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SIN〜シン〜 選ばれなかった少年は、悪魔と共に“死神の眼”で神を斬る  作者: 神野あさぎ


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第十話 夢の果て

 ――まばゆい光があった。


 フルーはその中に立っていた。

 頬を撫でる風はやわらかく、草の香りが心地よく鼻をくすぐる。

 目を開けると、そこには懐かしい光景が広がっていた。


 青い空。

 穏やかな丘。

 白い家。


 畑には緑が茂り、遠くから牛の鳴き声がゆるやかに響いてくる。

 世界は穏やかで、どこまでも優しかった。


 そして――家族がいた。


 母が笑い、父が鍬をふるい、弟が駆けてくる。

 小さな手が裾を引く感触。

 あの日のままの温もり。


「フルー、おいで!」


 母の声が響く。

 懐かしい声。心に刺さるような、けれど涙が出るほど嬉しい声だった。


 フルーは思わず笑った。

 着ているのは白い服。

 両の瞳は澄んだ青で、左眼を覆っていた眼帯はどこにもない。

 手にしていたはずの短剣も消えていた。


 ――まるで、何もかも最初から存在しなかったかのように。


 廃棄され、死神の眼を持ち、神を斬った。

 そんな過去の方が夢だったのではないか――そう思えてくる。


 フルーは駆けだした。

 家族のもとへ。

 母の手が差し出され、その掌の温もりが指先に触れる。


 畑を手伝い、牛に餌をやり、土の感触を確かめる。

 風の音、陽だまりの匂い、弟の笑い声。

 すべてが懐かしく、そして優しかった。


 フルーは自然と笑みをこぼした。

 涙があふれそうになる。


(……悪い夢を見ていたんだ)


 あの日の神選の儀も、廃棄されたことも、死神の眼も――全部夢。

 そう思えた。

 そうであってほしいと、心のどこかで願っていた。


 だが――そのときだった。


 背後の空気が、わずかに震えた。

 柔らかな光の中に、細い影が差す。


 黒い靄が、地面からゆっくりと染み出していた。

 最初はほんの小さな点だった。

 けれど、滲むように広がり、やがて周囲の色を飲み込んでいく。


 空が暗くなった。

 草原が黒に染まった。

 家族の笑顔が、遠ざかっていく。


「……おかしいな……?」


 フルーは振り返る。


 光の中から、黒い影がゆっくりと伸びてきていた。

 足元を這い、腕を包み、胸を覆っていく。


 息が詰まり、胸の奥が熱くなる。

 頭の奥で、微かな痛みが脈打った。


 次の瞬間、視界が揺らぐ。

 世界の色が反転するように、すべてが歪んだ。


 左眼が赤く光る。

 手には短剣が握られていた。

 白い服は闇に染まり、黒い衣へと変わる。


 フルーの目が見開かれる。

 短剣の刃先から、黒い影が染み出していた。


 まるで、誰かが“思い出させよう”としているかのようだった。


 そのとき――背後から、足音が響いた。


 ゆっくりと、確実に近づいてくる。

 その音が、フルーの記憶を呼び覚ます。


 ――廃棄された日のこと。

 ――血にまみれて逃げた夜のこと。

 ――アヴェルスに出会った瞬間のこと。

 ――絵神を斬ったときの、温かくも冷たい血の感触。


 あれが夢であるはずがない。


 胸の奥から、熱いものがこみ上げた。

 フルーは短剣を強く握りしめる。


 左眼に淡く光るのは、“夢の線”――。

 この世界の構造そのものを繋ぎ止める、存在の継ぎ目。


「……これが、夢」


 フルーは一歩踏み出した。

 刃を構え、線に沿って振り抜く。


 刹那――世界が砕けた。


 眩い光が弾け、音が消える。

 花びらのように散った景色が崩れ、フルーの身体が宙に浮く。


 そして、夢の外――現実へと還っていった。


 夢神の神殿――。

 現実世界では、夢神が剣を振り下ろそうとしていた。


 フルーの身体はまだ動かない。

 その影に、一本の槍が突き刺さっている。

 アヴェルスの槍だ。


 彼は無言のまま、その槍を影に落とした。

 金属の粒子が光を散らし、フルーの魂の残滓を掴む。

 ――引き戻す。


 刃が振り下ろされる、その瞬間だった。


 フルーの瞳が開く。

 赤く燃える左眼が、夢神の剣に宿る“線”を捕らえた。


 短剣を振り上げる。

 その動きは、夢の外から現実へ帰還した者の証。


 刃が走る。


 光が弾け、空気が裂けた。

 夢神の剣が、真っ二つに砕け散る。


「……なにっ!?」


 夢神の瞳が驚愕に染まった。

 その表情に宿るのは――恐怖。


 夢から覚めた者は、もう夢には戻らない。


「……何をした、悪魔!」


 夢神が叫ぶ。

 怒りと焦りが混じり合い、神殿全体を震わせた。

 光と影が衝突し、空気が震動する。


「さあな」


 アヴェルスは淡々と答えた。

 だがその声には、神への憎悪と、仲間を想う微かな痛みが滲んでいた。


 フルーは無言で駆け出す。

 短剣を握り、左眼を開く。

 赤い光が走り、夢神の身体を覆う無数の“線”が視界に浮かび上がった。


 それは夢そのものの構造。

 幻を保つための糸。

 それを見切れるのは、死神の眼を持つ彼だけだった。


「夢神自身に攻撃性能はない。

 夢さえ突破できれば、お前の敵じゃない」


 アヴェルスの声が背後から届く。

 冷静で、しかし確かな信頼を含んだ声音。


 フルーの胸に、わずかに熱が灯る。


「……!」


 夢神が一歩下がった。

 その瞳に、はっきりと焦りが浮かぶ。

 アヴェルスの言葉の意味を理解した時には、もう遅かった。


「このっ――!」


 夢神が身体を翻し、逃げようとする。

 だがその動きより早く、フルーの短剣が閃いた。


 ――瞬間。


 赤い左眼が輝き、刃がいくつもの“線”をなぞる。

 音もなく、夢の構造が断ち切られた。


 世界が軋む。

 光が散り、紫の雲がざわめく。


 夢神の身体がふっと揺らぐ。

 背中から赤が零れ、膝をつく。


「そんな……私の夢が……」


 言葉は途中で途切れた。

 夢神の身体は淡く光を放ちながら、空気に溶けるように消えていく。


 幻想が剥がれ落ち、紫の雲は灰色に変わり、水色の壁は粉のように崩れた。

 美しかった夢の世界は、ただの冷たい地下室へと戻っていく。


 フルーはその場に膝をつき、荒い息を吐いた。

 額から汗が流れ、胸が上下する。


「……勝った、のか……」


 呟いた声は、自分でも信じられないほど弱かった。

 静寂の中で、その言葉だけがこだました。


 足音が近づく。

 アヴェルスがゆっくりと歩み寄ってくる。


「ああ、信じていたさ」


 短い言葉。

 その微笑には、わずかに温度があった。


 フルーは顔を上げる。

 その瞳に映るアヴェルスの表情が、初めて“柔らかく”見えた。

 自然と、口元がほころぶ。


 アヴェルスは何も言わず、夢神の残骸があった場所へ歩を進める。

 そこにはまだ淡い青光が漂っていた。


 アヴェルスは片膝をつき、手をかざす。

 光が揺れ、彼の掌から小さな珠が浮かび上がる。


 透明な青の輝き――。

 それは小さな心臓のように脈打っていた。


「……シン」


 フルーが息を呑む。

 二人目の神の“能力源”。

 神殺しの確かな証。


 胸の奥に、重い実感が落ちた。

 また一つ、自分の手で神を殺したのだと。


 アヴェルスは珠をじっと見つめ、わずかに首を傾げる。

 軍服の青い光が反射し、影がゆらりと揺れた。


「お前も、神になってみるか?」


 ふいに、そんな言葉が落ちた。

 冗談のように聞こえるが、声には一片の笑いもない。


 フルーは一瞬驚き、そして小さく笑った。


「……もう神だよ、死神だけど」


 静かに微笑みながら、息を吐いた。

 笑っているはずなのに、胸の奥がわずかに痛む。


 アヴェルスは何も返さず、名を呼ぶ。


「モドキ!」

「あいよ!」


 モドキはいつの間にか虫の姿を解き、ましゅまろモードに戻っていた。

 アヴェルスは青い珠――夢神のシンをその口の中へ放る。


「ひぇ! 冷たっ!」


 モドキが声を上げる。

 次の瞬間、光が吸い込まれるように消えた。


 跡には、何も残らない。

 ただ、三人の影だけが長く伸び、静かに揺れていた。


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