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廃棄された少年は悪魔と契約し、“死神の眼”で神を斬る ― SIN ―  作者: 神野あさぎ


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第十七話 氷の国、白き吐息

 ――()の国。


 荒廃した妖精の国を除けば、世界の中で最北に位置する広大な国。

 吹き荒れる氷雪と、果てのない白の大地が広がっていた。


 モドキの羽音が止み、凍てついた風が頬を刺す。

 フルーはその冷たさに思わず身をすくめた。


 彼は、空を見上げながら故郷のことを考えていた。

 ――あれから、家族は。

 ――友人たちは。

 遠い記憶の中で笑っていた人々の顔が、白い吐息の向こうに浮かぶ。


「寒い……」


 吐いた息が白く広がり、すぐに風に散った。


 フルーの故郷は肆の国の南にある。

 山に囲まれた穏やかな土地で、風は優しく、雪もほとんど降らなかった。

 だが――今、彼らが立つこの場所は違った。

 北端の凍土。

 息を吸うだけで肺が痛むほどの極寒の地。


「フルー君、大丈夫?」


 肩の上でモドキが心配そうに顔を覗かせる。


「モドキ、コートを出せるか」


 アヴェルスが短く問うと、モドキは元気よく返事をした。


「あいよ!」


 モドキの掌から淡い光が生まれる。

 召喚喚起――空間から物を呼び寄せるその能力によって、厚手のコートが現れた。


 アヴェルスはそれを受け取ると、迷いなくフルーの肩に掛ける。

 その動作は自然で、どこか優しかった。


「ありがと……」


 フルーは照れくさそうに小さく呟き、頬を赤らめて顔を伏せた。

 冷たい風に混じって、ほんの少しだけ温かさが滲む。


「ここから、どうする?」


 フルーが問う。

 二人はモドキの背に乗ったまま、ゆるやかに雪原を滑るように移動していた。


 やがて、遠くに黒い影が見えた。

 朽ちかけた建物が並び、煙の上がらない煙突が連なる。


「……村、か?」


 アヴェルスが呟き、モドキが高度を下げる。

 凍てついた大地に降り立つと、雪がきしりと音を立てた。


 近づいて見ると、それは“かつての村”だった。

 屋根は崩れ、窓には板が打ち付けられている。

 吹きすさぶ風の音だけが、かつての賑わいの名残を運んでいた。


 二人はモドキの背から降り、ましゅまろモードに戻ったモドキがアヴェルスの肩にふわりと乗る。

 その小さな体から、微かな温もりが広がった。


「旅人さん?」


 か細い声がした。


 振り向くと、そこにはひとりの少女が立っていた。

 年の頃は十歳前後。

 着ている服はツギハギだらけで、手足は細く、唇は紫に染まっている。

 頬はこけ、肌は冷気に焼けて荒れていた。


 けれどその瞳だけは、真っ直ぐに彼らを見つめていた。


 少女に案内され、三人は村の奥へと進んだ。

 雪に埋もれた木の家々が並ぶ中、ひときわ大きな一軒の家があった。

 それが――村長の家だった。


 軋む扉を開けると、冷気とともに古びた木の匂いが流れ込む。

 囲炉裏はあるが、火は弱く、部屋の隅には凍りついた水瓶が置かれていた。


「何もおもてなし出来なくて、すみません」


 村長は深く頭を下げた。

 痩せた体に薄い毛布のような服を羽織っている。

 その服もツギハギだらけで、何度も修繕された跡があった。


「同じ肆なのに……」


 フルーは小さく呟いた。

 かつて暮らした南部の故郷は、温かく、人も穏やかだった。

 今目の前に広がるこの北の景色は、あの頃の記憶とあまりに違いすぎた。


「南と北では、差が酷いですからね。北の民は皆こうです……」


 村長の声は静かだった。

 諦めのような響きを帯びている。


「みんなで南に行けばいいんじゃ?」


 モドキが、場の重苦しさを払うように軽く言った。

 だが村長は、すぐに小さく首を振った。


「行けないのですよ」


「行けない?」


 フルーが眉をひそめる。

 村長は苦しげに唇を噛み、ゆっくりと続けた。


「移動距離が長いのもありますが……一番の問題は、この国が“二分されている”ということです」


「なっ……!」


 フルーの目が見開かれた。


 肆の国――

 かつて彼が生まれ育ったこの地は、今では完全に南北で分断されていた。

 穏やかで恵まれた南部に対し、北は極寒と貧困の地。

 南の豊かさは、北の犠牲によって保たれていた。


「妖精の国に送られるよりはマシですがね……」


 村長がぽつりと漏らす。

 その言葉に、フルーの表情が一瞬だけ曇った。

 妖精の国――

 “廃棄”された者として流刑にされたあの日の記憶が、脳裏に蘇る。

 思わず左眼の眼帯に手を置いた。


「肆の国は、階級の下の者や犯罪者を北に配置している。

 北に行くほど住みにくく、貧しくなる仕組みだ」


 アヴェルスの声は低かった。

 その瞳には、淡い怒りの光が宿っている。

 彼もまた、理不尽な支配構造を見てきた男だ。


「はい……神の力により管理され、我々は南に行くことができません」


 村長は目を伏せた。

 握りしめた手が震えている。


「神の……力……」


 フルーは拳を握りしめた。

 胸の奥で、熱がこみ上げる。

 怒りか、悲しみか、自分でもわからない。


「アヴェルス……」


 フルーが小声で呼びかけた。

 アヴェルスもまた、低く答える。


「ああ……すぐには神の治世は終わらんだろうが――」


 言葉を切り、彼は窓の外の雪景色を見つめた。

 白い風が、静かに舞っている。


「このまま、見過ごせないな」


 その声は小さくとも、確かな決意に満ちていた。

 フルーはその背中を見つめながら、心の中で同じ言葉を繰り返した。


 ――もう、見過ごせない。


 凍てついた村の空気の中で、三人の決意だけが、確かに熱を帯びていた。


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