牙羅に、黄櫨は熱心に話しかけている。舞台下では、蓮婆が犬頭の杖を高く掲げていた。彼女の周囲で、黒灰色の靄が炎の如く立ち昇っている。


「蓮婆さんがいる……」

「蓮婆の獣が、彼女を守っています。あなたは、私の獣から外に出ないでください」


 守礼の体から黒いもやが漂い出て、加奈と守礼を囲む。風に煽られるように揺らめく靄の合間に、青い一筋の線が見え、加奈ははっとした。青色――――青ちゃん? いえ、まさか。


 舞台上の黒い霞は濃さを増し、竜巻に似た姿で蛇眼を包む。蛇眼は右足を前に出し、大きく一歩踏み出した。首を左に傾け、白目の中の白い眼球を右に向ける。左足をこするように大きく左に回し体重を乗せ、首を右に傾け白い眼球を一気に左に動かす。


 彼は、踊っていた。原始的で不気味な踊りを。禍々しく呪いに満ちた言霊に乗せて。蛇眼の動きに合わせ、黒い靄がうごめく。靄は次第に一つにまとまり、蛇の姿を形作っていく。


 蛇眼が踊ると、巨大な蛇がのたうった。蛇が鎌首をもたげ牙の生えた口を開くや、広場の地面から新たな黒い靄が立ちのぼる。加奈の周囲で這い回る靄が、おびただしい数の小さな蛇へと姿を変え、彼女は短く悲鳴をあげた。


 人々の間に悲鳴はない。貪欲な目で大量の蛇を見つめ、餓えた獣のように唸り声をあげている。


「あっ……」


 加奈の視線が、四つ足で駆けて来る1頭の熊へと逸れた。見覚えのある姿――――記憶にあるより大きくなった熊は、地面を這う大量の蛇を両手でつかみ、むしゃむしゃと貪り始めた。


「熊さん……」

「食事の時しか出て来ないんですねえ」


 守礼が、溜め息まじりに言う。あの熊を知っているの? 加奈は不審な思いで彼を見上げたが質問する余裕はなく、成行きを見守っていた人々が熊に遅れじと、次々に獣を放出する様を目の当たりにした。


 タリム族は皆、体内に獣を持っている。普段は焔氏によって捕食を禁じられているため、獣はこの時とばかりに小さな蛇に群がり、飢えを満たす。


「獣を戻せ! 獣を捕食した者は処罰する!」


 焔氏の声がとどろき、蓮婆のしゃがれ声がつづいた。


「喰わせてやってくれ! 後で取り上げればよかろう! どの獣も餓えておる。食事ぐらい、させてやろうぞ」


 蓮婆の獣は、黒い布のような姿でふわりと地面に覆いかぶさり、大量の蛇を根こそぎ摂取する。


「この蛇は……元からシギにいたの?」


 加奈は震えながら、周囲を這う無数の蛇を見下ろした。どの蛇も体長30cmほどありそうで、絡まり合うもの、噛み合うもの、さまざまな様相で地面を這いずっている。


「いいえ。蛇眼の呼び声に応じて集まった、新たな獣でしょう」


 新たな獣――――獣杯を使わずに、蛇眼が呼び寄せた獣。どうして蛇の姿なんだろう。


(獣って、何だろう。どこから来るんだろう――――)


 一括りに『獣』と呼んでいるけれど、獣の姿をしたものばかりではない。祖母の家で見た薄黒い化け物を、彼女は思い出した。桔梗の間を占拠し、夜中に天井を埋め尽くしていた、動物に似た黒い靄。そう言えばあの時、靄の中に熊がいたっけ――――。


「おおおっっ!」


 人々のどよめきに、加奈ははっと我に返った。観客席の中央に立つ焔氏の体から、爬虫類状の獣が這い出している。頭部は鰐に似て、大きな口が裂けんばかりに開かれ、月光に照らされた薄桃色の口蓋が毒々しい。尾は焔氏の体内にあり、体長がどのぐらいあるのか見た目では分からない。


 わには焔氏の体からずるずると伸び、牙を剥いて舞台上の蛇に襲いかかった。蛇は蛇眼を体内に包み込んだまま、素早く身をかわし、鱗に覆われた鰐の首に鋭く噛みつく。


 獣の死闘が始まった。広場は大小さまざまな獣、獣になりきれない靄、蛇――――喰うものと喰われるものが入り乱れ、阿鼻叫喚の弱肉強食世界と化している。


「よし、喰え! その調子だ!」

「誰よ、あたしの獣を食べたのは!」

「畜生。最下層行き決定だ……」


 人々は木立ちの陰から獣に声援を送り、やめさせようとする者は一人もいない。焔氏と蛇眼の敗者を見きわめ、隙あらば喰おうと機会をうかがっている。


(気持ち悪い……)


 実際に喰い合っているのは獣だけれど、人々は間接的に喰い合っている。加奈は、吐き気をもよおした。


「王宮まで走りますよ」


 守礼のささやく声。加奈の青白い顔を、藍色の瞳が見下ろしている。


「今が逃げる絶好の機会です」

「逃がしてくれるの?」

「全力で走ってくれるならば」

 

 加奈は守礼に手を引かれ、広場の外に向かって駆け出した。


「どうして助けてくれるの?」

「あなたが、白椿の姫神だからです」

「姫神? ……白椿?」

「烏流!」


 守礼は、大通りから広場に入って来た少年を呼び止めた。烏流は不機嫌そうに緑青の衣服を抱え、首輪をはめた黒猫を引いている。加奈は駆け寄り、猫の前で膝をついた。


「緑青なの? 何があったの?」

「王宮の3階の動力室から湯気が出てると言うから、今は女どもの浴場になってると教えてやったんだ。後宮の女たちが湯を焚いて裸で寝っ転がったり、女同士で遊んでやがるぜって言ったらこいつ、猫になった。どうなってるんだ」


 黒猫はしょんぼりと体を縮めて座り、うなだれている。全身で「ごめんなさい」と言っているかのようで、哀れを誘う。


「彼のことは、後回しにしましょう。加奈さんを連れて龍宮へ行ってください」


 守礼は龍宮に獣杯があることを知っているのかと、加奈ははっとした。烏流はちっと舌打ちし、仕方なさそうに黒猫を肩に乗せたが、守礼に質問しようとはしない。守礼と烏流の間で、何らかの話し合いがあったんじゃないか。彼女は不審な目で、2人を交互に見る。


「私はここで失礼しますが、その前に聞いておきたい。元の世界に戻りたいですか? もしそうなら、お送りします」


 守礼の静かな声が、加奈の心にさざ波を立てた。送ってくれる――――お祖母ちゃんの家に戻れる。嬉しいけど、嬉しくない。どうして送ってくれるんだろう。獣杯が見つかり、わたしは必要なくなったから? そんなのひどい――――。


「もう少し後で……送ってください」


 加奈は言い、背筋を伸ばした。すべてが解決してから帰ろう。それが無理なら、せめて精一杯頑張ってから。今はまだ帰りたくない。

 守礼はうなずき、短剣を加奈に差し出した。彼女がアシブで貰い受けた青銅の剣である。


「わたしより、あなたの方が心配よ。罰を受けるんじゃない? もし良かったら、一緒に行きませんか?」


 短剣を握り締めて加奈が言うと、守礼は微笑みながら首を横に振る。


「自力で何とかするだろ。おまえが思ってる以上に、守礼は腹黒いぜ」

「ひどい……」

「返しておく」


 烏流が翡翠を差し出し、加奈はそれを胸ポケットにおさめた。


「さっき熊が出て行ったが……。ま、いっか。ねぐらが大事なら戻って来るだろ」

「黄櫨はどうするの?」


 広場に視線を送る加奈に、烏流が冷たく返答する。


「置いていく。あいつ、加奈を逃がそうとしたが失敗した。あいつにはあいつの生き方があるんだろう」

「わたしを逃がそうとした……?」

「話は、歩きながらだ。急げ」


 振り返ると、守礼の姿は消えていた。黄櫨が東胡を通じ加奈を逃がそうとした話を聞きながら、人影のない大通りを急ぎ足で歩く。王宮の3階から、湯気が出ているのが見てとれた。


「おまえの大好きな浴場だ。見納めかもしれないから、よーく見とけよ」

「ふぎゃふぎゃふぎゃっ!」

「文句を言うなら、降りろ!」


 肩にしがみ付く猫と、無理やり引きはがそうとする烏流。2人の攻防を見やり、加奈は前を向いた。再び龍宮を目ざして――――。 



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