悪意は風に乗って
「……あぁ? おいおい、見間違いかと思ったらマジだったぜ」
低く響く声が、通りの向こうから届いた。
数人の足音が近づいてくる。
ルアンが振り返ると、数人の少年たちを引き連れた“男”が歩いてきていた。
ダリオ。
この町で誰もが顔を伏せる、醜悪な暴君。
短く刈られた髪、油ぎった肌、小太りの体格。
口元には、いつも嫌味ったらしい歪んだ笑みを浮かべている。
その顔を見ただけで、背筋に氷が走った。
そして、その背後に浮かぶもうひとつの存在ーー
ルキエルとは対照的に、黒く、風のように不安定な気配を持った異形。
もう一人の、エピルークだった。
「なぁなぁ、おいルアン。お前さ……それ、どういうつもり?」
ダリオの指先が、まっすぐルアンの隣ーーつまりルキエルを指していた。
「お前みたいなゴミが、“選ばれし者”? ははっ、笑わせんなよクズが」
取り巻きたちが、下品な笑い声を漏らす。
「マジで意味わかんねえよな」
「どんな間違いがあったら、あいつにエピルークがつくんだよ」
「泣いてばっかのゴミへのプレゼント、とか?」
何も言い返せなかった。
ただ唇を噛みしめ、ルアンは小さく震える。
だが隣でーー
ルキエルだけは、何ひとつ動じることなく、
むしろ興味深そうに、ダリオとそのエピルークを観察していた。
◇ ◇ ◇
ーー約二ヶ月前。
ダリオは、退屈していた。
この町は、どこまでも貧しく、つまらない。
人々は下を向いて働き、誰もが希望を失っていた。
けれど、その中にあってーー
ダリオだけは、違っていた。
「おい、そこのクズ。オレの靴、舐めろよ。金、落としてやっからよ」
路地裏で震える子供を蹴飛ばし、金貨を地面にばら撒く。
「さっすがダリオ様!」
「惚れ惚れするわ~!」
「その靴、神の靴っすよ!」
取り巻きたちがへらへらと笑い声を上げるなか、
ダリオは鼻で笑い、脂の浮いた顔を満足そうに歪めた。
(オレは、生まれつき他のゴミ共とは違う。
これが“支配”ってやつだ)
町の誰もが逆らえなかった。
ダリオの家は金持ちで、それだけで神に選ばれたような扱いを受けていた。
だが、ある日。
「ねえキミ、つまんない顔してるねぇ?」
空気がねじれるような違和感と共に、それは現れた。
「……あ? なんだ、てめえ」
黒いマントのような霧を纏い、気だるげに揺れる存在。
声だけは軽いが、目はまったく笑っていなかった。
「もしかしてだけどさ、キミ、ちょっと強そうだよね?」
「気持ち悪ッ……なに言ってんだ、テメェ」
「ま、そう言わずに。“願い”を叶えてあげるよ?」
その一言に、ダリオの目が血走った。
「お、お前……まさか、お前……エピルーク……!?」
「そうだよ〜。ちゃんとしたエピルーク様だよ? 嬉しい?」
その瞬間、ダリオは地面に膝をついていた。
「この世界は……全部オレのものになるべきなんだよ!
王も貴族も民も、全員オレに跪く!
オレがこの世で一番偉い! 誰も逆らえねぇ!
街も国も、全部オレの言うこと聞く世界にしろォォォ!!」
欲望のままに吠えるダリオを、
黒い霧のようなその存在は、愉快そうに見下ろしていた。
「う〜ん……わかりやすくて良い願いだね。
じゃあこの世界で“いちばん強い”って証明できたら叶えてあげるよ、ご主人様?」
ーーそれが、ダリオとエピルーク『ヴェイサ』の出会いだった。
◇ ◇ ◇




