16 なんで涙が出るんだろう。
「え、でも、ちょっと待って? じゃああの壺、誰から買ったの!? まさか、オッサン!? それじゃあ、お屋敷のモノを勝手に売り飛ばしたってことになって――」
「亡くなった先代から買ったから大丈夫だ」
先代ってことは、オッサンに殺された奥様ってことね。
「あ……よかった……ちゃんとした取引なら大丈夫だね……え? ってことは。あのお屋敷、前から危なかったってこと?」
「いや、あの家は経済的に悪い状態じゃないよ。取引前にそれくらいは調べるものさ」
「じゃあ、なんで、あの壺を売りに?」
マックは、ちょっと考えて。
「取引の時、亡くなった奥様に不思議な話をされたよ」
「不思議な話?」
「あるところに、先祖伝来のそれはそれは美しい壺があったんだそうだ。代々の当主はそれを愛でた」
どうしてここで壺!?
「不思議なことに、その壺を大切にしない当主の時、家は傾き。当主自身も不幸にみまわれて、家は分家の人の誰かが後をつぐことになり。その人はなぜか壺を愛でる人で。家は盛り返す」
「もしかして、その壺って」
マックはうなずいた。
「多分ね。奥様は明言はしなかったけど、あの壺の話だよ」
「え、それじゃあ……」
マックに壺を売っちゃったら……。
「何代にもわたって壺は引き継がれ、あるご婦人の愛するところとなったそうだ。ご婦人のひとり娘も壺を大切にして、気に入っていたらしい。玄関ホールを通るたびに、立ち止まって眺めたり、ちょっと視線をやったりしてたんだそうだ」
その光景が目に浮かぶ。
美しい壺。青空の壺。
それを愛でるあのお嬢さん。
「だからご婦人は安心していたそうだ。あの子は壺を愛している。家は栄え続ける、つまり、旦那は何か企んでいたようだったけど、それも失敗するとね」
「え、でも……」
「ある日。娘さんはすごい熱を出して倒れて、三日間生死の境をさまよって、奇跡的に回復したんだそうだ。だけど、そのあと、壺に全く関心がなくなった」
「全く?」
「ああ、見事になんにも。足も止めなくなった。よく見ていると、他にもちょっとしたクセとか変わっていて……いろいろ話してみると、思い出は通じる。だけど、どこかひとごとな感じで……ご婦人は娘さんが『娘のカタチをした別のなにか』と思うようになった」
「そんなことって……あるものなの……?」
怖い。
ちょっと前のアタシだったら、なくして困るようなものはなかったけど。
マックへのこの気持ちを忘れてしまったら……。
思わず、きゅっと手を握ると、握り返してくれて、安心する。
「ボクは、骨董にまつわる不思議な話をいろいろ聞いてるからね。『なにかのきっかけで人の中身が変わった』って話を、いくつか聞いたことがるんだ。伝聞だけどね。そして、不幸なことに、分家の人間も、骨董とか美術とかは幾らするか以外、興味がない人間ばかりだったんだそうだ」
「……それじゃあ」
「ああ、そのご婦人は悟ったそうだ。この一族は終わりだって。もう陽は昇らないんだって。壺を手放す時が来たって」
壺はマックの手に渡り。
壺を売ったすぐあと、女主人は亡くなって。
「だったら、あのお嬢さんは、どうなったの? 家は継いだんだよね?」
「別荘に送られたらしい。病気の療養のためだって」
「病気? 高い熱が出たっていうのが治っていなかったの?」
マックは首を振った。
「貴族で、病気療養って言ったら……わかるだろう?」
「それくらいわかるよ! 重い病気で空気のいいところに行ってリョーヨーするってことだよね」
アタシと会った時は、そんな風には見えなかったから、あのあとで急になっちゃったのかな?
マックは、ちょっとためらって、
「……彼女は、キミたちを家にいれようとした。キミを妹に、キミの母上を新しい母に。そうだよね?」
「うん」
「外部の、しかも娼――血筋のあやしげな人間を一族に加えようとした。それは当主としてありえない判断だ。つまり、ちゃんとした判断ができない状態だった。そういうことだよ」
「! アタマが変だから追い出されちゃったって……こと?」
マックはうなずいた。
不意に思い出す。
アタシが地下室で、親戚らしきひとたちに色々聞かれた時。
あの人たち、お嬢様の行動を、何度も何度も根掘り葉掘り訊いて来た。
あれは。
お嬢さんが当主にふさわしいかどうかを、判断するためだったんだ……。
「あの日の夜、分家や寄子の代表が集まって、お嬢さんは、病気で当主の責任を果たせない、ということにしようと満場一致したらしい。王家もそれを認めた。分家の一番血筋が近い人が、暫定当主になったよ」
「だから、アタシは釈放されたの……?」
「キミのご両親が、家を乗っ取ろうとしたという罪は残った。おそらく、そう遠くないうちに判決が出るよ」
彼は言わなかった。
でも、判る。
平民(ママは娼婦、オッサンは一族の外から来たムコさん)がお貴族様の家を乗っ取ろうとしたら……死刑だ。
哀しくはなかった。悲しくもなかった。
彼が、アタシに、真っ白なハンカチをさしだしてくれた。
「え……」
「使って」
「どうして……? え、あ……」
アタシは泣いていた。
つーっと涙が出て来た。
「あ、ありがとう。変だね。かなしくないのに、なんでだろう……」
オッサンに関しては、ほんとうになにもない。
ママに関してだって。
アタシの初めてを客に売り飛ばした、とか。
アタシのあがりを毟り取ってた、とか。
ウソばっかり教えようとした、とか、そんなのしかないのに。
「軽薄で……いい加減で……強欲で……見栄っ張りで……人のきもちとか全然わからなくて……騙されやすくて……でも、平然とウソをついて……人をだますのだって平気で……そんな人だったんだよ……」
なんで、あんなヤツのために。涙なんか流してるんだろう。
マックは、そっと抱きしめてくれた。
「わからなくていいんだ、と思う。わからないことなんて、いっぱいあるんだからさ」
その言葉に、アタシは安心して、しばらく泣いていた。




