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【小説】ねこ

掲載日:2025/12/15

 猫を見ているおれはどんな顔をしているのだろう。

 ヒロムはぼんやりと考えていた。

 猫は可愛い。それが理由で子どもを産まないカップルが増えて、法皇が苦言を呈したこともある程に猫は可愛い。

 ヒロムの同僚も猫を可愛がるあまり、それを不満に思った恋人と別れたばかりだった。


 しかしどんなに可愛い猫も大きすぎると可愛さを失う。

 その巨大な猫は、虎だとかライオンだとかのサイズでは無く宇宙規模の大きさの猫だった。

 猫の種類は分からない。

 そもそも宇宙サイズの猫に血統などあるのだろうか。交配なんてものをするのだろうか。あまり想像したくない。



 中国の伝説には山奥に巨大な竜が存在していて、その竜が目を開けている時が昼間で目を閉じている時は夜だとか、息を吸っている時は夏で息を吐いている時が冬だとされていたと言う。

 そうでもないと四季だとか日照というのは納得がいかないものだったのかも知れない。

 そういう意味では、近ごろ続く宇宙規模の異常気象も猫の気まぐれが原因だとすると説明はつかないけど納得がいく。


 

「おい、お前は猫派なのにこのミッションに選ばれたんだってな」

 筋肉の塊みたいな体躯のアフリカ系アメリカ人のジョージがヒロムに話しかけた。

 腰に下げた拳銃が小さく見えるが、実際には44口径くらいあるだろう。

 おれのニューナンブとはモノが違うと思いながら、ヒロムはジョージに視線を移した。

「あぁ、犬か猫かで言えば猫派なんだがな。世間一般で言う猫派ほどの愛情を持ってないと診断されたようだ」

 ジョージは真っ白い歯を剥き出しにして笑うと

「そうか。まぁ巨大とは言え好きな猫をぶっ飛ばしに行くんだ、気落ちするなよ」

 そう言ってヒロムの肩を叩いた。


 その手がかすかに震えている気がしたヒロムは途切れそうになった話を続けた。

「おたくはやっぱり犬を飼っているのか?」

 ヒロムが尋ねるとそのアフリカ系アメリカ人の大男ジョージは胸を張った。

「いや、俺が飼い馴らしているのは自分の人生さ」

 やたらに低い声でそう言うと再び笑ったが、聖書に馴染みの無いヒロムにはその冗談がよくわからずに曖昧な愛想笑いを返すのが精一杯だった。


✳︎✳︎✳︎


「お前は大きい猫みたいだな」

 ヒロムを撫でながら言う女の指は少し割れていて、背中に引っかかるようだった。

 女が地肌の上に羽織ったジャケットの階級章は絢爛だった。

 そこまで昇り詰めるにはどうしたものかヒロムには想像もつかなかった。

 勉強をしたくないと言うだけで入隊志願したものの、こういう組織も案外と昇級試験などがあるようで後悔していたけれど仕方がなかった。



 ヒロムの友人が勤める小売り大手の企業も年功序列ではなく、昇進試験があると聞いた。

 全く試験の無い労働と言うものは恐らくこの世に存在しないのではないだろうか。どんな労働も昇級には何らかの形で試験が伴う。

 そう思うと試験ばかりの学生生活はその訓練みたいなもので案外と間違っていないのかも知れない。

 ベッドに腰かけてヒロムを撫でる士官を見上げた。

 この士官も数々の昇級試験を受けたり戦果を持ち帰ったりしたんだろう。

 あまり考えたくもないが枕なんてのも使ったんだろうか。

 その割には荒れた指の感じからして皿洗いを連想させるし、見た目より家庭的なのかもしれない。


 どんな料理を作るんだろう。

 そんな事も知らないのにどう乱れるかだけは知っていることにヒロムは笑った。

 上官は不思議そうな顔をして微笑みながら首を傾げたのが、猫を飼い馴れた人間のそれなんだろう。

 ヒロムは目を閉じて伸びをした。

 いまは、このひとの猫をやろう。

「大きい猫と言ったって、アレほどじゃないでしょう」

 転がって仰向けになると、士官はヒロムの頭を撫でた。

 意識が溶けていく。

「フン。あんなに大きいものを猫と呼ぶ方がどうかしている」

 口元は笑っていたが、目は冷徹な士官のそれに戻っていた。


 なんとか猫であり続けたかったが、こうなってしまってはもうダメだろう。

 ヒロムも頭を仕事に切り替えた。

「地球外生命体が人類とかと同じサイズとは限りませんからねぇ」

「まぁ巨大な生物が地球に来たところで生活に困るだけだからな」

「じゃあ俺くらいが丁度いいですか」

 ヒロムが冗談めかして笑うと士官は軽く受け流した。

「あぁ、わたしの上官でもないからな」

 それが冗談か本気か分からないから、おれはこの階級でやっているのだ。

 ヒロムは頭を離れていく手を寂しく思った。


 広告代理店なんかだとこの後に気の利いた一言を付け加えて盛り上げなきゃならないのだろう。

 噺家でも芸人でもないのだからそれでよいのだと思うが気の利かない人間だと言うレッテルを貼られるかもしれない。

 そうやって自分の事ばかり考えているから駄目なのだろうな、と思いながら目を閉じたヒロムは、上官の少し硬い指先が再び頭を撫でるのを感じつつ眠りに落ちて行った。


✳︎✳︎✳︎


 作戦と言ってもいい加減なものだ。

 宇宙サイズの猫に通用する攻撃なんてものはあるはずもなく、仕方がないから中から壊そうと言う計画だ。

 壊そうと言えば聞こえが良いが、結局は殺すと言う事なのであまり気分の良い作戦ではない。

 気分の良い作戦なんてものはないと言う士官の顔を思い出しながらヒロムは遠ざかる地球を見た。

 殺したあとにどうするのか、いま地球ではその会議をしているらしい。

 悠長なものだ。



 ヒロムが乗っている宇宙戦艦に搭載されているのはレールガンだとかビーム砲台などと言う気の利いた近代兵器ではなく大量の玉ねぎである。

 量にしておよそ5,000万トン。

 目測で宇宙サイズの猫の質量を50億トンとして導き出した量だと言う。

 その玉ねぎで宇宙猫を斃すと言うのが本作戦の内容である。

 そんな単純な話で済むのか分からないが、やってみない事にはわからない。

 これで宇宙サイズの猫を殺せれば地球は助かる。ダメだった場合は他の作戦が遂行されるのだろう。

 だがヒロムにはその作戦がどんな作戦かはわからないし、わかる未来もない。



 窓の外にはデモ隊がV字陣形を組んで宇宙戦艦と並行に飛んでいるのが見えた。

 黒地に髑髏模様のスペースシェパードは現在も元気に活動している。

 猫を殺すな、と言う主張もわからなくもないがあのサイズの猫を猫と認識できるのは画面を通して観ているからだ。

 実際に目にするとどうしようもない。

 宇宙戦艦が向かう先の宇宙猫は日々大きくなっていく。

 猫が成長しているからかも知れないが、単純に距離が近づけば巨大化する。

 当然なのだが認識にズレが生じそうになる。あんな巨大な猫を大量の玉ねぎで斃そうと言うのだ。

 無謀にもほどがある。


 目標となっている宇宙猫の手はどこぞの星系から引っ張り出された惑星を肉球に挟んで弄んでいた。

 あれを太陽系でやられたらたまったものじゃない。

 いや、いっそそうなってくれたら士官が他の男と寝る想像をしながら死ななくて済む。



「ヒューストンより神風、ヒューストンより神風。聞こえるか」

 通信でヒロムの意識が呼び戻された。

「こちら神風、ヒューストン聞こえています。どうぞ」

「まもなく作戦開始ポイントに到達する。準備はどうか」

「神風、総員準備オーケーです」

「総員?冗談は止せ、これは真面目な作戦なんだ」

「神風、冗談は止します」

「よろしい、それでは直前になったら連絡を入れる。便所は済ませておけ」

 そう言って通信は切れた。

 その通信と同時にヒロムはバーチャルタルパの電源を切った。

 最後に話すのはあの人にしたかった。

 死ぬ間際まで筋肉質なアフロと喋っていたくなかった。


 士官は冗談を言うなと言っていたのだ、この通信が切れたら便所に行っておけと言う事なのだろう。

 ヒロムは誰もいない船室で窓に向かってションベンを垂れたると、まるで地球にションベンをしているような気分になった。

 むかし東京湾に浮かぶ海ほたると言う施設でトイレに行った際に大海原に向かって放尿する快感に震えたのを思い出す。

 さすがに宇宙から地球に向かって放尿できる快感を得られるのはおれくらいなものだろうと思うとヒロムは少し気が晴れた。

 地球を眺めながらあの人を後ろから突いたらどんな気分だろう。


 窓を伝うションベンは足元に大きな水溜まりをつくった。

 帰還する予定も無いのだからどこをどう汚そうと知った事ではない。

 実際に船室は食べカスや吸い殻で汚く散らかっていた。

 片道分の燃料とはよく言うが、その燃料タンクの残り半分にまで玉ねぎを詰めるなんて馬鹿馬鹿しい。

 それなら人が乗る必要だって無さそうなものだが、万が一の故障だとか不具合を考えると完全に無人と言う訳にはいかないと言う話だった。

 地球規模のくじ引きではずれを引くとは参ったな。──いや、当たりか。最後にあの人と眠ることができた。

 ヒロムがため息をつくと窓は白く曇った。

 


 今ごろみんなどうしているだろうか。

 おれは惜しまれながら死んでいく英雄になれているだろうか。

 自分のようなくだらない存在が教科書に乗れるチャンスはこれくらいなものだろう。

 金も貰えたし両親にはラクをさせてやれるが、さてどうしたものか。

 嫁も子どももいない。──あのひとのなかに新しい生命が発生していなければ。

 ヒロムはぐるぐると埒のあかない考えを棄てて、残り少ない煙草に火をつけた。


 

 巨大な宇宙猫が巨大な欠伸をしているのが目に入った。

 子どもの頃にテレビで観た、大きな鯨が口を開けている時に覚えた恐怖とにた感覚が背中を走った。

 だがもう引き返せない。

 あと5回ほど欠伸をすると、それが突入の合図と言うかチャンスと言うかそういうやつらしい。

 あの人はそう言っていた。

 運動不足になるからと渡されたトレーニング映像の円盤も見飽きたし、映像ばかりだと脳味噌が衰退するからと渡された官能小説も読み飽きた。



 ションベンで汚れた窓を眺めながら、猫でも持ち込めば良かったなと思った。

 宇宙サイズの猫は再び大きな欠伸をしていた。あと3回か、と思った。

 あの猫を見ているおれはどんな顔をしているだろう。

 あの人に少しは似ているのだろうか。

 窓に映る地球は、あの人の目とは似ても似つかなかった。

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