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SIN〜シン〜 選ばれなかった少年は、悪魔と共に“死神の眼”で神を斬る  作者: 神野あさぎ


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第四話 夜に響く声

 夜の街は、昼とはまるで違う顔をしていた。

 灯りが石畳を柔らかく照らし、屋台からは香ばしい匂いが漂ってくる。

 笑い声と楽器の音が混ざり合い、どこか幻想めいた温かさを帯びていた。


 フルーは手の中の小銭を握りしめながら、ゆっくりと通りを歩いていた。

 何を食べようか――それを考える時間だけが、今の彼にとってわずかな安息だった。


 昼間に見た暴力の光景。

 誰も止めず、誰も疑問に思わなかったあの現実。

 その痛みはまだ、胸の奥で燻っていた。


「どうせなら……一緒に食べたかったな」


 小さく呟いた声に、肩に乗るモドキが即座に返す。


「ご主人様と? やめとけ!

 フルー君にはおれがいるでしょ!」


 明るい声に、フルーは思わず笑みを浮かべた。

 ほんの一瞬だけ、世界が優しく見えた。


 そのときだった。


「出ていけと言ってるだろう!」


 怒鳴り声が夜の喧噪を切り裂いた。

 フルーは足を止め、声のする方へ視線を向ける。


 通りの隅。

 屋台の陰で、男が女を地面に押さえつけていた。

 女の腕には、小さな子どもが必死にしがみついている。


「お願いします、娘の分だけでも……!」


 女の声は掠れて震えていた。


「無能力者にやる食料はない!」


 男の掌に赤い光が宿る。

 炎が生まれ、空気が焦げた。

 その表情には、支配する側の傲慢さと残酷さしかなかった。


 昼間にも似た光景を見た。

 だが今は――もう見過ごせなかった。


 フルーは自然と歩き出していた。


「おい、何をしている」


 自分でも意識するより先に、声が出ていた。

 男が振り返り、鋭い目でフルーを睨みつける。


「なんだ? 無能力者の仲間か?」


「だったら?」


 挑発するように返す声。

 胸の奥で、何かが静かに燃え上がっていた。


 男の掌から炎が広がる。

 赤い光が夜を裂き、屋台の影を震わせる。


「見せしめに、殺してやる! 無能どもは俺たちに逆らうな!」


 怒声とともに、炎が弾けた。


 その瞬間、フルーの体が反応していた。

 肩からモドキが飛び降り、影のように地に着く。

 フルーはゆっくりと左眼の眼帯に手をかけ、布を外した。


 赤い光が夜を染める。

 視界が一気に冴え渡った。


 ――世界が、線で満ちる。


 炎の流れにも、空気の揺らぎにも、男の体の奥にも。

 あらゆるものを繋ぎ、そして断つ“線”が走っていた。


 フルーは地を蹴った。

 風が鳴り、夜が裂ける。

 指先がひと筋の線をなぞるように振り抜かれた。


 音もなく、男の身体が弾かれた。

 腕がだらりと垂れ、力が抜けていく。


「……腕が、上がらない!?」


 血は出ていない。

 肉も骨も傷ついていない。

 けれど、体の“内側の繋がり”が――断たれていた。


「貴様、何をした!」


 男が叫ぶ。

 フルーは答えず、ただ赤い左眼を細めた。

 その瞳には、冷たい光が宿っていた。


「まさか……能力者……?」


 群衆の中から、誰かの声が上がった。

 ざわめきが波紋のように広がり、周囲の人々の目が一斉にフルーへと向く。


「そのオッドアイ、死神!?」


 次の瞬間、悲鳴が上がった。


「死神だと!? ひ、ひぃ……!」


 人々は次々と膝をついた。

 男も女も、恐怖に顔を歪め、地に頭をこすりつける。


「お、お助けを……!」

「慈悲を……!」


 あまりの反応に、フルーは思わず目を見開いた。


「え……?」


「気にするな。能力が怖いんだよ」


 モドキが軽い調子で言ったが、その声にもどこか寂しげな響きがあった。


 無能力者の女までもが、子を抱きしめながら震えている。

 助けたはずの相手まで恐れているのだ。


 フルーはそっと視線を逸らし、小さく息を吐いた。


 やがて男たちは逃げ去り、通りに静けさが戻る。

 燃え残った屋台の明かりが、ぼんやりと赤く滲んでいた。


 フルーはそのままモドキと共に、近くの食堂へ入った。

 温かなスープを口にしても、味がしなかった。

 腹は満たされても、心の奥は空っぽのままだった。


 窓の外では、遠くで誰かの怒号が響いている。

 世界は、何も変わっていない。


 宿へ戻ると、部屋の明かりが灯っていた。

 アヴェルスは椅子にもたれ、静かに本を読んでいた。

 蝋燭の炎がページの上で揺れ、青い髪を淡く照らしている。


「なあ……」


 フルーは戸口で立ち止まり、恐る恐る声をかけた。


「食事くらい、一緒に……だめか?」


「何故!?」


 即座に突っ込んだのはモドキだった。


 フルーの声には、少しの期待と、少しの寂しさが混じっていた。

 断られるだろうと分かっていた。

 それでも、言わずにはいられなかった。


 アヴェルスは本から目を離さぬまま、淡々と答えた。


「オレは食に興味がない。一緒に食べてもつまらんぞ」


 無表情のまま、事実だけを告げる。

 ページをめくる音が、静かに部屋に響いた。


「それに……日に何度も食べる習慣もない」


 その声はどこか冷ややかで、理屈の奥にわずかな距離を感じさせた。

 フルーは肩を落とし、小さく息をついた。


 その姿を、アヴェルスは本の影からちらりと見やった。


「……席につくくらいなら、しても良い」


「本当!?」


 フルーはぱっと顔を上げた。

 眼帯の下の左眼がわずかに光を返し、右の青い瞳がきらりと輝く。

 その無邪気な反応に、アヴェルスはほんの一瞬だけ目を伏せた。

 唇の端が、わずかに緩む。


「おれがいるのに! 何故だ!」


 モドキは床に突っ伏し、しっぽをぱたぱたと叩いた。

 フルーはベッドの縁に腰を下ろし、落ち着かない様子で指をいじっている。


「ところで……なんで、この国に来たんだ?」


 フルーの問いかけに、アヴェルスは本を閉じることもなく答えた。


「此処の神を、手始めにやろうと思ってな」


「……え?」


 あまりにも自然な口調に、フルーは言葉を失った。

 アヴェルスはゆっくりと顔を上げ、静かに視線を返す。

 その青い瞳には、わずかな高揚の光が宿っていた。


「此処は“芸術の国”とも言われている。

 “絵”を司る神がいる。

 そいつを倒す」


 アヴェルスは淡い笑みを浮かべた。

 それは冷たくも、美しい微笑だった。

 戦いを好む者の、確信に満ちた笑み。


「絵の……神……」


 フルーは息を呑んだ。

 “神を倒す”――その言葉がまだ現実として受け止められない。

 けれど、アヴェルスはもうその先を見据えていた。


 彼にとって、神殺しは戦いであり、生きる意味そのもの。

 その在り方は、どこか痛ましいほど純粋だった。


「この戦闘狂め」


 モドキが尻尾を振りながら、あきれたように突っ込む。

 だがその声にも、どこか誇らしげな響きがあった。


 同じ頃。

 漆の国の宮殿では、重厚な扉が静かに開かれていた。

 燭台の炎が揺れ、金の壁画が影を落とす。


 整列した神官たちの前で、老いた神官長がゆるやかに目を細めた。


「……死神、そして悪魔が、この国に?」


「はい。目撃者が多数、報告しております」


 報告を受けた神官長は、深く息を吐いた。

 手にした杖の先が、わずかに震える。


 その心に、長く忘れていた恐怖が蘇っていた。

 古の記録に記されていた、“神を喰らう悪魔”の伝承。


「すぐに使者を派遣し、調査を」


「はっ!」


 部下が頭を下げ、足音を残して部屋を去る。


 静寂が戻る。

 老神官は瞼を閉じ、深く祈るように呟いた。


「再び……“闇”が動くというのか」


 その声は、夜の奥底へと沈んでいった。

 そして――

 遠く、漆の国の空に、見えぬ“声”が響き始めていた。


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