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姫神幻想伝奇  作者: セリ
13/53

3  姫神の里  ⑥


 アシブ神殿の一室で、烏流は蓮婆の手当てを受けていた。腰布一枚で石床に座る烏流の首と腹部に、蓮婆が傷薬を塗る。


「随分やられたのう。おまえさんにしては珍しく。狼と言ったか? シギに狼は、おらんはずじゃが。どこからか流れて来たのかのう」

「あるいは、誰かが獣を隠していたか……」


 傷の痛みに顔をしかめ、烏流は小さく呻いた。


「流れて来たと言えば、あの加奈とかいう娘、生者の国の姫らしい。守礼が生者の国に行けるということは、おまえさん、うまくすればもう一度殺しをやれるかも知れんぞ」


「殺しなら、やってるさ。シギ族の奴隷を相手にな」

「何度殺しても生き返る。血の一滴も出ない。おまえさんにすれば、あんなもの殺しとは言えまい。生者の国の住民を連れて来れば、あるいは生者の国に行けば、血まみれの殺しが楽しめる」


 烏流は首を巡らせ、蓮婆を見下ろした。


「何が言いたい?」


 白髪の呪術師はにやりと笑い、琥珀の瞳を見返した。 





 峠に向かう山道を、加奈と黄櫨は無言で歩いていた。黄櫨がちらちら横目で加奈を見て、何か話したいんだろうかと彼女が思っていると、彼は軽く咳払いし生真面目な視線を彼女に向けた。


「……顔色が良くなったな。食べたせいか」


 腰に吊るした革袋に手を入れ、周囲を見回す。山肌のところどころで水が湧きだし、ちょろちょろと細い水流を作っている。湧水で手早く蜜柑を洗い、黄櫨は加奈に手渡した。


「もう一つ食べておけ」

「うん。ありがとう。黄櫨って清潔好きなのね」

「女性に食べ物を渡すのに、洗わない男はいない」


 照れたように言い、真剣な顔で尋ねる。


「……俺と2人でいるのは、気詰まりじゃないか?」

「どうして? 全然そんな事ないよ」


「そうか。……よかった。よく言われるんだ……女の子に。俺と2人で話すのは、気詰まりだと」

「不思議。黄櫨の話は凄く面白かったし、また聞きたいな」

 

 ちらっと加奈を見やり、黄櫨は「そうか」と満足そうに微笑する。赤く染まっていく彼の耳を、黒猫が引っぱたいた。


「置いて行くぞ、こらァ」

「フギャッ」


 脅し文句に、猫は不満そうな顔で黄櫨の首にしがみつく。猫なのに「にゃあ」と鳴けないんだろうかと、加奈は笑いながら蜜柑を口に入れた。


「……うん?」


 突然黄櫨が立ち止まり、前方を見つめた。道が途切れ、深い森が加奈たちを阻んでいる。


「妙だな。峠に続く道が無くなっている。ここにいてくれ。先を見て来る」


 彼は肩から緑青をおろし、「何かあったら大声で叫べ」と言い残し、森の中に入って行った。

 辺りは静まり返り、風のそよぐ音さえ聞こえない。狭い山道の際まで木々が迫り、月光に照らされた影を地面に落としている。心細くなった加奈は猫を抱き上げようとし、思いとどまった。


(猫じゃないの。緑青は立派な男の子なのっ)


 自分に言い聞かせる彼女の前で、黒猫は耳を動かし周囲の様子を伺っている。鳥の羽ばたく音が微かに聞こえ、迫って来た。加奈たちを見下ろす大木の上にぬっと黒い翼が現れ、樹のてっぺんに黒い外套を纏った少年が降り立つ。烏流は辺りを見回し、加奈の前にすとんと降りた。


「また会ったな、加奈。一人?」

「いいえ」


 体をこわばらせ腰の短剣に手を置く彼女に歩み寄り、烏流は足首に噛みついた黒猫を冷たく見下ろした。


「おまえ、緑青とかいう奴か? 猫だったのか」


 と、思いっきり蹴飛ばす。猫は反転して地面に着地し、毛を逆立て唸り声をあげた。


「この道は消えたよ。シギがこの地に移された時、神の手違いがあったらしい。峠に行きたいなら別の道があるが、行っても無駄だ」

「どうして」

「おまえらが守礼の舟を狙うことは、簡単に推測できる。舟の周囲は、タリムの兵士が固めている」


 待ち伏せされているだろうと、黄櫨も言っていた。黄櫨はどこまで行ったのだろうと、彼が消えた辺りに視線を送る。


「おまえ、生者の国の姫君らしいな。さっき蓮婆から聞いた。ここに来たのは、おまえらと一緒に獣杯を手に入れて欲しいと蓮婆に頼まれたからだ」

「蓮婆に……?」


 どうして蓮婆が焔氏の手下に頼むのだろう。蓮婆は焔氏の味方で、獣杯を焔氏に渡すつもりなんだろうか。加奈の戸惑いと疑念を探るように、烏流は危険で美しい顔を彼女に向けた。


「蓮婆は獣杯を手に入れて、焔氏に代わりこの国の主になりたいみたいだな。おまえにとっても、悪い話じゃないはずだ。焔氏はおまえを焼こうとしているが、俺や蓮婆にそんな悪趣味はない。焔氏がいなくなれば、おまえは助かる」


「焔氏を葬る話か」


 背後から声が聞こえ、加奈が振り返るや否や、抜身の剣を携えた黄櫨が彼女と烏流の間に飛び込んで来た。剣先を烏流に向け、黄櫨は落ち着き払った声で言う。


「下がれよ、カラス。話だけは聞いてやる」

「言葉に気をつけろ」


 少年は、僅かに眉をひそめた。 


「龍宮にいる骨のしもべ共に命じ、手早く獣杯を探す話さ。獣杯から獣を呼び出して飼い慣らし、焔氏を襲わせる」

「焔氏が黙って見ているとは思えんな」


「奴とて獣杯は欲しいだろうな。長年探し続けたが、見つからなかった。獣杯の周囲には、獣には見えないよう結界が張られているらしい。生者の国の姫君なら、結界に妨げられることなく探せるかもしれない。と、焔氏に伝えるよう鷲に命じた。今、この辺りに鷲はいない。何をしようと何を喋ろうと、焔氏に知られる心配はない」


「謀議をやるには、もって来いってわけか。おまえ、何で焔氏を裏切るんだ。蓮婆に高官にしてやるとでも言われたか」


 烏流は、にやりと笑った。額の五芒星が星明りに煌めき、琥珀色の瞳が異様に輝いている。


「焔氏を殺したい。理由はそれだけだ」

「恨みでもあるのか」

「俺は、恨みで人は殺さない。楽しいから殺すんだよ」


 楽しいから殺す、殺したいから裏切る――――。烏流の考え方に、加奈はぞっとした。


「焔氏を葬った後、蓮婆をシギの主に担ぎ上げるつもりか」

「今のところはな」


 烏流は興味なさそうに肩をすくめ、胸に落ちた金茶色の三つ編みを背に払う。


「誰でもいいのさ、シギ王なんて。蓮婆が気に入らなければ、次の候補者に肩入れするだけだ。たとえば、おまえが王になっても俺は一向にかまわない」


「俺か?」


 黄櫨の眉が丸みを帯び、唇が長方形に引き上げられた。笑ってる――――。胸騒ぎを覚え胸を押さえる加奈の隣で、黄櫨は「ふうむ」と考え込む。


「焔氏の獣に対抗するには、より強力な獣が必要だ。それが無理なら、数で攻めるしかない。獣杯から新たな獣を呼び出し、焔氏にぶつける。勝利の後、獣はすべて獣杯に戻す。それで解決だな」


 ――――解決。そう簡単に行くだろうかと、加奈は口をすぼめた。手に入れた力を、簡単に手放せるだろうか。焔氏に代わって君臨した者は、焔氏のように好き放題に振る舞うんじゃないだろうか。第一、獣を獣杯に戻す方法が本当にあるの?


「で、おまえか蓮婆が新しいシギ王になる」


 くすぐるような烏流の声音に、黄櫨の口角が上がっていく。


「俺は、王などという器じゃあない。蓮婆に比べれば、多少マシという程度だ。……にひっ」


 にひ? ――――あああっ! 叫びにならない叫びが加奈の胸の中で木霊し、彼女は黄櫨に飛びついた。


「黄櫨、駄目よ! これ、凄くまずいパターン……」


「コ――――ンンッッッ!!!」


 加奈の言葉は遮られ、狐の遠吠えが響き渡る。黒っぽい巻き衣が宙を舞って地面に落ち、折り重なった布の間から1匹の狐が顔を出した。

 加奈は両手で口を押さえて立ち尽くし、がっくりとうなだれた狐の頭を、黒猫がぽかりと殴りつける。


「……狐と猫か」


 2匹をまじまじと見て、烏流は吹き出した。


「素晴らしい護衛だな、加奈。気の毒に」


 彼女に近づく烏流の前に、狐と猫が並んで立った。歯を剥き出し烏流を威嚇し、加奈を守ろうとする。


「健気だってことは認めてやろう。今すぐこの場で、俺の獣に喰わせてやってもいいんだが?」

「やめて。そんな事をしたら、あなたとは絶対に一緒に行かないから」

「こいつらに手を出さなければ、俺と一緒に来るということか?」


 烏流の目が妖しく光る。獲物を狙う獣のような目で、隙のない優雅な足取りで、彼は彼女に歩み寄った。


「ここでは殺さない。一度しか死ねないんだろ? おまえの初めてで最後の体験が、俺にとってはこの上なく貴重だ。もっと相応しい場所を選びたい」


 足に噛みつく狐と猫を無視し、後ずさる加奈の首をつかみ、彼は彼女の顔を覗き込む。


「この体を焼こうなどと、焔氏の趣味の悪さには呆れる。シギで血を流せるのは、おまえだけだというのに」

「何人の女性を殺したの?」


 震えながら琥珀色の目を見返すと、彼は哄笑した。


「俺は戦場で敵を殺すのが専門、女を殺したことは一度もない。本当は今でもそうなんだが、おまえは俺にとって特別な女の子だよ。芳しい血の香りが、血飛沫を通して俺に移る。想像するだけでくらくらする。血飛沫はいいものさ。命の断末魔の叫び、最後の美だ。ずい分長い間、目にしていない。だが……」


 烏流は、名残惜しそうに加奈から手を離した。


「焔氏が先だ。王と呼ばれる男を殺し、類いまれなる女を殺す。そしてその後、俺は生者の国に渡る。これだから生きる事はやめられない」


 楽しそうに笑う烏流を見返しながら、加奈は懸命に考えた。狂った少年の言葉など真に受けるつもりはないけれど、川岸にタリム族の兵士が詰めているという彼の言葉だけは本当だろうと思う。


 舟が調達できないなら、逃げられないなら、シギに残って戦うしかない。敵は烏流ではなく、焔氏だ。


 焔氏を倒すには、黄櫨が言ったように獣杯から獣を呼び出すしかないのかもしれない。でも、呼び出した獣を獣杯に戻せるだろうか。厄介な獣を増やすことにならないだろうか。

 獣杯が、新たな争いの火種を生むかもしれない。睡蓮が言ったように、誰の手にも渡さない方がいいかもしれない。


「決心がつかないなら、俺がつかせてやろう」


 烏流が手を上げると、夥しい数のカラスが森の木から飛び立った。月も星も黒い群れに覆われ、辺りは薄暗い闇に閉ざされる。足を執拗に攻撃していた狐と猫の首をつかみ、烏流が放り投げると黒い集団が急降下し、加奈は叫び声を上げた。


「やめて! 行く! 行くからやめて!」


 カラスの群れは2匹の真上で消え、「そう来なくては」と烏流は声をあげて笑った。




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