第5話:質量1キロの平らな三角形と底面温度150度の維持
我は聖剣ブランタンバラン。
かつては異世界ランドラグマにおいて、魔王の強固な結界を打ち破り、闇を切り裂いた伝説の神剣である。
持ち主が望めば、長さも重さも自在に変わり、果ては「なんでもできる」という神の如き権能を有している。その気になれば、天候を操り、海を割り、大陸の形すら変えることが可能だ。
だが、我らが流れ着いたこの平和な「ニホン」において、その強大な力が発揮される機会は未だかつて一度もない。
今日のキリヤ様は、壁のハンガーに吊るされた一枚の白い布――「ワイシャツ」と呼ばれる衣類を前に、深いため息をついていた。
「まいったな……。明日は本命の最終面接だっていうのに、シャツがシワシワじゃないか。クリーニングに出すお金も、アイロンを買う余裕もないぞ……」
キリヤ様は頭を抱えた。この世界の「メンセツ」という儀式においては、衣類のシワひとつが致命傷になり、魔王の呪いよりも恐ろしい「フサイヨウ」という烙印を押されるらしい。
我が主が、たかだか布のシワごときで絶望の淵に立たされている!
我は部屋の隅から、熱を帯びた念話を放った。
「キリヤ様! ご安心ください! そのようなちっぽけな悩み、我が刃に宿る『時空回帰の理』を用いれば造作もありません! そのワイシャツの時間を巻き戻し、工場で生産された直後の真新しい状態へと復元してご覧に入れましょう!」
「いや、時間を操るとか怖すぎるからやめて。万が一俺の年齢まで巻き戻ったら、履歴書書き直さなきゃいけなくなるだろ」
「ならば! 我が刃より『灼熱の業火』を放ち、シワという概念そのものをこの世界から消し去り――」
「シャツごと燃え尽きる未来しか見えないから却下。明日着ていく服がなくなるわ」
キリヤ様は即座に我の完璧な提案を退けた。なぜこの主は、根本的な解決策を提示しているというのに、いつもこうも及び腰なのだろうか。
「あーあ、どうにかして熱と圧力をかけられないかな……」と呟いたキリヤ様は、不意に我の方を見た。そして、またしてもポンと手を打ったのである。
「なあ、お前。俺が望めばなんでもできるんだよな?」
「いかにも! 念じれば氷点下の吹雪を呼び、太陽の如き超高温を纏うことすら――」
「よし。じゃあ、刃の部分を手のひらサイズの三角形にして、完全に平らにしてくれ。重さはぴったり1キロ。で、底面の温度だけを、常に『150度』にキープしてくれ。あ、持ち手のところは熱くしないでね」
「……は? ひゃくごじゅうど?」
言われるがままに姿を変え、指定された絶妙な温度を保つと、キリヤ様は我の柄をしっかりと握りしめた。
そして、床に広げたワイシャツの上に我を押し当て、霧吹きでシュッと水をかけた。
ジュワァァァッ!
「おお! すげえ! めちゃくちゃ滑りがいい! さすが聖剣、謎の超合金だから布へのダメージが全くないぞ! しかもコードレスだから取り回しが最高だ!」
「キ、キリヤ様!? なぜ我の神聖なる刀身を、貴方様の衣類に擦り付けているのですか!? 我は神に鍛えられし――」
「そこ、ちょっと襟の部分にしっかり当てて……よし! 見ろよ、新品みたいにピシッとなったぞ!」
「あいろん……?」
かくして、かつて魔竜の息吹すら跳ね返した聖剣の熱量コントロール能力は、ワイシャツのシワを伸ばすという極めて家庭的なミッションのために行使された。
柔軟剤のほのかな香りと水蒸気に包まれながら、聖剣ブランタンバランは深く落ち込んだ。
しかし翌朝、見違えるようにパリッとしたワイシャツに袖を通し、「よし、これで勝負できる。サンキューな!」と鏡の前で気合を入れる主の凛々しい姿を見て、己の熱量も悪くない使い方だったかもしれないと、密かに誇りを感じてしまったのは言うまでもない。




