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最終話 俺が助けようとしたキミは……


 そして――最後の三日目の朝が来た。


 庭の朝顔がいっせいに咲き、空の青は少し高いように感じた。

 母はいつもの崩れやすいおにぎりを握り、台所の窓から風が入る。


「今日も病院、午前で行こ」

「うん、いいよ」


 病院で父は新聞を読み、声に力が戻っていた。


「そういやぁ、直哉(なおや)

「なに?」

「会社、どうするんや。もうここへは戻ってはこんのか?」


 問われると思っていた。俺はもう逃げない。


「父さん、実をいうと少し休もうと思ってる。それがだめなら、やめるよ。うん、多分」


 父は新聞を折り、腕を組んで、ゆっくりうなずく。


「まぁ、走りっぱなしは、タイヤが擦り減る」

「それ、なんか昔も言ってたな」

「大事なことは何度でも言う」


 笑い合ったあと、父は鼻の頭を指でこすって言った。


「直哉、お前、少し変わったな。ちったぁ、向き合えるようになったか。」


「……わかる?」

「親はだいたいわかる。でもまだ一歩足らんな」


「一歩ってなにさ」

「さぁな。お前が見つけろ」


 その後、俺は空を見上げる。

 夏の雲がゆっくり動く。


 今日、俺は言う。

 二十九歳の俺が、小六の夏に。


 その日の午後、俺はやはり神社に来ていた。


「さぁ、これが最後。行くぞ」 


 二礼二拍手一礼。


 目を閉じる。蝉の音、木の匂い、右、左、右右――。


 


 焼け付くような日刺しの昼の青空。

 セミたちがジージーと大合唱を繰り広げている。


 ふと上を見上げると、ひかりが神社の石段の上で、麦わら帽子を手に持って立っていた。


 帽子の紐の先に、黄色いリボンが見える。


「なおや!」

「うん!」

 

 俺は駆け上がって、彼女と向かい合う。


 言葉を選びすぎない。素直にただ、口に出す。


「ひかり。俺、ずっとひかりのことが好きだった。」


 ひかりの目が丸くなり、すぐに笑いがひろがる。驚きと、うれしさ。


「……なおや、ありがと。私もなおやのこと、ずっと好きだったよ」


 俺は肩の力が抜けた。


「やっと言えた。」

「やっと?」

「そう、ながーい間言えなかったんだよ」

「そっか。これでスッキリしたね!」


「うん! 来年も、そしてこの先も、神社で太鼓を叩こうね! 絶対、約束だよなおや!」

「うん……。 そうだね約束だ」


 小さな手と手で、小指をからめる。ひかりの指は軽いけれど、強い。昨日の絵馬のようにほどけにくい結び目みたいだった。


 俺達はその日も陽が落ちるまで、遊び続けた。

 

 かけっこ。ドッジボール。秘密基地さがし。虫取り。


 ――そして太鼓。



 町内放送。「夕方五時になりました。気を付けて帰りましょう」。

 太鼓の音が遠くで鳴り、風鈴が近所で鳴る。


 ひかりが帽子を押さえて深く被った。


「なおや」


「うん」


「ありがとう。……また明日、って言いたいけど」


「うん。分かってる」


 多分、俺ができることはした。言うべきことは言えた。

 未来が変わるかどうかはわからないけど、多分、今日から少し違う。


 この少しの違いで、彼女が元気に生き続ける未来であってほしい。

 そう、心から願う。


 俺が瞬きをする直前にひかりは俺に言った。


「なおや、私が絶対に助けるから」



 俺の(まばた)き――



 時は現在、夜。


 少し暗くなってきている絵馬掛けの前に俺は立つ。

 色褪せた黄色いリボンは今もほどけずに揺れている。指で軽く引く。結び目は動かない。


 俺は安心してそっと手を離した。

 

 「さぁ、いこう」


 家に戻ると、母がスイカを切っていた。


「明日、東京戻るの?」

「うん。そうするよ。久々に楽しかった。母さん、ありがとね」

「なに言ってんの、お父さんも、もう少しで退院やしね。近いうちにまた来てよ」


 スイカの瑞々しさ。種を皿の端に寄せる。


「わかったよ」


 こうして俺の盆は終わった。



 * * *



 東京。改札の流れは相変わらず速い。久々に、その流れに乗るのが難しかった。

 だが俺の呼吸は以前よりも深い。

 朝の横断歩道。信号が青に変わると、前の男性がハンカチを落とす。俺はそれを拾って渡す。


「落としましたよ」

「あ、ありがとうございます!」


 地図の前で困っている外国人の女性に英語で道を教え、途中まで一緒に歩いた。

 彼女からお礼を言われ、別れる。慣れない自分の言動に肩から力が抜ける。


 そのとき、


 俺の横をすっと通り過ぎた女性。淡い色のワンピース。

 手のバッグには、黄色い小さなリボン。いや、スカーフだった。


 俺の心臓が高鳴るのを感じる。


 俺の足が止まる。ゆっくりと振り返ると、彼女も歩みを止めてこちらを見た。大人になった輪郭。でもその少しも変わらない笑い方を、俺は知っている。


「……なおや?」


「ひかり……か?」


 言葉にした瞬間、それは現実になった。


 近くの喫茶店。

 カランという氷の音。珈琲の香り。ガラスの天板に、水滴が丸く広がる。


「久しぶりだねなおや。あれから元気だった?」

「うん、久しぶり。どうにかやってるよ」

「私も。いろいろあったけど、元気だよ」


 ひかりは今までのことを語った。

 大学生のとき、本当に事故があったこと。けれど色々あって命は助かって今は元気なこと。

 そして、町に伝わった「亡くなった」は、だれかが大袈裟に言って、噂に尾ひれがついた情報だったこと。小六で転校してから、そのまま東京で暮らしていたこと。


「なおやは?」

「うん。俺はやめようと思ってる。いや思ってた。今日、ここでひかりと出会うまでは」


 ひかりは一瞬、寂しそうな表情になったと思ったが、やがて優しい笑顔に変わった。


 一呼吸おいて彼女が口を開いた。


「ねぇ、なおや。私ね、ここ何日かで不思議な夢を見たの」

「……夢?」

「小六のあの夏のお盆にね。神社で太鼓叩いてて、そしたら、なおやが隣にいて。起きたら、なんだか涙が止まらなかったの。嬉しくって」


 俺は目を見開いて彼女の言葉を聞いていた。


「ひかり。俺も夢なのか今だにわからないけど……俺も昔に戻って、ひかりと太鼓を叩いたよ」


 ひかりは、静かにうなずいた。驚いていない顔。


「うん。知ってる。私もだもん」


 氷の入ったグラスが、テーブルで小さく音を立てる。


「え?」

「私も、戻ってた。あの夏に。……二十九の私のまま、心だけ」


 なんということだ。

 

 確かに思い返せば、そうだ。ひかりは時々、大人みたいな間の取り方をした。ほどけにくい結び方を教える手つきも、子どもの器用さというより、経験の中の落ち着きだった。

 それに、当時のひかりはもっと気が強くて、喧嘩ばかりしていたじゃないか!


 俺は自分のことばかりで、ひかりの変化に気づいていなかったんだ。


「なんでひかりが……」

「なおやを、助けたかったから」


 ひかりが、視線を落として言う。


「私、大学の時に事故に遭って以来、少し先の未来が見えるようになったの」

「え? それってどういう」


 俺の問いに答えず彼女は静かに続ける。


「落ち着いて聞いてね、なおや。私が見た少し先の未来で、なおやは……」


 彼女が続きを言わなくともわかる。いやわかっている。

 なぜなら、自分のことだからだ。当然だ。


「私は知ったの。なおやが三十になる前に。お盆の終わりに、なおやがこの世界からいなくなっちゃうことを。

 ……それを視た私は耐えられなくなって、なおやと書いたあの絵馬のことを思いだして、願ったの。」


 ひかりは俺の結末の全てを知っているのだ。


「また、会いたいって。そうお願いした。

――あの、私となおやの最後のあの夏に戻してって」



 そう、お盆休みの直前の俺は酷かった。


 残業を終えた会社の帰り道、信号の待ち時間がやけに長く感じた夜。アパートの机に座ったまま、画面の光だけ見つめて時間が過ぎた夜。

 思い出したくないことが脳内をやかましくしていたあの忌まわしい時間。


「どういうわけか願いが叶って私はあの夏のあの神社に立ってた。

 だから私、願ったの。『なおやを助けたい』って。そしたらね、夢みたいに、昔に戻れた。小学生の体だけど、中身は私。……なおやと同じだった」


「同じ、か」


「うん。私、昔からなおやに好きって『言わせたい』って思ってた。なおやが言葉を外に出すのを、見たかった。なおやは、おしゃべりは得意なのに、一番大事なところは飲み込むから。だから、あの夏でなおやに『好き』って言わせたかった。……変な言い方だけど、なおやがなおやを助けるためになると思った」


 俺の胸の奥で、何かがほどけた。

 いや、ほどけたというより、結び直された。

 あのとき俺が勇気を出して言った『好き』の一言が、ひかりの手を借りて、俺自身の未来をも少しずらしたのだ。


「じゃあ、ひかりは――最初からすべてを知って、俺を助けに来てくれてたのか」

「なおやも、私を助けてくれたんだよ」


 ひかりは続けた。大学の事故のあと、自分を責めて、夏が少し嫌いになりかけていたこと。太鼓の音を聞くと胸がざわつく時期があったこと。けれど、あの夏に戻って、なおやと並んで叩いたら、嫌いになりかけた夏が、また好きに戻ったこと。


「私が視た少し先の、ずれる前の未来では、なおやがいなくなった時、私の手足は動いてなかったの」

「え!?」


 俺はひどく驚いた。


「大学の事故の後遺症でね。でもほら、今の私!」


 今の彼女は立って歩いて、珈琲を自らの手を使って飲んでいる。


「手術の後は残ってるけど。でも私はなおやが勇気を出してくれたおかげで今、こうして元気に生きてる! また、なおやと一緒に太鼓を叩ける!」


 俺はその言葉を聞きながら、言葉を探していたがやがて――


「お互いさまだね」

「お互いさまだよ」


 喫茶店の窓の外で、信号が青に変わる。人の流れが動く。俺たちの足はまだ動かないが、心は少し先に進んだ。


「なおや」

「うん」

「生きてね」


 ひかりの声は、やわらかいのに強かった。


「生きるよ」


 言葉は簡単でいい。結び目が、ほどけにくい結び方を俺たちはもう知っているのだ。



 * * *



 その週の金曜日、俺は上司に面談を願い出た。


 緊張はしたが、言葉は前よりまっすぐ出た。少し休みたいこと。部署を変えて、数字ではなく人に向き合う仕事を試したいこと。もし難しければ、仕事を辞めることも考えること。上司は驚いた顔をしてから、意外とあっさり「考えよう」と言った。太鼓はばちで叩かないと音を出さないように、自分の意思で行動するまでは、世界は動かない。そんな当たり前のことに、俺はこの年になって気づいのだ。


 盆明けの週の土曜、俺は長野へもう一度帰った。

 そう、父の退院の手伝い。病室のベッドを整え、看護師さんにお礼を言い、会計を済ませる。玄関で靴を履く父が、ふと俺を見る。


「直哉」

「ん」

「お前。ついに変わったな」

「そんなようなこと、さっき母さんも言ってた」


 二人で笑いあった。

 父の歩幅に合わせて、病院の前を一緒に歩いた。空は高く、雲は白く、蝉はまだ全力だ。



 夕方、神社へ赴く。


 鮮やかな赤の鳥居の下で俺は一度立ち止まり、


 二礼二拍手一礼。


 その後、絵馬掛けの前に立つ。色褪せた黄色いリボンが、今日もほどけずにそこにあった。指で軽く引く。結び目は動かない。安心して手を離す。


 ポケットから、新しい黄色いリボンを取り出し、絵馬に結ぶ。結び目は小さく、固く。ほどけにくい、あの結び方で。


 カシャ


 俺はその絵馬を写真に撮って保存する。


 夜、東京へ戻る新幹線の窓に、稲の海が流れていく。


 俺のスマホが震えた。

 ひかりからのメッセージ――写真が一枚。『近所の神社でも、太鼓の練習はじまったよ』。

 画面いっぱいの太鼓の輪。端っこに写った指先に、黄色いリボンの影。


 俺はそれを見て返事を打つ。そして最後に。


『また会おう』という文章とさっき撮ったばかりの絵馬の写真を添付して送信した。


 すぐに返事が来た。

 沢山のことが綴ってあったが最後には――


『うん。また会おうね』


 窓にゆれる自分の顔は、少し日焼けして、目尻の癖がわずかに上を向いていた。


 蝉の声はもう聞こえない。けれど、太鼓の音は、心の奥でまだ続いている。


 この先の未来のどこかで、あの音にまた追いつく。


 来年の夏か、もっと先か。いつでもいい。


 大丈夫さ。俺はもう、言えるし、生きると決めたから。


 俺の夏は、あの、ほどけにくい結び目みたいに、ここに残っている。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

本作は「30分で読み切れる短編シリーズ」の一つとして執筆しました。忙しい毎日の合間や、ちょっとした休憩時間にでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。


また、アキラ・ナルセのページ内「シリーズ」として、同じく【30分読破シリーズ】をまとめていますので、ぜひ他の作品もお楽しみください。


今後も、同じく30分程度で読める短編を投稿していく予定ですので、また気軽に覗きに来ていただけると幸いです。

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