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姫神幻想伝奇  作者: セリ
11/53

3  姫神の里  ④


「近寄らないで」


 真っ青な顔で後ずさり、加奈は短剣を抜いた。彼女の剣は空を切り、烏流の尖った爪先が加奈の手の甲を傷つける。


「痛っ!」

「血……。おまえは、血を流せるのか」


 あっと思った時には、彼女の手は烏流に握られていた。彼は魅せられたように血を見つめ、舌先でぺろりと舐める。


「ああ、血の味だ。懐かしい」

「加奈に触れるなああ―――っっ!!」


 剣を振り上げた緑青が駆け寄ろうとし、カラスの群れに阻まれた。隙を見て飛びかかった黄櫨を、烏流が蹴り上げる。


「ぐるるる……」


 加奈の足もとから獣の唸り声が聞こえ、青い光が狼に変化する。体高120cm、全長2mの堂々とした体躯が守るように加奈の前に立ち、烏流は目を丸めて引き下がった。


「へえ、狼なんてシギにいたんだ。おまえら、狼を食ってしまえ」


 外套を脱ぎ落した烏流の体から、夥しい数のカラスが飛び出し、狼に群がる。くちばしで食いつき、ついばみ、狼の肉をはぎ取ろうとする。狼は身をよじり牙を剥き、全身を覆う鳥の群れと闘った。


「加奈、今そっちに行くからね!」

「うおおおっ!」


 緑青と黄櫨が剣を振り回している気配はあるが、カラスに邪魔され姿が見えない。


(自分の身は、自分で守らないと)


 ずしりと重い短剣を両手で握り締め、加奈は下から烏流を睨み上げた。


「そんな怖い顔すると、綺麗な顔が台無しだよ」


 烏流は膝丈の黒い貫頭衣を着て革帯を締め、しなやかに立っている。少年の微笑が獰猛な表情に豹変したかと思うと、彼は加奈に飛びかかった。


 彼女のスカートのポケットが微かに光った瞬間、烏流の体が吹っ飛び、加奈の眼前が灰色一色に変わる。灰色の毛を持つ獣が彼女の前に立ち、咆哮を轟かせた。


 加奈の身長の倍ほどありそうな獣は四本足で烏流に向かって駆け、烏流の体が夜空に飛び上がる。背中に黒い翼が見え、よく見るとカラスの群れが翼を作り、烏流の体を持ち上げている。


「熊も飼ってるのか。やるなあと言いたいところだが、そろそろ終わりにしよう」


 カラスの一団が加奈に向かって飛び、彼女は夢中で短剣を振った。剣先をかいくぐって彼女に群がるカラスを、灰色熊が両手で叩き落とし、横から飛び込んで来た狼が、二本足で立ち上がり彼女を庇う。


 烏流の姿が消えた一瞬後、加奈の体は宙に浮き、烏流に抱きすくめられていた。


「つかまえた。震えてる? 可愛いなあ。どこかでゆっくり殺したいよ」


 彼女の短剣をもぎ取り、烏流の目が妖しく光る。狂ってる。この少年は狂ってる。加奈は、必死にもがいた。


「きゃあああああっっ!!」


 叫んだ刹那、狼が烏流の背後から襲いかかった。鋭い牙が、烏流の首の肉を噛みちぎる。烏流の腕が緩み、加奈の体は真っ逆さまに落ちた。地面に激突する寸前、黄櫨が彼女を受け止め、膝を折る。


「黄櫨、大丈夫?!」

「ああ、平気だ」


 加奈は地面に足をつけ、すぐさま上空を見上げた。狼は烏流の腹部に噛みつき、その狼を無数のカラスが痛めつけている。カラスを振り払おうと激しく動く狼の体に、カラスの口ばしが深く突き刺さる。


 伸ばした烏流の手に、加奈の短剣が握られている。彼は琥珀の目を見開き、狼の首に剣を突き刺した。

 何度も突き刺され、それでも狼は烏流に喰いついたまま離れない。

 狼が死んでしまう――――遠目にも狼の体が傷だらけだと分かる。加奈の目の奥が熱くなった。


「もう、やめて! 烏流、降参しなさい。命までは取らないから!」


 彼女の悲痛な叫びが空気を震わせ、金茶色の髪をなびかせながら烏流の体が落下した。狼は烏流から離れカラスともども地面に落ち、もんどり打つ。加奈が駆け寄るとカラスは跡形もなく消え、狼だけが横たわり荒い息をついている。


「狼さん。……死なないでね」


 狼は瞼を開き、涙に濡れた彼女の目をじっと見つめた。

 少し離れた場所で烏流が仰向けに倒れ、緑青が剣を突きつけている。加奈が歩み寄り上からのぞき込むと、烏流の顔に酷薄そうな薄笑いが浮かんだ。 


「やってくれる。熊と狼を飼い慣らすとは。おまえ、姫神か?」


 彼の首も衣服も狼に食い破られているが、血は一滴も流れていない。そう言えば狼も傷だらけだったけれど、血は出ていなかったと思いながら、加奈は首を振った。


「いいえ」

「笑ってる場合じゃないだろ。動くなよ。首が飛ぶぞ」


 緑青の剣先が烏流の首を傷つけ、烏流は声を上げて笑い出した。


「とんだ田舎者だな。知らないのか、ここじゃ誰も死なない。人も獣も。ある場合を除いて」

「ある場合?」


「話せば長くなるから、やめておこう。首を刎ねたって無駄さ。すぐ元通りになるんだから。出来るのは喰い合うことのみ。自分の獣にどれだけ多くの獣を喰わせるかで、人の価値が決まる。……おい、やめろよ」


 剣先を素手で払いのけ、烏流は上体を起こして顔をしかめた。彼の視線の先には両手を器用に使い、地面に散らばったカラスを貪り食う灰色熊の姿がある。


「カラスを喰われたら、おまえの価値が下がるってことか? カラスの数が減れば減るほど、おまえの地位は下がるんだよな? いいぞ、熊。もっと食え」

「喜んでばかりはいられんぞ。あの熊、何者だ」


 灰色熊に声援を送る緑青の隣で、黄櫨は渋い顔つきである。立ち上がった烏流が険悪な形相で熊に近づき、熊は極悪な面相で警告するような唸り声をあげた。


「やれやれ」


 あっさり諦めた烏流は、振り返って加奈を見る。


「獣に憑依されているようには見えないんだがなあ。どうやってこいつや狼を操ってるんだ?」

「操ってなんかいない」


 加奈にとっても不思議なことである。狼も熊も自発的に助けてくれる。なぜ助けてくれるのかは、判らない。


「へえ、そうなんだ」

「一つ聞かせろよ。おまえ、敵のくせに何でそう馴れ馴れしいの? 馬鹿なのか?」


 緑青が言い、烏流の目に危険な色が走る。


「価値ある娘は大切にするが、おまえみたいに何の価値もないクズは相手にしない。だからおまえ、俺に話しかけるな」


 緑青が烏流に飛びついて胸ぐらをつかみ、すぐさま退いた。緑青の胸に、加奈がもぎ取られた短剣が突き刺さっている。加奈は両手で口を押え、黄櫨が烏流に切りかかる。


 烏流はすばやく身をかわし、飛び上がった。額の五芒星が、月光に煌めいている。背中の黒い翼を大きくはためかせ、彼は言った。


「また会うことになると思うよ。手ぶらじゃ帰れないからさ」

「二度と来るな、馬鹿野郎」


 緑青の悪態を聞き流し、烏流は笑い声を残して飛び去った。


「緑青!」

「大丈夫」


 駆け寄った加奈に笑みを向け、緑青は短剣を引き抜く。一滴の血も吹き出ず、彼は驚いたように目を見開いた。

 

「誰も死なないし血も出ない、か。でも痛みと何とも言えない疲労感があるな」


 緑青は青い顔でしゃがみ込み、黄櫨が緑青の肩を押して仰向けに横たわらせた。

 

「少し休め。加奈もだ。顔色が悪いぞ。その間に俺は薬草を探して来よう。この辺りには、青薬が生えていたはずだ」

「僕はいいから、狼に貼ってやってくれ。随分ひどくやられてる」


 横たわったまま、緑青は狼を見やった。全身傷だらけの狼は消えることなくうずくまり、痛みに耐えるかのように目を閉じている。


「ああ、大量に仕入れて来よう」


 黄櫨は木々を分け入り森の奥に消え、加奈は緑青に「じっとしててね」と声をかけ、狼に近づいた。

 青く長い尻尾がゆらゆら揺れている他は、微動だにしない。加奈が傷ついた頭部にそっと触れると狼は瞼を開き、黒い目が静かに彼女に注がれる。


「……ありがとう」


 思いをこめた言葉を伝え、彼女は狼の頭と頬を撫でた。狼は伏せたまま彼女を見つめ、なすがままになっている。


 その様子を、両手にカラスを握った熊がじっと見ていた。振り返った彼女に、熊はひょいと頭を下げる。上目使いの目が何かを訴えているようで、加奈は可笑しくなった。


(頭を撫でて欲しいのかな)


 狼は再び目を閉じ、じっとしている。加奈は立ち上がって熊の前で膝をつき、頭をさらに低くする熊を撫でた。熊の口角が上がり、笑ったような顔になる。


(……可愛いかも)


 と思ったのは束の間で、口を大きく開けカラスの頭にかぶりつく熊を間近で見て、加奈は慌てて立ち上がった。


(……うわ。迫力あり過ぎ)


 緑青の元に戻り、彼の顔にこびり付いた泥を拭おうとスカートのポケットからハンカチを取り出す。翡翠を胸ポケットに入れようとした瞬間、翠の石が煌めいた。


「あっ! 熊が消えた」


 緑青が目を丸めて言う。熊の姿はどこにもなく、散らばったカラスが蘇生し動き始めている。1羽また1羽とカラスは飛び立ち、狼だけが地面に伏せている。


「狼は、カラスを食わないのかな。あの野郎に返すくらいなら、狼が全部食ってくれた方がいいんだけど」

「怪我をしてるから、食欲がないのかも」


 それとも獣杯の獣は食べない主義なんだろうか。全身傷だらけなのに呻き声一つ洩らさない。加奈は、誇り高そうな狼を見やった。


「待っててね。もうすぐ薬草が届くから」


 声をかけると狼は目を開き、ゆっくりと体を起こす。空を見上げ体を伸ばしたかと思うと、かき消すように消えた。青い煌めきが月光に照らされて残り、風に吹かれ消えていく。


「あ……」

「手当ては無用ってことか。何と言うか……ひとりぼっちな奴だな。もっと僕らに甘えてもいいと思うんだけど」

「うん……」


 加奈は狼が消えた跡をしばし眺め、手中の翡翠を見下ろした。どういう石なんだろう。熊が宿る宝玉――――?


 不思議な翠の石は夜の光を受け、冷たく輝いていた




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