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SIN〜シン〜 選ばれなかった少年は、悪魔と共に“死神の眼”で神を斬る  作者: 神野あさぎ


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第六話 絵に描かれた神

 世界が、色で満たされた。


 絵神が振るう羽ペンの軌跡が、空間そのものを塗り替えていく。

 線が走り、光が散り、音が消える。

 次の瞬間、描かれた“絵”が実体を持ち、火の矢となって放たれた。


 無数の炎が弧を描き、夜空の流星のように降り注ぐ。

 熱風が巻き起こり、神殿の柱が軋んだ。


 アヴェルスは静かにフルーの背を押した。


「行け」


 その一言に、フルーは息を呑む。

 足元の床が熱に揺れ、空気が焦げている。

 火の矢をかわしながら、彼は神殿の奥へ駆け出した。


 床に描かれた模様が波打ち、炎の反射で紅に染まる。

 熱が頬をかすめ、汗が頬を伝った。


 フルーは眼帯を外した左眼――死神の眼で“線”を捉えた。

 炎の渦の中にも、確かに存在している。

 存在を繋ぐ“線”。 この世界の根を成すもの。


(この線を……なぞれば)


 息を整え、フルーは短く吐息を漏らす。

 次の瞬間、地を蹴った。

 火の矢の隙間を縫い、一直線に駆け抜ける。


 指先が線を掠めた。


 瞬間――炎の矢が形を失い、崩れ落ちた。

 音もなく、熱も残さず、ただ“消えた”。

 存在のつながりが、断たれたのだ。


 対するアヴェルスは悠然と歩いていた。

 焦げ跡ひとつ付けず、冷たい視線を保ったまま。

 彼の周囲に浮かぶ金属が音を立て、やがて槍の形を成す。


 飛来する攻撃を、彼は無造作に槍で撃ち落としていく。

 衝撃が神殿の壁を裂き、粉塵が舞った。

 その目は、隅に隠れて祈る神官たちに向けられていた。


「お前たちの祈りは、もう届かない」


 低く冷たい声が響く。

 その瞬間、モドキが地を這う影のように姿を変えた。

 丸みを帯びた体が一瞬にして巨大化し、獣のような魔物へと変貌する。


 金属の牙が閃き、神官たちを呑み込んだ。

 悲鳴は短く、そしてすぐに沈黙が訪れた。


 血ではなく、闇の粒子だけが舞った。


 一方、フルーはすでに前線へと辿り着いていた。

 絵神の創り出した“絵の獣”を斬り裂きながら、真っ直ぐに駆ける。

 筆で描かれた狼、蛇、鳥――そのどれもが現実を侵食する幻影。

 だがフルーの眼には、それらの命脈を結ぶ線がすべて見えていた。


「死神ぃ!」


 絵神が目を見開いた。

 その声には驚愕と、そしてかすかな愉悦が混じっていた。


 フルーは立ち止まり、絵神の正面に立つ。

 距離はわずか数歩。

 絵神の背後では、まだ塗り終わらぬ巨大な絵が脈動していた。


「お前は……どう思ってる?」


 フルーの問いに、絵神が首を傾げる。


「どう?」


 静寂。

 熱気の中で、フルーの声だけが真っ直ぐに響いた。

 彼の右眼は青く、左眼は赤く光っていた。


「どう思っている。

 ――能力者が無能力者を差別する、この世界を」


 その声には怒りでも悲しみでもなく、ただ真実を知りたいという意志だけがあった。

 神が人をどう見ているのか。

 それを、この眼で確かめたかった。


 絵神は短く息を吐き、鼻で笑った。


「はっ。

 能力者も無能力者も、ただの駒だよ」


「……なに?」


 フルーの心が凍りつく。

 絵神は楽しげに笑いながら言葉を続けた。


「能力者はまあ、使える方だけど――無能どもはどうしようもないね。

 絵にする価値もない。

 だから、塗り潰すだけ」


 その言葉は、刃よりも冷たかった。

 フルーの胸に、あの日の記憶が蘇る。

 “廃棄”と告げられた声。

 誰も手を差し伸べなかった絶望。


「だから、簡単に捨てるのか?」


 フルーの言葉に、絵神の笑みがわずかに歪む。


「あ?」


「選ばれなかった人間を、不要だと決めつけて……

 お前たちは、それで世界を回してるつもりか!」


 声が震え、拳が強く握られる。

 その怒気を前に、絵神は薄く笑った。


「何のことだか知らないけどさ。

 人間なんて吐いて捨てるほどいる。

 どう扱おうが、ボクたちの勝手だろう?」


 軽やかなその声が、火の粉のように冷たく胸を刺す。

 フルーの中で、何かが弾けた。

 “選ばれなかった”記憶が、炎のように蘇る。


 絵神は羽ペンを再び宙に掲げた。

 ペン先から光が散り、空間に白い線が走る。


 ――筆が描く軌跡が、また現実へと変わっていく。


 獣の影が唸り、炎の鳥が舞い、刃の雨が降る。

 描かれたものが次々と命を得て、神殿の空を埋め尽くした。


 絵神が笑う。


「――さあ、続きを描こうか。」


 フルーの胸の奥に、怒りとも悲しみともつかない熱が灯る。

 人の命を“駒”と呼ぶその存在が、神を名乗ることが――許せなかった。


 だから、彼は静かに囁く。


 ――この眼で、終わらせる。


 フルーは左眼を見開いた。

 世界の輪郭に、再び“線”が走る。

 絵に宿る存在の結び目――その脆く細い継ぎ目が、光のように浮かび上がった。


 彼は地を蹴る。

 風を切り、影のように駆け抜ける。

 指先でその線をなぞり――そして、絶つ。


 空を舞う獣の影が、裂けるように崩壊した。

 塗られた色が剥がれ、形が音もなく崩れ落ちていく。

 世界から“絵”が剥がれ、白紙が露出した。


 その勢いのまま、フルーは絵神へと迫った。

 手刀を構え、左眼で神の“命の線”を見据える。


「……終わりだ」


 光が閃き、空気が震える。

 斬撃の軌跡が、絵神の身体をなぞった。


 遅れて、赤が弾ける。

 絵神の身体がよろめき、赤い飛沫が宙に散った。


 少年のような神の顔に、驚愕の色が浮かぶ。

 金の瞳がかすかに揺れ、息を詰まらせた。

 半歩、後ずさる。

 それでも絵神は、羽ペンを再び掲げた。


 空間が歪み、フルーの頭上に影が生まれる。

 筆が描く巨大な槍。

 光と色が渦を巻き、形が瞬く間に具現化していく。

 絵神の描く線が音を立て、槍が空中に固定された。


 絵神は唇の端を吊り上げる。


「これで終わりだ」


 槍が落ちた。

 轟音とともに、巨大な影がフルーを呑み込もうとする。


 だが――その瞬間。


 金属がうねった。


 アヴェルスの能力が発動し、金属の奔流が槍を包み込む。

 渦を巻く鉄が軌道をねじ曲げ、鈍い音を立てて逸れる。

 槍はフルーのわずか横を通り抜け、床を砕いて突き刺さった。


 火花が散る。

 破片が宙を舞い、金属の残響が耳を打った。


 フルーは一瞬も振り返らなかった。

 前だけを見ていた。


 視界の中、絵神の身体を走る“線”が脈動している。

 命の通う脆い糸――それが、ゆらりと光った。


(今度こそ……)


 胸の奥で、何かが弾けた。

 フルーは地を蹴り、下から上へと手刀を振り払う。


 光が奔る。

 空間が裂け、音が止む。


 すべてが、静寂に包まれた。


 床に赤が散り、染みを広げていく。

 絵神の身体が、静かに崩れ落ちた。

 その瞳には、まだ信じられないという色が残っていた。


 ――神が、斬られた。


 神殿の奥でその光景を見ていた老神官は、震える手で杖を支え、膝をついた。

 祈りの言葉は、もはや出てこない。

 ただ、恐怖と崇拝の入り混じった眼差しで、フルーを見つめていた。


「……まずは一人、か」


 アヴェルスが静かに歩み寄ってくる。

 軍服の裾が血を払うように揺れ、革靴が赤を踏みしめた。


 フルーは息を整え、床を見つめた。

 熱い血の匂いが鼻を刺す。

 斬ったのは神。

 それでも、胸の奥には重く沈むものがあった。


「虚しいもんだな……」


 小さく呟いた声は震えていた。

 それは勝者の言葉ではなかった。

 ただ、人間としての痛みだった。


 背後から、アヴェルスの声が落ちる。


「にしてもお前――あの場面で突っ込むか? 普通」


 その声は、少し呆れたようで、しかし優しかった。

 もし金属の盾が間に合わなければ、フルーは確実に貫かれていた。

 それでも彼は、迷わず突き進んだ。


 フルーは振り返り、ゆっくりと笑った。


「信じてたから」


「……何をだ?」


「お前のこと」


 短い言葉。

 それだけで十分だった。

 アヴェルスの青い瞳がわずかに揺れ、静かに微笑が浮かぶ。


 血の匂いの中で、ほんの一瞬だけ、空気が柔らかくなった。


「ちょっとちょっと! おれのこと忘れないでよね!」


 すっかり“ましゅまろモード”に戻ったモドキが、床を跳ねながら叫んでいた。

 その声に、フルーは吹き出す。

 アヴェルスも、小さく肩を揺らした。


 神を斬った夜。

 世界は確かに、少しだけ音を失った。

 けれど、三人の足音だけが確かに響いていた――

 新しい戦線(せかい)へ向かうために。

 

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