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姫神幻想伝奇  作者: セリ
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1  夜、川を渡る  ②

 

 カーテン上部の隙間から差し込む月光が、華奢な少女を照らしている。


 長い黒髪を背で束ね金の冠を被り、純白の巻き衣をピンで留め、赤い薄絹をまとっている。インドの女性を思わせる衣装だが、顔立ちは繊細な日本人形のようだ。


 少女の幻想的な姿にみとれ、全身が仄かに光っていることに気づくや、じわじわと恐怖心が湧き上がる。


「お願い……」


 少女は哀しい声で言い、両掌を重ねて差し出した。掌には深い翠色の石が乗っている。


 石を受け取れと言っているんだろうと思ったけれど、竦み上がった加奈の足は動かない。両手で麺棒を握りしめ、金縛りにあったように立ち尽くしたまま、じっと少女を見つめた。


「お願い……」


 少女は両手を精一杯伸ばして石を差し出し、澄んだ瞳から大粒の涙を流した。


「お願いします……」

「待って。泣かないで」


 怖いことに変わりはないけれど、泣いている少女を置いて逃げ出す気にはなれず、勇気を振り絞って少女の前に座った。


「あなたは誰? どうして欲しいの……」


 正座した少女の膝あたりが衣裳ごと透けて見えることに息を呑み、加奈の言葉が途切れる。

 来た――――幽霊だ。真夜中に、たった一人で、幽霊と向き合って座ってる――――。


 自分の状況は最悪のはずなのに、少女の涙を見ていると恐怖心よりも憐れむ気持ちの方が強くなる。


 きっと思いを残して死んで行ったのだろう。まだ小さいのに。小学生くらいの年齢なのに、化けて出るなんて可哀相すぎる。

 

「わかった。石を受け取ればいいの?」


 加奈が右手を伸ばすと、翠色の石が掌にふわりと乗せられた。冷たく硬い感触に、加奈の目が大きく見開かれる。


「これ、本物?」

「翡翠……」


 幽霊は満足そうに微笑し、座ったまま両手をつき、深々と頭を下げた。


「お願いします……」

「あ、はい。……でも何を?」


 加奈が頭を下げ、視線を上げると少女の姿はなかった。一瞬のうちに消え去った少女の後に、薄黒い靄が立つ。靄は切れ切れに漂い、動物の姿に変わっていった。熊に見える物もいるが、大半は何の種類なのか見分けがつかない。


(化け物――――!)


 今度こそ恐怖心で全身が麻痺し、加奈はくぐもった叫び声をあげた。抜けた腰を引きずるように部屋から出て、ぴしゃりと引き戸を閉める。廊下を這い、壁に背をもたせ、荒い呼吸を静めた。


 掌を開くと、本物の翡翠がある。これをどうすればいいの? 加奈は見えない何かを探すように、天井に目を向けた。


「何をして欲しいの?」


 答はなく、微かな風の音が聞こえるばかりである。彼女は三度深呼吸し、震える手を引き戸に置いた。


「ちゃんと分かるように説明して。お願いしますだけじゃ分からない……」


 戸を開け、部屋が黒い化け物に占拠されているのを見、そいつらが「ぐるるる」と唸っているのを聞き、静かに戸を閉めた。






「『桔梗の間』のある場所は、遠い昔にはお地蔵さんが置かれていたらしい。戦国の時代にお地蔵さんはどこかへやられ、その跡地に屋敷が建てられた」


「戦国の時代って?」


 翌日、加奈が朝食を食べながら昨夜の出来事を話すと、祖母は怖れる様子も怒った顔も見せなかった。


「織田信長とか、豊臣秀吉の時代かな」

「この家、そんなに古くからあるの? すごい」


「何度も建て替えられたがね。志希村は、もっと昔からあるよ。お地蔵さんがなくなると、化け物が桔梗の間のある場所に現れるようになった。お祓いも魔除けのお札も効かず難儀したが、そのうち守り神と考えられるようになったらしい。この家に嫁に来た時も、そう言われたよ。怖れることはない、化け物はこの家を守ってくれている、桔梗の間に近づかなければ目にすることもないと。化け物はなぜか、桔梗の間以外の場所には現れないからね」


「おばあちゃんは、見たことはないの?」


 祖母は、穏やかに笑った。


「ないよ。若かった頃、好奇心に駆られておじいさんと夜中に見に行ったが、見えなかった。ある種の能力がないと見えないものらしいよ。加奈には、そういう方面の能力があるのかねえ」


 無いと思うんだけど、と口をすぼめる。これまで幽霊を見たことはないし、自分に霊感があると感じたこともない。


 だがその日以来、嫌と言うほど化け物を目にすることになった。


 夜になると不気味な気配がする。夜中に目を覚まし、獣に似た姿が天井をびっしり覆っているのを目にして、悲鳴をあげそうになった。桔梗の間以外の場所には、現れないはずなのに――――。


 隣の部屋で眠る祖母を起こすまいと歯を食いしばり、頭から布団をかぶって震えている間に、いつの間にか化け物は消えている。


 そんな事を何度か繰り返すうちに、化け物の消える理由がわかった。


 狐と猫に見える2匹の動物霊が、他の化け物を追い払っている。やがて2匹は加奈の部屋に居座るようになり、他の化け物は現れなくなった。


 2匹とも朝や真昼間にも薄ぼんやりと出て来るが、夜になると姿がはっきりする。狐は金色の毛並が美しく、猫は黒い全身がつやつやしている。


 動物霊を美しいと思うのはおかしいし、部屋に動物霊がいる事を憂慮すべきだとも思ったけれど、2匹が他の化け物を追い払ってくれる事に加奈は感謝した。


 祖母に話す気になれず、様子を見ているうちに一週間が経った真夜中のこと。目を覚ますと胸の上に黒猫が乗っていた。


 叫び声を呑み込み、猫の緑色の目を見つめる。猫はニッと笑ったような顔になり、彼女の顎を舐めた。


(え……?)


 動物霊に舐められた――――。


 猫の口角は上がったままで、首をかしげて彼女を見ている。加奈は、恐る恐る手を伸ばした。


 手は猫の透けた体を通り抜けるのに、指先は滑らかな毛触りを感じる。黒い毛は柔らかく、生きた猫と同じ感触がある。


 好奇心を刺激され、夢中になって撫でた。力を入れると指が猫の体を突き抜けるけれど、そっと撫でると温もりさえ感じる。


(不思議……)


 猫は再び彼女の顎を舐め、咽喉を前足に乗せて伏せた。様子をうかがうような緑の目が、闇の中で煌めいている。


 その日から、黒猫は毎晩加奈の枕もとで眠るようになった。実際には眠っていないのかもしれないが、彼女が夜中に目を覚ますと、いつも彼女のそばで横たわっている。


 動物霊のはずなのに暖かく柔らかく、ある晩ちょっとした思いつきで抱き寄せると「ミィ~」と鳴き、彼女の頬に頬をすり寄せた。


(可愛い……かも)


 最初は怖れていたもののすぐに慣れてしまい、やがて猫が布団にいることが当たり前になっていく。


 一方、狐は彼女に近寄ろうとはしなかった。ただ一度だけ、入浴中に現れたことがある。凍りついた彼女をちらっと見て、すぐに消えたけれど。


 ある夜のこと。胸のあたりがくすぐったくて目が覚め、見下ろすと猫がパジャマの胸元に顔をつっこんでいた。


「ちょ、ちょっと……」


 掴もうとして掴めない猫の体と悪戦苦闘し、「駄目!」と強い口調で言うと、猫は渋々といった風情で顔を上げる。


「フギャッ! フギャッ!」


 不服そうに口をへの字に曲げた顔が可笑しい。丸い手でそっと彼女の頬を撫で、また叱られるんじゃないかとびくびくしながら引っ込める姿はどこか憎めなくて、加奈は吹き出した。


「変な猫。名前はあるの?」


 彼女は起き上がり、猫を膝の上に置いた。返事はなく、動物霊に名前があるわけないかと思う。


「あった方がいいな。クロ……チョコ、ココア。ココアって甘くて大好きよ。ココア……」


 呼びかけると猫は彼女を見上げ、睫毛を瞬かせている。緑の目はきらきらして、表情豊かな顔が人懐こそうだ。


「気に入った? 狐さんにも名前をつけなきゃ」


 薄暗い部屋を見回し、狐を探した。隅でぼんやりと座っていた狐は、彼女の視線に気づき背筋を伸ばす。垂れていた耳をぴんと立て、黒い目を用心深く細めた。


「コンはどう? 狐ってコンと鳴くでしょう?」


 金色の毛を持つ狐は歯を剥きだし、怒っているように見える。


「コンは嫌なの? 金色……ゴールド。黄色はレモン、タンポポ、ナノハナ……」


 立ち去ろうとする狐に、彼女は慌てた。怒らせてしまったんだろうか。出来ることなら仲良くしたいのに。


「シーザーは? 強そうな名前でしょ。ローマの将軍に出世して、王のような独裁官になった人よ。現代の人が好みだと言うなら……」


 びくんと狐の体が反応し、ゆっくりと振り向いた顔は笑っている。加奈はぎょっとし、まじまじと狐の不気味な笑顔を見つめた。


 狐はその場で行きつ戻りつし、元の場所に戻ろうか加奈のそばに行こうか迷っている様子だ。 


「シーザーで決まりね。ココアとシーザー、わたしは加奈。よろしくね」


 戸惑いながら歩み寄った狐の毛は猫に比べると硬かったが、やはり温もりがあった。




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