『悪役令嬢アルベルティーヌの優雅なる日常』―優雅な仮面を被った論理の獣―
優雅でお淑やかな悪役令嬢を目指していたはずが、少しだけ方向を間違えました。
どうぞ肩の力を抜いて、お読みください。
公爵家令嬢アルベルティーヌ=ヴァルモンは、朝の光を受けた温室で、白磁のカップを音もなく置いた。指先は揺れず、呼吸は一定。微笑みは、鏡に映して何度も角度を調整した“淑女の最適解”だ。
「本日は、良いお天気ですわね」
向かいに座る子爵令嬢が、ほう、と息を漏らして頬を染める。――よし。今日も“お淑やか”のノルマ達成。
アルベルティーヌは心の中でだけ拳を握った。
(……生き残るのよ、わたくし。ここは乙女ゲーム『花冠のエトワール』の世界。わたくしは、王太子殿下の婚約者にして、だいたい終盤で断罪される“悪役令嬢”。)
転生したと気づいた初日、彼女は自室の鏡に向かって三回言ったのだ。「お淑やかに」「お淑やかに」「お淑やかに」。念押しは大事。なにせ原作のアルベルティーヌは、ヒロインを階段から落とし、紅茶に塩を入れ、噂を流し、最後は公開処刑――ではないにせよ、社交界の公開追放コースを華麗に踏む。
(悪役なんて、もうやらない。いえ、やれない。怖い。)
だから決めた。善行に徹し、誤解を招かず、王太子ともヒロインとも距離を保ち、断罪イベントの芽を根こそぎ摘む。名付けて“フラグ伐採令嬢計画”。
ただし、計画にはひとつ難点があった。
アルベルティーヌの中身は、前世で「推しチームが負けた日ほど口が悪くなる」性質を持った人間だったのである。
口調を矯正するため、彼女は毎朝、詩集を朗読した。夕方は礼法教師と歩く練習。夜は笑い方の研究。社交界での噂はこう変化した。
「ヴァルモン公爵令嬢は、氷の薔薇ですって」 「いえ、最近は“慈愛の薔薇”ですわ」 「でも、たまに目が……虎みたいって……」
虎みたい、というのは気のせいだ。気のせいであってほしい。アルベルティーヌは、虎という単語を聞くたび、胸の奥の何かが「うずうず」するのを感じていた。
そして、運命は平然とスケジュール通りにやって来る。
春の夜会。王宮の大広間。シャンデリアが星座のように輝き、貴族たちの会話が波のように揺れる。音楽が一段落した瞬間、王太子セドリック殿下が、真っ直ぐに壇上へ進み出た。
隣には、金色の髪の少女――ヒロイン、リュシエンヌ。
アルベルティーヌは喉の奥がひやりとするのを感じた。ゲームの断罪シーンは、たしか、ここだ。
「皆に告げる」
殿下の声が、空気を切る。
「アルベルティーヌ=ヴァルモン。君の数々の悪行について、証言が集まった」
大広間が一斉にざわめいた。アルベルティーヌは微笑みを崩さない。崩さないが、内心では計画書が燃えていた。
(え。証言? わたくし、最近した悪行といえば、朝のパンを二個食べたくらいよ?)
「リュシエンヌを陰から貶め、彼女の名誉を汚し、侍女に命じて嫌がらせをした、と――」
リュシエンヌが儚げに俯く。周囲の令嬢が口元を扇子で隠して囁く。「やはり悪役令嬢……」「氷の薔薇の棘……」。
アルベルティーヌは自分の侍女マルタを見た。マルタは首を横に振る。真面目な彼女が嫌がらせをするはずがない。むしろ最近は、リュシエンヌの落とした手袋を拾って届けたのはマルタだ。
アルベルティーヌは一歩前へ出た。淑女の所作。完璧。声も柔らかく――
「殿下。恐れながら、わたくしには心当たりが――」
「まだ言い逃れをするのか!」
殿下が言葉を遮った。周囲がどっと沸く。ここで感情的になったら終わり。わたくしは淑やか、淑やか、淑やか――
なのに。
その瞬間、壇上の脇から、見知らぬ男爵令嬢が大声で叫んだ。
「証拠ならありますわ! リュシエンヌ様の紅茶に“塩”を入れたのは、アルベルティーヌ様の侍女だと!」
アルベルティーヌの視界がぐらりと揺れた。
(塩? あれは……“砂糖壺の隣の容器”を間違えた給仕係よ! わたくし、むしろその場で謝罪して、厨房に新しい茶葉まで届けたのに!)
胸の奥で、何かが、ぷつんと切れた。
淑女の微笑みが、すっと消える。
静かに息を吸い、アルベルティーヌは――とても上品とは言えない速度で壇上へ歩いた。
「……殿下」
低い声。会場が凍る。
「まず、塩入れたんは給仕係や。うちの侍女ちゃう」
どよ、と空気がひっくり返った。
アルベルティーヌは気づいた。今、自分の口から出たのは、三か月かけて磨いた王都標準語ではない。別の、獣のような、熱のある言葉だ。
止めようとした。止まらなかった。
「ほんで、嫌がらせ? 貶め? どの口が言うてんねん。証言いうなら名前出せ。いつ、どこで、誰が見た。ふわっとした話で断罪とか、そらアカンやろ」
観衆が固まる中、殿下の眉が震えた。「な、なんだその口調は――」
「口調の話ちゃう。論点ずらすな。今ここ、裁判所ちゃうけど、公開の場で人の人生潰すんやで? せやのに『集まった』て何や。集めたん誰や。集め方は公正か。そこからやろ」
アルベルティーヌは扇子を開いた。いつもの優雅な所作ではない。まるで戦場で旗を掲げるみたいに、ばさり。
「第一、リュシエンヌ嬢。うち、あんたと喧嘩した覚えない。手袋拾うたのも、図書館で席譲ったのも、全部うちや。せやのに『陰から貶められた』て、具体的に何やねん。言うてみ」
リュシエンヌの瞳が泳いだ。「わ、わたしは……皆さまが……そう言って……」
「皆さま、って誰や。便利な言葉やな。“皆さま”はいつでも責任取らんでええからな」
ざわめきが、笑いに変わり始める。貴族たちの肩が微妙に上下している。こんな場で笑いが起きるなんて、ゲームの脚本にはない。
殿下が顔を赤くした。「アルベルティーヌ! 王太子に向かって無礼だ!」
「無礼はそっちや! 婚約者を、証拠薄いまま壇上に引きずり出して、見世物にして。――それで国の舵取りできるんか?」
会場の奥で、誰かが小さく拍手した。ぱち。ぱちぱち。次第に拍手が増える。止めようにも止まらない。
アルベルティーヌは完全に“入って”いた。淑女の仮面は床に落ち、代わりに胸の奥の虎が立ち上がる。
「うちな、我慢してたんや。お淑やかに、お淑やかにって。せやけど、限界あるで。人を断罪するって、もっと重いことや。軽くやったらアカン。――猛虎魂、見せたるわ」
最後の一言が出た瞬間、会場が爆発したように笑った。笑いの種類が、上流階級のそれではない。なんというか、妙に“熱”がある。
殿下は言葉を失い、リュシエンヌはぽかんと口を開け、男爵令嬢の証言者は真っ青になった。
そのとき、宰相が咳払いを一つして前に出た。淡々とした声で言う。
「証言の裏取りが不十分ですな。給仕係の聞き取りも未実施。侍女の関与も確認できず。――よって、本件は差し戻し。王太子殿下、手続きの軽率、誠に遺憾」
殿下の背筋が固まる。
アルベルティーヌは、ふう、と息を吐いた。虎がすっと伏せ、淑女が戻ってくる。彼女は完璧な微笑みに切り替え、扇子で口元を隠した。
「恐れながら、わたくしは公爵家の名誉のため、正式な調査を求めますわ」
口調だけは、いつものお淑やか。周囲が二度目のどよめきを起こす。さっきまでの猛虎はどこへ行ったのか、と。
夜会はそれで終わった。断罪は成立せず、むしろ王太子の軽率さが問題になり、翌日から社交界の噂は一斉に方向転換した。
「ヴァルモン公爵令嬢、強い……」 「怖いのに、なぜか元気が出ますわ」 「昨日の“猛虎魂”って何かしら……新しい礼儀作法?」
数日後。公爵邸の応接間で、アルベルティーヌはマルタにだけ小声で告げた。
「……もう、お淑やかだけでは、生き残れないのね」
マルタは真顔で頷いた。
「お嬢様。次の夜会には、万一に備えて“のど飴”を用意いたします。あの口調、喉に来ますので」
アルベルティーヌは思わず吹き出した。上品に笑う練習はしたはずなのに、その笑いは、妙に気持ちがよかった。
――こうして、悪役令嬢アルベルティーヌは断罪を回避した。
代償として、“前半お淑やか、断罪時だけ猛虎弁”という、世界で唯一の公爵令嬢ブランドを手に入れたのである。社交界では彼女の登場を待つ者まで現れ、誰もがひそひそと囁いた。
「今日の公爵令嬢、虎が出るかしら」
本人だけが、静かに頭を抱えていた。
(お願い。もう二度と断罪イベント、来ないで。次は……次はたぶん、止められない。)
実はこれ、なんJのまとめ動画を見た直後のテンションで書きました。
「悪役令嬢が断罪される場面で、これ来たら空気どうなるんだろうな……」
という軽い思いつきが、そのまま形になったものです。
上品な社交界と、勢いと論理で殴りに行く言葉の温度差が面白かったので、
つい“猛虎弁”という形で全振りしてしまいました。
悪役令嬢ものの断罪って、感情論で流されがちですが、
もし本当に反論されたらこんな空気になるんじゃないか、
という遊び心も少しだけ込めています。
完全にノリと勢いで書いた話ですが、
楽しんでいただけたなら、それ以上に嬉しいことはありません。




