表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/3

第2話 二十九歳の俺が、小六の好きな子が転校することを知った時


 翌朝――お盆休み二日目


 俺のAM5:00のアラームは今日は鳴らなかった。

 縁側にすでに日が差し、蝉はもう本気で鳴いている。


 台所からは味噌汁の匂いがした。俺は顔を洗うと、母が米を研いでいた。


「おはよう直哉(なおや)。と言ってももう九時やけどね。今日は午前中に病院行こ」

「うん、わかった」


「その前に、ちょっとだけ裏の草むしり手伝って。腰にくるのよ、あそこ」

「はいはい、ちょっとまってね」


 実家の庭の土いじりなんかいつぶりだろう。

 

 朝顔のツルが足首に絡んだ。軍手越しに感じる根の硬さ、土の湿り。汗が首筋を伝っても嫌じゃない。

 体が働く感じがして、呼吸が深くなる。


 その後、俺達は病院へ向かった。 


 病院の父は、昨日より顔色がいい。テレビは高校野球。金属バットのカーンという気持ちのいい音が聞こえた。


「よう」

「よう」


 父は新聞の四コマを指でたたき、「ちょっと見て見ろ。このオチ、昔から変わらん」と笑う。

 昔話がぽろぽろ出てくる。俺の迷子事件。夏祭りで迷子になって、神社に保護された話。若いころに父が母に告白した場所が、あの神社だったこと。


「うまく言えなくてな。『好きなとこ十個言う』って言って、三つで限界やった」

「なんだよそれ! 半分も届いてないじゃんか!」


 母は横で「伝わったんよ」と笑った。完璧じゃなくていい。『向き合って言えば届く』。


 それは今の俺には刺さる。


 それから、昼前に病院を出て、簡単に昼を済ませる。

 午後、母は買い物へ。



 俺は縁側で風に当たり、立ち上がる。



「さて、今日も神社へ行ってみるか。ひかりにもう一度会いに行く」


 鳥居をくぐる。

 二礼二拍手一礼。


 目を閉じる。蝉の音、木の匂い、そして太鼓のリズム、右、左、右右――。


 俺の瞼に映る光が強くなり、昼の青。


「う、まぶし!」


 俺は再び自分の身体を確認し、再び戻ってこれたことに安心を覚えた。

 ありがたいことに昨日から、そんなに時間軸は進んでなさそうだ。


「なおや!」


 俺はその声に振り返った。


 ひかりが石段の上で手を振る。今日は白いTシャツにデニムの短パン。頭のリボンはちゃんと黄色い。


「なおや! かき氷、行こ!」

「うん、行く!」


 角の電柱のポスターは盆踊り。

 

 風鈴の音。日陰で猫が伸びている。


 駄菓子屋の前の道の反対側から、クラスの男子二人が走ってきた。野原と、河村だ。これまた懐かしい。当時のやんちゃ組だっけ?


「野原、見ろよ。またなおやとひかりが一緒にいるぜ!」

「おい、なおやー!」

「なに」

「お前、ひかりと付き合ってんのかー! 夏祭りも一緒に行くんだろー?」


 そうか。そういえば当時もこんな感じでからかわれてたっけ。可愛いなぁお前ら。


 ひかりが一瞬困ったように笑って、こっちを見る。昔の俺なら顔を真っ赤にして「ちがうって!」と全力否定して、結果的にひかりを遠ざけた。恥ずかしさに負けて、距離を置いた。


 ――だが、今の俺は、二十九歳のおじさん一歩手間の営業職のサラリーマンだ。


「おう。そうだぞー! 羨ましいだろぉ!」


 片手を軽く上げてニヤリと笑って答えると、二人は一拍おいてから。


「な、なんだよ! なおやのくせに! おい行こうぜ!」

「あぁ!」


 二人はそのままどこかへ行ってしまった。


 ひかりは目を丸くし、それからしずかに笑った。


「……なおや、なんだか大人っぽくなったね」


 おっといけないけない。今の俺はあくまでも小六の少年。できるだけ子供でいないとな。


「そんなことないよ! 昨日のテレビのアニメの主役のマネをしたんだ!」

「ふーん、そうなんだ」


 店先の手回しの氷削り機。おばちゃんが「ブルーハワイ? イチゴ?」と聞く。


「俺はイチゴで。練乳も」

「私もイチゴね! あ、練乳はなしで!」


 ガリガリと荒く氷が削られ、透明な山に赤と緑が染みていく。


 スプーンで一口。冷たさが鼻に抜けて、目が勝手に閉じた。


「くあぁ。おいしいね」

「うん。頭がキーンってするね。懐かしいかんじ!」

「懐かしいって、ひかりは子供じゃん」

「たしかに!」


 店の脇の木のベンチ。その向かいを、虫取り網を持った子たちが通る。


 遠くで今日も太鼓の音が聞こえる。


 右、左、右右――。


「ねえ、なおや」

「ん?」


 ひかりがスプーンを止めて、言う。リボンの端が風で頬に触れ、また離れた。


「私、私ね。夏休みが終わったら、転校するんだ」


 そう。知っている未来を、今、俺は本人の口から聞いた。

 かすかに覚えている。当時の俺はここで気の利いたことが言えなくて。


「そう、なんだ。どこに?」

「東京。あ、でも……そんなに遠くないってパパが言ってた! 往復でも一日かからないって」


 遠い。


 小学生にとって、県の向こうは別の国にも等しい。


 昔の俺は目をそらして笑ってごまかした。でも今の俺は、目をそらさない。


「そっか」

「……なおやと離れるの、やだな」


「俺も、やだ。これからもひかりとずっと一緒にこうやって遊んでいたいよ」


 ひかりは驚いた顔をして、すぐに嬉しそうに笑った。店の奥で野球中継のテレビの歓声。


「じゃあ来年も、ううん。これから先ずっと神社で太鼓、叩こうね!なおや」

「うん……叩こう」


 器の底に色のついた甘い水が残る。スプーンで飲み干す。


 その後俺達は夕方に、神社へ向かう。

 絵馬掛けの前で足が止まる。そこにかかった絵馬達は現在とは違ってどれも綺麗だった。


『健康でいられますように』

『試験に合格しますように』

『運動会で一番になれますように』


 みんな思い思いの願い事を書いている。


 俺達も小さな絵馬に願いを書く。


 俺は「また会おう」と書いた。ひかりは「夏を好きでいられますように」。二人で絵馬掛けに結ぶ。

 ひかりが結び目を整え、黄色いリボンを一緒に結びつけた。


「ほどけにくい結び方、知ってる?」

「知らない。どうやるの?」


 ひかりは器用に指を動かして、きゅっと結ぶ。小さく、固い結び目。


「これ、ほどけにくいよ」

「確かに。これならどれだけ時間が経っても地面に落ちたりしないだろうね」


 町内放送が鳴り響く。「夕方5時になりました。気を付けて帰りましょう」。太鼓の練習がやみ、境内は少し静かになる。


「ねぇ、なおや。……また明日ね」


 ひかりの丸い瞳が俺を見つめている。


「あぁ。必ずまた明日来るよ」


 蝉の声が遠くなる。


 俺は瞬きをした。


 現在の夜――

 

 昔とは違って、人っ子一人いない静かな境内。


 「っ! 戻ってきたのか。そういえば、絵馬!」


 俺はさっきまでいた絵馬掛けの前に行く。


 俺は驚きに目を見張る。


 絵馬掛けの一角で、色褪せた黄色いリボンが揺れているのだ。俺はそれを指で軽く触れる。結び目の癖が、確かにそこにあった。


「現実が、変わり始めてる!」


 俺は満足感を得て、実家に戻った。


 その夜、母が桃をむきながら言う。


「明日は少し涼しくなるって」

「そうなんだ。今年はちょっと早いね」

「直哉、あんたなんだか顔がちょっと軽くなったよ」

「どういう意味だよそれ! そんな顔、ある?」

「うまく言えないけどなんかそんな気がするよ」


 父も母も昔から変な言い回しをすることがある。あまり気にしないでおこう。


 桃の甘さが喉に落ちる。父のこと、仕事のこと、ひかりのこと。今度はちゃんと向き合いたいな。


 そして、二日目のお盆休みは終わっていく。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ