『その名は過去を知っている』
ノインは、階段の踊り場に飾られた写真を見上げたまま、ぽつりと語り始めた。
「兄は、この国で一番優秀って言われてた人だった。頭脳、運動、礼儀……何もかも完璧。だけど、掴みどころがない人だった」
口調は穏やかだけど、その声にはどこか苛立ちと悔しさが混じっている。
「ある時、王の妃が兄に言い寄っていたらしい。兄は無関心だったみたいだけど……その態度が逆に妃の執着を煽ったんだと思う」
「妃は、兄がどれだけ冷たくしても引かなかった。むしろ、“どうしても自分のものにしてやる”って……そう決めたみたいだった」
淡々と続けるその言葉に、ミレアが息を呑み、ルアンも眉をひそめる。
「ある日、兄はある研究者と一緒に研究をしてた。そこに、その妃が突然入り込んできた。止める間もなく……ほんの擦り傷を負った」
「でも、それだけだったのに――彼女はそれをわざとらしく大騒ぎして、“傷を負わされた”と国中に喚き立てた」
「兄とその研究者は責任を問われることになった。特に兄には、“冷たい”“侮辱的”“礼を欠いた”……と、あることないことばかり押し付けられて」
ノインの目が細くなり、声の温度がすっと下がった。
「兄は罪に問われるはずだった。だけど――兄の師匠はすべての責任を被ってくれたんだ」
そこまで言って、ノインは小さく周囲を見回す。
「彼は、たった一言だけ口にした」
ノインの声が静かに響く。
「“王族の女が男に執着し、嘘までついて王の名のもとに告発する。それがこの国の正義か?”」
言葉が、廊下の空気を凍らせる。
「その一言だけで――“不敬”とされた。そして、即日爵位を剥奪され、名を捨てさせられて、国外追放された」
ノインの瞳が、ほんの少しだけ沈んだ。
「兄は犯してもない罪を免れて、以前と変わらぬ生活を送っていた。でも…兄はずっと後悔をしているように見えたよ。何故私の為に…とまで嘆いていたほどにね」
ルアンも、ミレアも、その話に言葉を挟むことができなかった。しんとした空気の中、ノインがふっと小さく笑う。
「そして、ある日――兄は言ったんだ」
『グラズ殿を探しに行く』
「それっきり、兄は姿を消した」
「……え?」
突如ルアンがぴくんと肩を震わせ、目を見開く。
「ちょ、ちょっと待って……その“研究者”って――」
ノインが首を傾げる。
「……うん?」
「そ、その人の名前……グラズって言わなかった!?」
驚いたように、ノインの表情が強張る。
「……え? なんで君が……」
ルアンの声が震えていた。
「グラズって――僕の育ての親だよ!!」
「……っ!」
空気が止まる。ノインだけでなく、ミレアやセレドも、思わず目を見開いた。
「えっ……そんな……グラズ殿が、君の……?」
ルアンは、小さく頷いて続けた。
「うん…捨てられてた赤ちゃんの僕の事を拾ってくれたんだ…生活はあまりいいものではなかった…けどね」
苦笑しながら、言葉をつなぐ。
「けどね、グラズはたまに優しい時もあったんだ。今回僕が旅に出る時だって…」
そこまで言ったところで、ルアンの言葉が詰まった。
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