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廃棄された少年は悪魔と契約し、“死神の眼”で神を斬る ― SIN ―  作者: 神野あさぎ


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第十九話 氷の王、落下する空

 モドキが翼を広げ、夜空を切り裂くように上昇した。

 その背には、フルーとアヴェルスの二人が乗っている。


 下を見下ろせば――王都が、波と氷に呑まれていく光景。

 家々は水流に押し潰され、人々の悲鳴がかき消されていった。


「……あいつ、人々もろとも……」


 モドキが震える声で呟く。

 その瞳には、恐怖と怒り、そして無力感が混ざっていた。


 下界に立つのは水神――ウル。

 彼は微笑みながら、上空を見上げていた。


 逃げる三人の姿を、その青い瞳が捉えている。


「逃がすと思う?」


 ウルは小さく笑い、地面に片足を踏み込んだ。

 瞬間、足元から氷が生まれる。

 鋭い音を立てながら、塔のように空へと伸び上がっていった。


 ウルはその氷の柱を足場にして、軽やかに跳ぶ。

 さらに氷を生成し、蹴り、跳躍を重ねる。

 まるで空そのものを階段にしているようだった。


 やがて彼の姿は、モドキたちと同じ高さへ。

 風を切り、一回転――


 そのまま、踵を振り下ろした。


 ――ドンッ!


 激しい衝撃が走る。

 ウルの踵がアヴェルスを狙い、モドキの背に叩きつけられた。


「いっ!」


 モドキが悲鳴を上げ、翼が大きくぶれる。

 バランスを失いながらも、アヴェルスは両腕でウルの足を受け止めた。


「ちっ……!」


 鈍い音。

 筋肉が軋み、骨が軋む。

 それでもアヴェルスは踏みとどまった。


 揺れる背の上で、フルーはよろめきながらも立ち上がる。

 左眼の下、赤い光が瞬く。


 ――線を見ろ。

 ――斬れ。


 フルーは手とうで、ウルへと踏み出した。


 だが――ウルの動きは、まるで舞うように軽やかだった。


 アヴェルスの身体を踏み台にし、横へと身体をひねる。

 そして、空中でくるりと一回転。


 回し蹴りが、鋭くフルーの腹を打ち抜いた。


「……っ!」


 フルーの身体が宙に舞う。

 空気を切る音、視界が反転。

 モドキの背から投げ出され、空の中へと落ちていく。


「モドキ!!」


 アヴェルスの叫びが響いた。

 その声に反応し、モドキは反射的に翼を広げる。


 だが――


 氷の槍が音もなく飛び、モドキの翼を貫いた。


「ぎゃああっ!!」


 悲鳴とともに、翼が砕け散る。

 モドキの身体がぐらりと傾き、四人は一斉に落下した。


 冷たい風が肌を裂き、視界が白に染まる。


 落下の最中、モドキは必死に詠唱した。


「召喚喚起――シャチ、十体!」


 その言葉と同時に、地上の氷水の中から黒い影が躍り出る。

 巨大なシャチの魔物たちが、うねるように跳び上がった。


 ――ドンッ!


 四人はその背に落ち、衝撃を逃す。

 モドキの魔物たちが受け止め、波の中で揺らめいた。


 フルーはシャチの背に転がり、息を整えた。

 アヴェルスとウルは、地上に華麗に着地する。

 氷の地面に足を滑らせながらも、二人の視線が交わった。


 その足元では――


 水が人々を押し流していた。

 悲鳴が響き、冷たい波に飲まれていく。


「助けてくれ……!」


 誰かの声が、水音に混じって消えた。


 だが、神も悪魔も――誰も応えなかった。


 ウルが再びアヴェルスへと駆け出そうとした、その瞬間だった。


 ――空気が、震えた。


 地面に張られた氷が青く光を帯び、見えない壁がウルの前に立ちはだかる。

 氷ではない。もっと根源的な、世界そのものの意志が具現したような結界だった。


『ここは私の国だ。あまり荒らすな、水神』


 低く、重い声が空間に響いた。

 男でも女でもない声――

 それは、この肆の国を治める“神”そのものの声だった。


 ウルは動きを止め、面倒くさそうにため息をつく。


「しょうがないですね」


 彼は懐から一本の金属の鍵を取り出した。

 指先でそれをくるりと回す。


 すると、空中に“扉”が現れた。

 何もない空間に縦の線が走り、音もなく開いていく。

 扉の向こうは暗闇――別の世界へと通じているようだった。


「アヴェルス君とはもっと楽しみたかったけど……」


 ウルは軽く笑い、青色の瞳を細めた。

 その笑みには、どこか狂気にも似た温度が宿っていた。


「今日は帰ってあげる」


 その一言を残し、ウルは扉の向こうへと姿を消した。

 残響のように水滴が弾け、扉はゆっくりと閉じて消滅する。


 静寂。


 吹雪の中、残されたのは三人だけだった。

 アヴェルスはすぐさまフルーの身体を担ぎ上げる。

 そしてモドキを呼び寄せ、その場を離れた。


 ――ここに長居はできない。

 肆の国の神が干渉した以上、この地に留まるのは危険だ。


 三人は崩れかけた街を抜け、廃都市の地下へと潜り込んだ。

 湿った空気、滴る水音、遠くで軋む鉄骨。

 その中で、ようやく腰を下ろす。


 全員、息が荒く、肩で呼吸をしていた。


「……あれが、水神……」


 フルーがぽつりと呟く。

 まだ戦慄が抜けない。

 あの力、あの冷たさ。まさに“神”の名にふさわしい存在だった。


「あいつ、体術もすごいんだよ……」


 モドキも息を整えながら呟いた。

 いつもの調子ではない。軽口に見えて、声が震えていた。


 フルーはその言葉を聞きながら、ふと顔を上げる。


「アヴェルスに……そっくりだったけど……」


 そう口に出した瞬間、空気が凍る。

 アヴェルスは何も言わなかった。

 ただ黙って、怒りを押し殺したように瞳を細める。


 暗がりの中、その横顔が青白く光に照らされる。

 表情は静かだ。だが――瞳の奥には確かに“憎悪”があった。


 フルーは息を呑んだ。


 その沈黙を破ったのは、モドキだった。


「親なんだよね~、ご主人様の」


 あまりにも軽い口調。

 冗談のように聞こえるが、内容はあまりにも重い。


 アヴェルスの拳が即座に飛んだ。


「いってぇー! おれはご主人様と違って、痛み感じるの!!」


 モドキが頭を押さえながら抗議する。

 だがその声も、どこか空虚だった。


 フルーは言葉を失っていた。

 思考が追いつかない。


 ――水神ウルが、アヴェルスの父。


 頭の中で何度もその言葉を繰り返す。

 信じられなかった。

 けれど、確かに二人の間には似た何かがあった。

 声の響き。仕草。戦いの間合い。

 そして、あの無慈悲なまでの冷たさ。


 アヴェルスは壁にもたれ、静かに目を閉じる。

 その沈黙が、何よりの“答え”だった。


 地下の暗闇に、滴る水音だけが響いていた。


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