『通行証と、通じぬ心』
次にミレアの手にも手を伸ばし――ミレアはぎゅっと握りしめたまま、奪われまいと後ずさる。
だが、力の差は歴然だった。
串は彼女の手からも引き剥がされ、無残に地に転がる。
「うわ、最悪。食ってたのか? その口で? 下民が吐いたツバと同じだな」
周囲の人々は遠巻きに見るばかりで、誰も止めようとしない。
ルアンもミレアも、声が出なかった。
やっと手に入れた、あたたかい食事。
それが、こんなにも簡単に踏みにじられるなんて。
「こんなやつらに“通行証”を出したノイン様も、見る目がないってことだな。……それとも、姫の気まぐれか?」
男が吐き捨てるように笑う。
「“慈善活動”もほどほどにしろってな」
黙り込むルアンとミレアのそばで、ルキエルが静かにその様子を見ていた。
目に感情はない。ただ、まるで風景の一部を見るように――冷たく、じっと。
だが次の瞬間、その空気を断ち切るように、ひとつの声が割り込んできた。
「……見苦しいな。それで威厳が保てるとでも?」
男の背後から、落ち着いた青年の声が響く。
振り返ると、ゆっくりと歩いてくる青年――ノインの姿があった。
整った制服、揺らぎのない足取り。そして背後には、静かに従う長身の老執事。
市場のざわめきが一瞬止まる。
傲慢な兵士の目がすっと細くなった。
「ノイン、様……っ」
「言葉はいらない。すでに聞こえていた」
ノインは足を止めず、
まっすぐルアンたちの前へと進む。
そして、その視線をまっすぐ彼らに向けて言った。
「……ごめん。私たちの手形があれば、ここまで酷い扱いは受けないと思ってた。……辛い思いをさせてしまったね」
静かな声だったが、その言葉には確かな誠意があった。
ルアンは何も言えず、ただゆっくりと首を振る。
その横で、ミレアも俯いたまま、ぎゅっと拳を握っていた。
ルキエルは少しだけ視線を逸らし、口の端をわずかに吊り上げる。
「やれやれ……騎士様のご登場、か」
踏みにじられた串焼きを見下ろしながら、ノインはゆっくりと顔を上げる。
「……それは、私が訂正した。彼らの通行は正式なものだ。――それとも、お前は王家の印を疑うのか?」
指揮官風の男が、ぐっと言葉に詰まる。
「い、いえ……決してそんな……!」
「ならば、余計な言動は慎むべきだ。……私の名がついた手形に泥を塗るというのなら、それ相応の責任を取ってもらうことになるよ?」
ノインの声は柔らかいが、言葉の端に込められた冷ややかな圧が、場を完全に制した。
男は汗をにじませながら、わずかに頭を下げた。
「……申し訳ありません、ノイン様。部下たちの行き過ぎでした」
「謝る相手が違う」
「……っ」
男はしぶしぶルアンとミレアに向き直り、しどろもどろに言う。
「……すまなかったな。……以後、気をつける」
棒読みのようなその謝罪に、ルアンはうつむいたまま、何も言わなかった。
ミレアもまた、俯いて唇を噛みしめたまま、ただその場に立ち尽くしている。
「……下がれ」
ノインがそう言うと、男は舌打ちを噛み殺して兵たちを引き連れ、その場を離れていった。
市場のざわめきが、ようやく静かに戻っていく。
誰もが目を逸らし、誰もが口を閉ざしたまま――




