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姫神幻想伝奇  作者: セリ
14/53

4  龍宮  ①

 

 焔氏は、爪の手入れに余念がない。ヤスリで丁寧に削り、形を整え、獣毛の筆で花汁を塗る。ランプにかざし赤紫の色合いを確かめ、さらに重ね塗りをする。


 一心に爪を染めている時が最も心落ち着く時間であるはずだが、彼は苛立っていた。タリム族の間で起きたつまらない小競り合いの数々について、報告を受けたばかりである。


 鷲を飛ばしてもシギ国すべてに目が行き届くわけではなく、見えないところで何が起きどんな策謀が為されているやも知れない。その事実は焔氏の不安を煽り、過去の消し去りたい記憶を呼び覚ました。


 何をやってもうまく行かず、父親の叱責と周囲の嘲笑に晒された日々。勇猛だった兄と比較され、身を縮めていた月日。


 兄は戦死し、父は骨の中で眠っている。シギ王となり刃向う者は誰一人いなくなったというのに、じわじわと浸食して来るこの不安は何だろう。


 窓辺に立ち外を眺めている守礼の横顔を見上げ、焔氏の苛立ちはますます募った。同族でさえ信用できないというのに、なぜこの敵国人を重用しているのだろう。


(体内に獣がいるせいか……)


 獣を飼うようになって自分は変わったと、彼は思う。以前は爪を染め、化粧をしようなどとは考えたこともなかったのに。守礼を苦しめつつそばに置きたい自分を、奇妙だと思うもう一人の自分がいる。


「みんな死んでしまえばいい……」


 低く呟く焔氏を、守礼が振り返った。


「今、何と言われました?」 

「何も言っておらぬ。あの娘が気になるのか?」

「どの娘のことを仰っているのか存じませんが、興味はありません」


「ここのところ、ぼんやりしている事が多いな。呼び出しても来るのが遅くなった。さっきは、どこに行っていたのだ? その怪我はどうした」


 守礼は衣の袖をそっと伸ばし、裂傷の走る手の甲を隠した。


「飼い獣に噛まれました。私は、獣の扱いが上手くないようです」

「そうなのか?」


 焔氏は、疑うような目で守礼の手を見やる。


「おまえはいつか私を裏切るだろう。人は皆そうだ。自分のために誰かを裏切り、生き延びる」

「私がもしも裏切るようなことがあれば、それは焔氏様のためです。焔氏様が救われることを願っています」

「シギ人が信じる神の救いか? 生ぬるいな。神は人を罰するために存在する。決して人を救ったりはしない」


 爪に視線を戻す焔氏に、守礼は目礼した。


「東胡様について考えておりました。蛇眼様の仕事を引き継がれたものの、失敗すれば蛇眼様のように罰せられるのではないかと、東胡様はお気の毒にも怖れておいでです」


「東胡……か。役立たずめ」


 かたりと音を立て、赤紫に染まった筆が木箱に収められる。東胡の揺れ動く不安そうな目やびくびくした振る舞いは、焔氏に昔の自分を思い出させ、嫌な気分にさせた。


「不満分子を弾圧するよう東胡に伝えろ。できなければ骨の中で眠ることになると」

「承知しました」

宝蘭ほうらんを呼べ。王の婚約者を自称するような女だ。爪の染色ぐらいはやるだろう」 


 爪をざっと眺め、今日の発色は気に入らないと思いながら、彼は言う。

 宝蘭は、焔氏の兄の婚約者だった女性である。兄が亡くなれば弟が娶るというタリム族の伝統を無視し、彼は彼女を放置していた。


 守礼は深々と礼をし、部屋を出た。扉脇に立つ兵士に命じ宝蘭を呼びに行かせ、1階まで下りる。中庭では四季折々の花が一斉に咲き乱れ、庭石にうっすらと雪が積もっていた。住民の記憶が重なった結果、シギでは四季すべてが一時に現れ、永遠に続く。


 庭の一画で咲く白い椿に、彼は目を留めた。風が吹き、守礼の長い藍色の髪をなびかせる。しばし純白の椿を見つめ、彼は目を伏せた。思いを引き剥がすように椿から目を逸らし、踵を返して裏門に向かう。


 前方から、白い裳に紅い衣を重ねた宝蘭がやって来る。豊満な宝蘭は、タリム族の中で名の知れた美女である。頭を下げた守礼には目もくれず、彼女は通り過ぎざま吐き捨てた。


「男妾め」


 はっと顔を上げた守礼を、彼女は横目で振り返り見る。


「何か誤解しておられるのではありませんか?」

「我が夫となるべき御方の、おまえを見るあの目つき。誤解などであるものか」


「焔氏様は、貴女様を大切に思っておいでです。私など、しもべに過ぎません」

「いずれ焔氏も目が覚めよう。彼の寵愛を失った時の、おまえの顔が楽しみだ」


 憎々しげに守礼を見るや、宝蘭は裳をひるがえした。彼女の後ろ姿を見る守礼の瞳に哀しい光が宿り、瞬時に消え去った。






 その頃、加奈はカラスの大群と共に、龍宮に向かって飛んでいた。

 何層もの厚みを作って重なり合い、器用に翼を羽ばたかせて飛ぶカラスの上に、彼女は座らされている。


 『空飛ぶ絨毯』という言葉が彼女の脳裏に浮かんだけれど、カラスの絨毯は頼りなく、いつ穴があき振り落されるかも分からない。下を見ないようにしていたにも関わらず、つい眼下の崖を見てしまい、彼女は体を硬直させた。


 烏流は、彼女のすぐ上を飛んでいる。彼の黒い翼は無数のカラスが形作っているものの、彼の背中から生え出しているように見える。彼の体の中には獣が棲んでいると今更ながら思い、加奈の背筋が冷たくなる。


 狐と猫は、加奈の隣に座っていた。彼女に向かってしょんぼり並んでうなだれ、意気消沈している様は憐れで、加奈は思わず2匹に手を伸ばす。両手を広げ、狐と猫を同時に抱き上げた。


「2人とも大好きよ。2人がわたしを守ってくれたお蔭で無事でいられて、本当に感謝してる」


 左に狐、右に猫。抱きしめると温もりが伝わってきて、「きゅうううん」と鳴く声が胸に響く。


(やっぱり可愛い!)


 獣の頭部に頬ずりしている間に、強く抱きしめた腕が妙な具合に押し広げられ、加奈は目をぱちくりさせた。


 見下ろすと彼女の腕の中に小さな獣ではなく、2人の若者の顔がある。全裸の黄櫨と緑青が彼女の膝に手をつき、尻尾を振るが如く腰を左右に振り、うるうるした目で見上げている。加奈は、視線をずり上げた。


「いやぁああああああっっ!!」


 絶叫する加奈を含め3人分の重みが一か所に掛かり、耐え切れなくなったカラスが落下する。


「きゃあっ! きゃああっっ!」


 加奈の叫び声が鳴り渡るなか、カラスの絨毯はばらばらにちぎれ、加奈たち3人は崖下に向かって真っ逆さまに落ちていく。


 彼女の体がふわりと浮かび、烏流が見下ろしていた。彼女は彼に抱き上げられ、体をこわばらせて空中に静止したまま、黄櫨と緑青を探した。


 崖の中腹にある木に2人は落ち、跳ね返って谷に茂る木立ちに突っ込み、見えなくなった。

 谷底には渓流が流れ、両脇に迫るように樹木が生い茂っている。加奈は岩の上に降り立ち、2人の名を呼んだ。


「僕らは大丈夫だよ! 烏流、袋をよこせ」


 緑青の声が木々の間から聞こえ、谷に木霊する。


「取りに来い」

「行けるわけないだろっっ」

「わたし、目をつぶってるから」


 加奈は木立ちに背を向けてしゃがみ、両手で顔を覆った。烏流はしかめっ面で背負い袋をかつぎ上げ、木立ちのそばまでひらりと飛ぶ。素っ裸の黄櫨と緑青が、葉の茂った枝で前を隠し樹幹から現れた途端、烏流は吹き出した。


「てめえ! 笑いやがったな!」


 怒った緑青が枝を放り出して烏流に殴り掛かり、軽くよけた烏流はよろめきながら、高らかに声を上げて笑う。


「何て恰好だ。そのままでいろよ。似合ってる」

「うるさい! さっさと袋をよこせ!」


 黄櫨が無言のまま、烏流から背負い袋をむしり取る。巻き衣を引っ張り出しながら、緑青は烏流を睨んだ。


「そこにいろよ、カラス野郎。服を着たら殺してやる。逃げるなよ」

「ここじゃ誰も死なないと、何度言えば……」


 ひいひい腹を抱えて笑い、烏流は涙を拭った。


「こんなに笑ったの、初めてかもしれない。腹が痛い。おまえら、ほんとにカスだな」

「殺すとか死ぬとかゴミカスとか、そんな話はやめて!」

「ゴミカス……傷ついた」


 加奈の言葉に緑青は唖然とし、加奈は3人に背を向けたまま顔を上げて凍りついた。渓流の向こう岸で、一対の赤い眼が光っている。木々の影で黒いものがうごめき、赤い眼を伴って近づいて来る。


「き、きゃ……ああああっ!!」


 加奈が悲鳴を上げると同時に、彼女の前に青いたてがみの狼が現れた。彼女に飛びかかろうとした赤い眼の獣は空中で止まり、額に短剣を受けて粉々に飛び散る。黒く霧散した靄を、カラスの群れが飛び交いながら食べている。


「……きゃっ」


 振り返った狼に腹部をぐいと押され、彼女は狼の背に倒れ込んだ。うつ伏せになったまま狼に運ばれ、黄櫨と緑青のそばにふわりと着地する。こわごわ狼の背から滑り降り、そっとたてがみを撫でると、狼は守るように彼女の前に出た。


「ありがとう、狼さん。誰の短剣? 見事な腕前ね」


 服を着終えた黄櫨が、腰に剣を差しながら片手を上げ、


「戦士だからな、俺は」


 と照れ笑いを浮かべる。


「その戦士とやらも、ここから脱出するには獣に喰われながら、崖をよじ登るしかないな」


 烏流が腕を組み首を傾け、加奈はぎょっとして彼を見上げた。


「序列を決めよう。最上位は俺。俺に従うなら、ここから連れ出してやる」

「いつまでも、ふざけた事言ってんじゃねえぜ」


 緑青が不穏な声色で言い、


「狼が手を貸してくれるだろう」


 黄櫨は、加奈のそばを離れない狼を見やる。


「狼の大きさじゃ、一度に2人運ぶのが限度だ。俺と狼がいなくなった時、残った者は獣に喰われる」


 木立ちの影に赤い眼が見え、加奈は体をこわばらせた。十、二十……数えきれない眼が物欲しそうに彼女たちを見つめ、低い唸り声をあげている。獣はカラスと狼の動向を伺いながら、襲いかかる機会を計っている。


「そんなひどい事を言う人とは、一緒に行かないから」


 加奈は言い、烏流に向き合った。


「獣に喰われたいのか?」

「黄櫨と緑青が一緒でなければ、絶対に行かない」


 強く言い切ると、烏流は驚いたように眉を上げた。加奈は震える手を拳に変えて握りしめ、烏流を睨み上げる。


「黄櫨と緑青を連れて行ってくれるなら、あなたと一緒に獣杯を探す。それでどう?」

「俺が獣杯探しをやめると言ったら、おまえらはここで獣の餌食になるんだぞ。ここの獣は群れを作っている。狼1匹じゃ、おまえらを守りきれない」


「焔氏を殺したいんじゃなかったの? そのためには獣杯が必要なんでしょ? あきらめるわけ? ここは折れて、わたし達を助けて。そうしてくれたら一生懸命、獣杯を探すから」


 こうなったら獣杯を探すしかないと、加奈は覚悟を決めた。見つけた獣杯をどうするかは、見つけてから考えよう。くっと緑青が笑う。


「どうやら最上位は、加奈みたいだな。僕と黄櫨は加奈の護衛だから、次位。烏流、てめえは敵でゴミカスだから最下位だ」


「猫に変化したまま元に戻れない奴が、笑わせる。俺はカラスを自在に操るが、おまえは獣を操れない。だからおまえが最下位だ」

「僕は……」


 緑青は言葉を詰まらせ、くるりと背を向けた。無言の背中が震えているのを見て、烏流が目を丸める。


「もしかして、落ち込んでるのか?」

「やめなさいよ!」


 烏流に腹を立て、加奈は緑青のうなだれた顔を覗き込んだ。睫毛が小刻みに揺れ、形のいい唇が口惜しそうに引き結ばれている。


「緑青……」

「このままでは、すませない」


 緑青は拳を握り締め、緑の目を決然と上げ、烏流を振り返り見た。


「いつか、おまえを殺してやる」

「歓迎するぜ。殺し合いは大好きだ」

「もう! やめて!」


 よだれを垂らした無数の獣に囲まれている。いつ飛びかかってくるかも分からない。そんな時に、なに呑気に罵り合いをやってるのよと叫びたい気分を必死に抑え、加奈は苦労して平静な声を絞り出した。


「殺し合う話は二度としないで。序列なんか、なしよ。みんな平等。誰かに従うんじゃなくて、みんなが意見を出し合うの。烏流の意見も聞いてあげる。期間限定かもしれないけど、今はあなたも仲間なんだから」


「仲間……?」


 琥珀の瞳の美少年は、短く瞬きする。


「その疑問符には同意するよ。珍しいな、カラス野郎と意見が一致した」

「ふん。猫野郎と一致したところで、嬉しくも何ともない」

「何だと」

「そのくらいにしておけ。さっきから背中に殺気を感じてならんのだ。とにかく、ここを出よう」


 黄櫨が緑青の肩に大きな手を置き、後ろを振り返る。烏流は、にやりと笑った。


「言い忘れていた事がある。獣に喰われた時、喰われた人間は死ぬ」

「何だって……。おまえ、ここじゃ誰も死なないと言っただろう」


 緑青は血の気の失せた顔で周囲を見回し、烏流にきつい目を向けた。


「ある場合を除いて、と言ったはずだが?」

「それが、獣に喰われた場合か」


 黄櫨が嘆息を漏らす。緑青は三度瞬きをし、いきなり烏流につかみかかった。


「それを早く言えっ!!」


 烏流は笑い声を響かせながら、ひらりと緑青をかわした。




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