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姫神幻想伝奇  作者: セリ
21/53

5  キシルラ王宮  ②

 

 王宮にほど近い瀟洒な邸宅の一室で、蓮婆は椅子に腰かけ、こわばった足を揉みほぐしていた。家の主である東胡は山葡萄酒を口に含み、顔をしかめた。


「蛇眼が処刑される」

「よいではないか。蛇眼のことじゃ、簡単には屈服すまい。闘いになれば獣が放出される。自分の獣を増やす絶好の機会じゃ」

「実の兄の不幸を喜べと言うのか。父を放逐し、今度は兄だぞ」

「何をいまさら」


 蓮婆は足首を揉みながら、神経質そうに瞼をぴくぴくさせる東胡を下から見上げた。


「蛇眼が大人しく牢に入っておるには、相応の理由がある。人知れず、新たな獣を呼び集めておるのじゃ。あやつは獣杯に頼ることなく、獣を呼ぶことができる。焔氏といい勝負をするやもしれんぞ」

「タリムの呪術師である蛇眼が、シギの古い呪術を知っていると言うのか」


 豪華な硝子の酒器を口から離し、東胡は疑い深い表情を蓮婆に向けた。


「かつてシギの呪術師は、呪術を使い獣を集め、獣杯に封じた。同じ呪術がタリムにもあると、蛇眼は言っておった」

「焔氏は知っているのか」


「蛇眼が牢で獣を集めておることか? もちろん知っておるじゃろう。焔氏は、蛇眼が集めた獣を我が物とするつもりじゃ。これ以上焔氏の力が強くなる前に、手を打たねばならん」

「どうしろと言うのだ」


 蓮婆は、にやりと笑った。


「まずは蛇眼を葬り去ることじゃな。競争相手を消した後、タリムの有力者達を説得する。おまえさんを中心としてすべての獣を集め、焔氏から王権を奪い取ればよかろう」

「簡単に言うな」


 渋い顔で酒をあおり、東胡は目を閉じる。玉座に君臨する自分の姿がほろ酔い加減の脳裏をよぎり、彼の欲望を煽った。





 緑青は、王宮外にある一般犯罪者用の牢屋に収容されていた。彼以外に囚人はおらず、牢番は暇そうに椅子に座ったまま居眠りを始めた。格子を握り締め、緑青が呟く。


「よし、今だ。行け」


 彼の視線の先には、彼の分身である黒い子猫がいる。小さな猫は格子をすり抜け、こくりこくりと眠る牢番に近づいた。腰に吊り下げられた鍵束に猫の手が触れた時、牢番が目を覚ます。


「おや? 何だ、猫か」


 気のいい牢番は子猫を抱き上げ、膝に置き優しく撫でた。子猫は「みぃー」と甘えた声を出し、牢番の手を舐める。


「なついてどうすんだよ……」


 鍵、鍵、と心の中で念じる緑青の努力もむなしく、子猫は牢番の膝の上ですやすや気持ち良さそうに眠り始めた。


「何やってるんだ……」


 役に立たない分身に頭を抱え、がっくりとうなだれた緑青の目に人の足が映る。視線を少しずつ上げると、格子の向こうに烏流がにやりと笑って立っていた。


「ここから出たいか? おまえの態度次第では、出られるぜ」


 首輪のついた長い革紐を振る烏流の目が、悪戯を楽しむ子供のように煌めいた。






 宝蘭の部屋は、白曜石の壁が見えなくなるほど色とりどりの刺繍と壁掛けに覆われている。

 様々な動物や植物、建物や宴、行事を絵にしたもの。透明に近い白のガラス窓から月光が降り注ぎ、窓の下で3人のお針子が壁掛けを作っていた。布地に刺繍糸を刺し込む手を止め、3人は加奈を注視する。


 部屋の奥に、高座がある。磨き抜かれた赤茶色の木材に、象眼を施した椅子。クッションが敷かれ、ゆったりと腰かけているのは二十代とおぼしき美しい女性である。鹿の角を模した黄金の冠を被り、華やかに広がる朱色の裳の上に、短い黄緑の衣を着ている。守礼が着ていた衣服に似ているなと思う加奈を見つめ、女性は痩せた女官の耳打ちを静かに聞いた。「呪術師……」という言葉が、洩れ聞こえてくる。


「我が名は宝蘭。そなた、生者の国から来た呪術師だそうな。まことか?」

「……はい」


 生者の国から来たという部分だけは本当なんだから、と加奈は自分を言いくるめた。


「変わった衣裳を着ておるな。足を見せるは下賤の印。そなた、下賤の者か?」

「いえ、普通ですけど」

「口答えをするとは何たる無礼。宝蘭様に比べれば、下賤であろう」


 扉を開いた女官が宝蘭の横に立って語気荒く言い、宝蘭が白い手を上げて止める。


「よい。生者の国の話が聞きたい。アモンを知っておるか?」

「いいえ」


 正直に答えると宝蘭の美しい顔が険しくなり、加奈はどきりとした。あまり怒らせない方がいい相手だと、本能が告げている。仕方がない。とにかく嘘八百とおべっかだ。この場を切り抜けようと、懸命に言葉を選ぶ。


「あなたが生者の国におられた時代から、かなりの時が経っているように思います。あなたが御存知のものが、わたしの住む時代には無くなっているのかも知れません」


 宝蘭が痩せた女官の耳元で何やらひそひそ話し、女官はうなずくなり声を張り上げた。


「アモンとは宝蘭様と我らが故郷、大陸の海辺にある美しき国の名だ。緑と花に覆われた大地。衣食住は鮮やかな色彩に恵まれ、地上の楽園と謳われた。大国タリムとの和平交渉の末、アモンの2人の姫様がタリムに降嫁され、姉姫様は王太子殿下の後宮に入られた。妹姫様は第三王子であられる皇氏様の長子の正妃となられるはずであったが、戦死されたため、現在は弟君焔氏様の婚約者というお立場であらせられる」


「皇氏様という方は、焔氏……様のお父様ですか? 宝蘭様は当初お兄様の婚約者だったけれど、お兄様が戦死されたので、今は焔氏様の婚約者でいらっしゃるということ? アモンとタリムがあった大陸というのは、どの大陸ですか?」


「どのも何も大陸とは唯一のもの。アモンのある大陸一つきりだ」

「シギは? どこにあったんですか?」

「アモンから船で渡ったのだ」


 加奈は、世界地図を思い浮かべた。この人達の言う大陸がユーラシア大陸だとしたら、アモンやタリムは中国か韓国辺り、シギは日本のどこかにあったということか。宝蘭の衣裳は何となくアジアっぽいけれど、タリム人の顔立ちはアジア的ではない。加奈は、首を捻った。


「たとえ数多の時を越えようとも、我らは生者。生者は生者の国に住むべきじゃ。そなた、国に帰る道筋を覚えておるか?」

「いいえ……」


 宝蘭に尋ねられ、加奈は答を詰まらせた。道筋どころか、どちらの方角に行けばいいのかも分からない。


「道なら、守礼にお聞きになった方がいいと思いますけど」

「守礼?! あのような下賤の者に、ものを尋ねよと申すか!」

「下賤……」


 また下賤なの? ひそめられた宝蘭の弓型の眉を見やり、加奈は口を閉じた。どうやら怒りっぽい女性のようだけれど、何とかして「気に入ったから逃がしてやろう」という虫のいい展開に持ちこみたい。


「守礼は、生者の国に入ることが出来なかったと伝え聞いておる。しかし黄櫨と緑青とかいう者は、そなたと共に生者の国にいたのであろう? 両者の違いは何じゃ。なぜ黄櫨と緑青は生者の国に入ることが出来、守礼は出来なかったのじゃ?」

「それは……」


 加奈の言葉が途切れる。言われてみればそうだけど、何故と聞かれても理由が思いつかない。


「……わかりません」

「宝蘭様がわざわざお尋ねになったというに分からぬなど、何と無礼な返答だ。世が世なれば、即刻首を刎ねてやるものを」


 痩せた女官の怒声に、加奈は竦みあがった。首を刎ねるって……。


「一度は許す。シギの国外に、生者の国以外の国はあるか?」

「はい、死者の国があると聞いています」


 これなら答えられると、ほっと胸を撫で下ろす加奈を見る宝蘭の目が、みるみる険しくなっていく。


「死者の国じゃと? 死者になれと申すか! この私に死者になれと!」

「そんなこと言ってません」


 宝蘭の怒った顔に、加奈はどうすればいいのか分からなくなっていた。何を言っても怒らせてしまう。どんな嘘を言い、どんなおべっかで取りつくろえばいいのか――――何も思いつかない。


 もうやめた。慣れないことをするとロクな事にならない。作戦変更。本当のことを言おう。その方が気が楽だし案外うまく行くかもしれないと、加奈は勇気を振り絞り言葉を放った。


「焔氏様は、シギから出られないと聞きました。あなたも、そうなのではありませんか? もしかして、シギから出られないのではありませんか?」


 出られるならとっくにそうしているはずだと思いながら尋ねると、宝蘭は白く揃った歯で紅い唇を噛む。


「もしも本当にシギから出たいと思われるなら、生者の国に行く方法は分かりませんけど、死者の国になら行けるかもしれません。あなた方は皆、亡くなってると思います。自分が死んだと認められないから、シギに閉じ込められてると思う。死んだと認めたら、きっと何かが変わると思うんです。よく分からないけど、神の力とかじゃなくて、自分で自分を閉じ込めてるんじゃないですか?」

 

 人は死後、夢から覚め光になるとタルモイ族長は言ったけれど……。それならなぜ、死者の国やシギのような場所があるんだろう。もっと詳しく聞いておくんだったと、加奈は悔やんだ。


「死んではおらぬ!」


 怒り心頭の宝蘭は椅子から立ち上がり、「言葉を慎め!」と痩せた女官が加奈に詰め寄る。万事休す。やっぱり怒らせてしまったと体をこわばらせる加奈の前で、宝蘭は突然椅子に崩れ落ち、うなだれた。宝蘭の美しい顔に幾筋もの涙が伝い、女官が驚いた表情で宝蘭を見る。


「死んではおらぬ。生きておる。しかしこのような呪われた地にいては、死者と変わらぬ。大陸に残れば良かった。皇氏様に付き従い、海を渡ったばっかりに……。アモンに帰りたい。故郷に帰りたい……帰りたい……」


 さめざめと泣く貴人の手を、膝を突いた女官が慰めるように握る。

 本当のことを言わない方が良かったかなと、加奈は肩を落とした。真実が必ずしも人を幸せにするとは限らない。壁掛けを手にしたお針子たちが、白い目で見ている。


「……それほどまでに死者が好きならば」


 涙にかすれた宝蘭の声が刺々しく突き刺さり、加奈ははっと顔を上げた。


「地下へ行け。闇の世界へ。死者どもと暮らすがよい」


 死者と暮らす――――? 憎々しげに見下ろす宝蘭を見上げ、加奈は凍りついた。





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