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姫神幻想伝奇  作者: セリ
15/53

4  龍宮  ②

 烏流によると、獣が人間を食べることは焔氏によって厳しく禁じられているという。


 住民が死に絶えれば、王の存在意義がなくなってしまうからだろう。死者が死ぬというのも変だな……と加奈は首をかしげた。死者が死んだら、どうなるんだろう。生きている人は皆いつかは死者になるけれど、死者もまた別の何かに変わるんだろうか。


「ここから先は歩くよ」


 烏流に言われ、小高い山の麓で加奈たちはカラスの群れから降りた。

 

 苔むした急な山道は、2人がやっと並んで歩けるほどの幅である。背の高い木立ちの茂みに覆われ、薄暗い。突然何かが飛び出して来そうで、不安そうに周囲を見回す加奈に狼が寄り添う。狼の温もりは、彼女に安心感を与えた。


「獣に食べられた人間は死ぬって、具体的にはどうなるの?」


 沈黙が辛くなった加奈は、片手を狼の首に添え、先頭を歩く烏流に尋ねた。


「消える。獣の一部になると言う者もいる」

「意識も消えるの?」

「さあね」


 烏流は横目で加奈を見た。残酷そうな琥珀の瞳が、彼女の全身を巡る。どこを突き刺せばどんな風に血が噴き出るのか想像しているようで、加奈は背筋を震わせた。


「俺は、喰われたことはないから」


 視線を前に戻す彼の冷ややかさに、質問する気力が失せた。


 獣の一部になるというのは、食物が消化され人間の体の一部になるようなものだろうかと加奈は思う。意識を失い何も考えず、一細胞として生き続けるんだろうか。それとも細胞になっても意識は残るんだろうか。


「蓮婆に頼まれたの何のと話を捏造して、結局僕らを脅しつけてるんだよな。獣杯を探し出し焔氏に献上して、そんなに出世がしたいのか」


 緑青が言い、烏流は露骨に嫌な顔をした。


「出世に興味はない」

「どうだか。僕らを焔氏に引き渡すつもりだろうけど、思い通りにはさせないからな」


 振り返って緑青を見る烏流の顔に、殺気立った薄ら寒い微笑が浮かび、加奈は慌てた。


「獣に食べられないために、何かしておいた方がいいことってある?」

「ちっぽけな獣に憑かれた人間は、どうか喰わないでくださいと強い獣に頭を下げなきゃ生き延びられないってことを、覚えておくんだな」


「獣に頼りきってるくせに自分は強いと勘違いしてる奴って、哀れだよな」


 烏流の顔色が、さっと変わった。緑青に飛びつき、巻き衣の胸ぐらを片手でつかんで持ち上げる。緑青は烏流の腕を捻り上げ、腹部に膝蹴りを食らわせた。


「やめてったら!」


 加奈の言葉が耳に入らない2人は取っ組み合い、地面を転がって山道の端から落ちる。斜面をどこまでも転がり落ち、生い茂った草木の下で姿が見えなくなった。


「緑青! 烏流!」


 加奈は青ざめ、深い藪を見下ろした。光の差さない藪の中は闇に包まれ、2人の返事はない。斜面を下りようとする加奈を、黄櫨が止めた。


「俺が下りる。狼から離れず、ここを動くな」


 足もとを確かめながら慎重に下りて行く黄櫨より、ずっと下方の藪の中で烏流と緑青は殴り合う。烏流が緑青の顎を蹴り上げ、緑青の体が吹っ飛んだ。


「悪いな。筋金入りの戦士なんでね」


 黒い外套をはらりと落とし、烏流は傲慢な目を煌めかせる。


「同い年ぐらいのタリム野郎が嫌いなんだ。運が悪かったな、烏流」


 緑青は俊敏な身のこなしで烏流に近づき、顔を殴りつけた。木にぶつかり崩れ落ちた美少年に、すかさず飛びかかる。


「好き嫌いで喧嘩売って、返り討ちにあう馬鹿な奴」


 言いながら緑青の足をすくって倒し、首に腕を巻きつける。


「一つ言っておく。俺は戦士だが、タリム族じゃない」

「命乞いかよ。つくづく卑怯な野郎だ」


 首に食い込む腕に緑青は咽喉を詰まらせ、烏流は声を上げて笑った。


「命乞いは、おまえだろう。ここじゃ誰も死なないが、外からやって来たおまえがどうかは知らない。首がぽっきり折れたら、それっきりかもしれない。だとしたら……さらば」


 骨の砕ける鈍い音が響く。緑青の折れた首を後ろに引き倒し、烏流は悠然と立ち上がった。


「痛ってえ!」


 背中でぶらぶら揺れる頭を探し、緑青の手が動く。逆さに見える景色に仰天しながら頭を持ち上げ、不器用な手つきで何とか首に乗せた。


「やっぱり死なないのか。つまんね」


 烏流が吐き捨てるように呟き、緑青の顔が怒りの色に染まっていく。


「よくも僕を殺したな!」

「死んでないだろ。残念なことに」

「戦場での話だよっ!」

「……はあ?」


 烏流は、疑わしげな視線を緑青に向けた。


「戦場で俺がおまえを殺したと言うのか? 殺した奴のことは、すべて覚えてるよ。どこから血を流し、どんな死に顔だったかも。おまえを殺した覚えはない」


「僕の心臓をぐさりと突き刺したのは、青い目の奴だった。若いタリム野郎なら誰でもいいんだよっ。うっぷん晴らしをさせてもらうぞ」


 烏流は舌打ちしながらひょいと首をすくめ、緑青の拳が空を切る。


「八つ当たりかよ。おまえ、もしかして最前線にいたか? おまえを殺ったのは少年の集団だったか?」

「だったら何だよ!」


 振り上げた緑青の膝をつかんで突き飛ばし、尻餅をついた黒髪の若者を烏流は見下ろした。


「通称『16部隊』。タリムが征服した他民族の子供の寄せ集め部隊だ。青い目……か。何人かいたが、皆死んだ」


「嘘をつくな。タリムの部隊数は全部で11。部隊名は数字じゃなく、黒豹だの赤鹿だの色と動物名で決められてる。調べはついてるんだよっ」


 烏流は、ぞっとするような陰惨な微笑を浮かべた。


「正式名称は白鼠部隊。12歳以上の異民族の少年が配属され、最前線に送られた。16歳になれば大人の部隊に入れる、それまで生き延びろという意味をこめて『16部隊』と呼ばれたんだ。生き残ったのは、俺だけだけどな」


「ふん。運よく獣が憑依してくれたから、喰い殺されずにすんだだけじゃねえか」

「俺は憑依した獣を飼い慣らし、おまえは出来ていない。力の差は、はっきりしている。いい加減にしないと獣に喰わせるぞ」 

 

 緑青は口元を引き結び、黙り込んだ。悔しそうな表情が無表情になり、柔らかみを帯びた顔つきへと変わっていく。緑青の口角が上がり猫が笑ったような顔になるのを、烏流は唖然として見ていた。


「……おまえ、笑ってるのか?」

「教えてくれ。獣の操り方を」


「はあ? 八つ当たりの後は、へつらいかよ」

「何とでも言え。僕には守りたい人がいるんだ」


「誰だ?」

「誰だろうと、今の僕では守れない。自分自身すら守れないんだから。だから頼む、教えてくれ」

「さっきは俺を殺ろうとしておいて、頭がおかしいのか?」


 草むらを踏みしめる音が聞こえ、雑草をかき分けるように黄櫨が現れた途端、烏流と緑青は口を閉ざした。探るような黄櫨の顔から目を逸らし、2人は睨み合った。





 黄櫨の姿が見えなくなった藪を凝視し、加奈はうずくまっている。


 緑青の胸の怪我はまだ治りきっていなくて、崖に落ちた時の傷が全身についているはず。また傷を増やすことになるんだろうか。もっと悪くすれば命を落とし、もしかしたら黄櫨も――――。


「大丈夫。3人とも無事よ」


 膝の上に突っ伏し、自分に言い聞かせた。辺りはしんと静まり、自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる。木立ちに遮られ星明りすら届かない山道に一人でいると、思いは悪い方向へと向かっていく。


 3人が戻って来なかったら――一人ぼっちになってしまったら――獣が襲って来たら。加奈の不安な思いを察したのか、狼がそばに来て腰をおろす。


「ありがとう……」


 青いたてがみを撫でていると、泣きそうになった。泣いたって何も変わらない。一人ぼっちでも毅然としていられるほど、強くなりたいと思うのに。


 狼がびくりと反応し、加奈ははっとした。黒い毛並のあちこちに怪我の跡があり、左前足の傷はカラスの口ばしに引き裂かれたようで、とくに惨たらしい。


「ごめんなさい。怪我、治ってなかったのね」


 彼女が謝ると狼は深く黒い瞳を彼女に向け、黒い躯体を彼女に寄せた。暖かく優しい気配が狼から伝わり、彼女はまた泣きそうになる。


「優しい狼さん。名前があるといいな。尻尾とたてがみが青だから……青ちゃん」


 狼の目が笑ったように見え、加奈は目を丸めた。


「もしかして笑った? 笑えるの? 変な名前だった?」


 狼は彼女に寄り添ったまま、目を伏せる。加奈は青いたてがみに顔をうずめ、狼の体を静かに抱きしめた。温もりが彼女の不安な心を癒し、優しい気遣いにもしかして雌狼なんだろうかと思う。


「……青ちゃん。いいお母さんになれると思うよ」


 長い時間が過ぎたように感じられた。闇に包まれた藪の中から黒い翼が飛び出し、黄櫨と緑青を小脇に抱えた烏流が加奈のそばに降り立つ。


「無事で良かった……どうしたの、首!」


 加奈は目を見開き、鋭く息を吸い込んだ。緑青の首が、右にずれている。


「烏流にへし折られて、元に戻したつもりだったんだけど……」

「へし折られた……?!」


 気が遠くなりそうな自分を叱咤し、彼女はおそるおそる緑青の首に両手を置いた。力を入れると首はぽきりと音を立てて折れ、ごくりと唾を呑み込む。首を持ち上げそろそろと正常な位置に戻し、視線を上げると緑青が信じ切った目で見ている。


 澄んだ緑の瞳を見た途端、彼女が懸命に抑えていたものが一気に噴き出した。


 烏流は獣を使い、緑青を殺すことができる。わたしだって黄櫨だって、いつ殺されるか分からない。どうしてシギはこんな世界なんだろう。どうしてこんな事になったんだろう。これからどうなるんだろう。運命の理不尽さや自分たちの境遇が哀しくて怖くて、大粒の涙がぽろぽろこぼれ落ちる。


 黄櫨と緑青は、やっぱり可愛いシーザーとココアだ。大切な友人の狐と猫が危険な目に合っているのに、何もできない。わたしは、どうしてこんなにも無力なんだろう。自分が不甲斐なくて情けなくて何もかも嫌になって、ますます涙が伝い落ちる。


「加奈……心配してくれたの?」


 しゃがみ込んで泣く加奈の顔を、緑青が覗き込んだ。黄櫨は腕を組み、口をへの字に曲げて加奈を見下ろしている。


「怖かったのだろう。一人にして悪かった」


 烏流は呆れ返った顔で3人を見回し、溜め息をつきながら夜空を見上げた。




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