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SIN〜シン〜 選ばれなかった少年は、悪魔と共に“死神の眼”で神を斬る  作者: 神野あさぎ


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第五話 神の座する場所

 朝。

 街の空は淡い金色に染まり、もう人々の喧噪が始まっていた。

 漆の国――芸術と音楽の国。

 通りは色とりどりの布と灯で飾られ、香辛料と花の香りが風に混ざって流れていく。


 楽師たちが奏でる旋律と、露店の呼び声。

 それらが重なり合い、世界全体がまるで一枚の絵画の中にあるようだった。


 フルーはその中を、アヴェルスとモドキと並んで歩いていた。

 行き交う人々の笑顔は眩しく、昨日の夜の光景が嘘のように遠く感じられる。


「この先の神殿を目指す」


 アヴェルスが歩を止め、指を伸ばした。

 指先の先――白い大理石の神殿が朝の光を受けて輝いていた。

 周囲の喧噪の中でも、そこだけが異様なほど静まり返っている。


「この先に……神がいるのか」


 フルーは喉を鳴らした。

 胸の奥がひどく重い。

 神という存在が実在するのかすら信じきれない。

 けれど、確かに――目の前には“神の領域”があった。


「まあ、気負わずに行こうぜ!」


 モドキがいつもの調子で笑う。


「お前はもう少し緊張感を持て」


「なにをー!?」


 二人のやり取りに、フルーは思わず噴き出した。

 ほんの一瞬、緊張が和らぐ。


 神殿へ近づくにつれ、街の喧噪は次第に遠のいていった。

 賑やかだった音が消え、彩り豊かな通りが次第に色を失っていく。

 空気が冷たく、張り詰めたように重くなった。

 まるで、世界そのものが“息を潜めている”かのようだった。


 やがて、神殿の前で三人の足が止まる。


「……マナの感知反応、確認!」

「本物の悪魔だ!」


 白い外套をまとった男たち――神の代理人たちが現れた。

 彼らは素早く札を掲げ、輝かせながら詠唱を始める。


「通信符、発動。神殿へ報告します!」


 札が光を放ち、符が宙に溶けて消えた。

 眩い光が残り香のように漂い、空気が一層張り詰める。


 代理人たちは警戒の目をアヴェルスに向けたまま、震える声で口を開いた。


「悪魔よ、ここを誰の領域と心得て──」


「知ってる、神っしょ」


 モドキがあっけらかんとした口調で返した。

 緊迫した空気をものともせず、尻尾を揺らしている。


「この少年が、神に会いたいと言っててな」


「ボク!?」


 突然、アヴェルスが話を振る。

 フルーは思わず声を上げ、青い右眼をぱちくりとさせた。

 まったく準備のないまま、視線を浴びて立ち尽くす。


 代理人たちは顔を見合わせ、互いに頷き合った。

 そして、動いた。


 複数の影が一斉に杖を構え、光の陣を描く。

 魔法陣の紋が地面に広がり、冷たい空気が肌を刺した。


「囲まれた」


「ああ」


 フルーの背筋に冷たい汗が流れる。

 だが隣のアヴェルスは、一歩も動かずに笑った。


 ――次の瞬間、彼が指を鳴らす。


 乾いた音が響き、地面から無数の黒い槍が突き上がった。

 それはまるで、影そのものが形を取ったかのようだった。


「た、助け……!」

「ひぃ……!」


 叫び声が上がる。

 槍は代理人たちの身体を容赦なく貫き、光の紋章を粉々に砕いた。

 息を呑む間もなく、声が途切れる。


「ご主人様あああああ! おれにも当たりかけたあああ!」


 モドキが地面を転げ回っていた。

 槍がほんの数センチのところで彼女をかすめていたのだ。


 フルーは目を見開き、唇を震わせた。

 言葉が出ない。

 目の前で、命が音もなく消えていく。


 アヴェルスはその横で、微動だにせず顎を上げた。


「行くぞ」


 短く、冷たく、しかし絶対的な声。

 その一言に迷いはなかった。


 フルーは震える喉で小さく息を吸い、頷いた。

 そして、彼の背を追う。


「ちょっと! スルーしないでよ!」


 モドキが尻尾をぶんぶん振りながら抗議する。


 三人は神殿の大階段を静かに登っていった。

 その足音が、石壁に低く反響する。

 まるで、世界の“上位”へと足を踏み入れる儀式のように。


 陽光が背を照らし、白い階段が金色に染まる。

 誰も言葉を発しなかった。

 ただ――

 “神の座する場所”へ向かう音だけが、静かに響いていた。


 そのころ、神殿の奥。


 巨大な水晶の前で、神官たちが慌ただしく儀式を続けていた。

 水晶の中には、外の光景が映し出されている。

 槍に貫かれて死に絶える代理人たちの姿――そして、悪魔の影。


「ほ、本物だ……悪魔……!」

「ひぃ……!」


 恐慌状態に陥った神官たちを、一声が制した。


「うろたえるな」


 杖を鳴らしながら、老神官が前へ進み出る。

 白髪を後ろで束ね、深い皺に刻まれた顔。

 威厳に満ちてはいたが、その瞳の奥には隠しきれない怯えが滲んでいた。


 そのとき――回廊の奥から、軽やかな足音が響いた。

 規則的で、まるで調子を刻むような足取り。

 やがて、一人の少年が姿を現す。


 金の瞳に、絵筆のような羽ペンを携えている。

 白衣の裾を引きずりながら、ゆったりと歩くその姿は、どこか人間離れしていた。


 ――それが、“絵の神”だった。


「ボクの庭で、好き勝手してくれるね」


 少年は窓辺に立ち、外の光景を見下ろした。

 その微笑みは美しく、同時に残酷だった。


「出迎えの準備を」


「はっ!」


 神官たちが一斉に動き出す。

 少年はその背を見送りながら、楽しげに目を細めた。


「遊んであげるよ、悪魔」


 その声は、まるで絵筆がキャンバスを裂く音のように甘く響いた。


 やがて、神殿の扉が軋む音を立てて開く。

 冷たい空気が吹き抜け、外の光が差し込んだ。


 アヴェルスとフルー、モドキは無言のまま中へと歩み入る。

 扉が閉じた瞬間、空気が一変した。

 空間そのものが、見えない“圧”を孕んでいる。


 そして、四方の壁から無数の攻撃が放たれた。

 火、水、氷、風――あらゆる属性の魔力が一斉に解き放たれ、轟音と閃光が走る。


 アヴェルスは一歩も動かず、静かに片手を上げた。

 その足元から光が滲み、金属が生まれる。

 流れるように壁を形作り、瞬く間に三人を包み込んだ。


 全ての攻撃が金属の壁に弾かれ、砕け散る。

 神殿の中に、爆音と静寂が交錯した。


「金属生成能力……?」


 フルーが息を呑むと、モドキが軽く答える。


「そだね」


 淡々と返す声が、不思議と心強かった。


 フルーはゆっくりと眼帯に手をかける。

 布を外すと、赤い左眼がわずかに光を宿した。

 空間のあらゆる“線”が、彼の視界に浮かび上がる。

 命の流れ、エネルギーの流れ、そして――存在の綻び。


 アヴェルスは一度、金属の壁を下ろした。

 重く鈍い音を立て、金属が崩れ落ちる。


 静寂。

 その直後、軽やかな拍手の音が響いた。


「さすがだね」


 声の主は、玉座の前の階段に立っていた。

 白い衣をまとい、金の瞳を持つ少年。

 その顔には、無邪気な笑みが浮かんでいた。


 フルーは思わず声を上げる。


「こ、子供!?」


「神は不老長寿の人間のことを言うからね」


「!?」


 モドキが補足する。

 神は老いぬが、不死ではない。

 見た目はフルーと変わらぬ年頃――だが、その瞳の奥には何百年もの静寂があった。


「何しに来た?」


 少年――絵神は軽く顎を上げ、鋭い視線で睨みつけた。


 アヴェルスはわずかに肩をすくめ、いつもの調子で答える。


「こいつが、お前に用があるってよ」


「ボ、ボク!?」


 突然の振りに、フルーは声を裏返らせた。

 視線を集められ、固まるしかない。


 絵神は首を傾げ、アヴェルスを見据えた。


「死神と……何? 君は、なんの悪魔?」


 奥では、老神官が震える手で祈りを捧げている。

 杖を握る手は汗に濡れ、声も掠れていた。


 アヴェルスは微笑みを浮かべ、低く言葉を紡ぐ。


「なんだろうな? 確かめてみればいい」


 その一言に、絵神の眉がわずかに動いた。


「この戦闘狂め」


 モドキが尻尾を振りながら嘆息する。


 戸惑うフルーの肩に、アヴェルスがそっと顔を寄せた。

 低く、静かな声が囁かれる。


「お前なら、やれる」


 それは命令ではなかった。

 信頼にも似た、確かな言葉だった。


 だが、次の瞬間――空気が再び張り詰める。


「神殺しの真似事か? ……反吐が出るね」


 絵神が吐き捨てるように言い、羽ペンを宙へかざす。

 白い光がほとばしり、空中に線が走った。


 ――筆が描く軌跡が、現実になる。


 キャンバスのない空間に、色が生まれ、形が宿る。

 描かれた獣が咆哮を上げ、実体を得て飛び出した。

 神殿の壁が色彩に染まり、空間そのものが“絵”に変わっていく。


 現実が、神の想像に書き換えられていくのだ。


「始めようか。

 ――ボクの絵の中で、塗り潰される覚悟はできてる?」


 絵神の声が甘く響いた。

 フルーは無言で一歩前に出る。

 眼帯を外し、赤い左眼が光を帯びる。


 視界に広がる“線”――存在と想像を繋ぐ命脈。

 そのひとつを、フルーは静かに見据えた。


 悪魔と神。

 そして“線を断つ者”。


 三つの力が、ついに同じ場所で交わろうとしていた。


モドキは女の子

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