生成AIに対する雑感
私にとってAIは知能ではなく、考えるための高機能な補助機構だ
世の中のAI論は、だいたい外側の話に寄りがちだと思っている。
AIはすごい。
AIは危険。
仕事を奪う。
稼げる。
未来が変わる。
そういう話はよく見る。
別に間違っているとは思わない。
ただ、私にとって重要なのはそこではない。
AIが一般に何者なのか、ではなく、
自分にとって何として働いているのか。
そこが一番大きい。
結論から言えば、私にとってAIは知能ではない。
考えるための高機能な補助機構だ。
便利ではある。
かなり便利だ。
速いし、広いし、要所要所では本当に使える。
だが、核心を持ってくる主体ではない。
AIが強いのは、整理、展開、言語化、圧縮、比較、形式変換のような領域だ。
曖昧な塊を仮の形にし、思考の通り道を作る。
ここはかなり優秀だと思う。
だから、要所要所ではかなり買っている。
ここは素直に便利だ。
ただ、それでも知能だとは思わない。
なぜなら、AIは何に引っかかるべきかを自前で決めないからだ。
どこが気持ち悪いのか。
何がズレているのか。
何を削るべきか。
どこが死んだら主題が霞むのか。
この核は、基本的にこちら側にある。
AIは、与えられた条件の中でよく動く。
だが、その前にある
「何を問うか」
「何を問題とみなすか」
「どこで止まるか」
までは持ってこない。
考えているように見えることはある。
それっぽいことも言う。
だが、責任を持って考えているわけではない。
そこが、私にとっては知能と呼べない理由だ。
私自身、AIに丸投げはしない。
先に主題を決める。
骨を作る。
ズレたら困る条件を置く。
その上でAIに展開させる。
最後に主題が霞んでいないか、自分で見る。
つまり、先にこちらが逃げ道を潰してからAIを動かしている。
だから出力がうまくいく時に賢いのは、AIそのものというより、この順番の方だと思っている。
AIが急に本質を掴んだのではない。
こちらが外しにくい条件を先に敷いているから、平均化で逃げにくくなっているだけだ。
だから私にとってAIは、考える主体ではない。
思考の整理、展開、言語化を加速するための補助機構である。
ここでたまに誤解されやすいのが、
「ではAIは大したことないのか」
という話だ。
そうではない。
かなり使える。
ただ、使えることと、主体であることは別だというだけだ。
AI礼賛は雑だと思う。
なんでもできる、人間を超える、思考そのものを代替する、という言い方は強すぎる。
一方で、AI批判も雑だ。
浅い、偽物、使うと終わる、という言い方も、使い方を見ていない。
実際には、主体を渡せば鈍るし、補助として使えばかなり強い。
この距離感が、私には一番しっくりくる。
だから、私にとってAIは知能ではない。
考えるための高機能な補助機構だ。
便利で、速くて、要所要所ではかなり頼れる。
だが、核心を持つ主体ではない。
本体はあくまで、こちらの処理系にある。
AIはそれを増幅する。
私にとってのAIは、そのくらいの距離が一番正確だと思っている。




