「“選ばれし者”の隣に立つもの」
朝になった。
アナグラの空は、いつもどおり分厚い雲に覆われ、石畳の道には昨夜の雨がまだ残っていた。じっとりと湿った空気が肌を冷やす。
そんな中、ルアンはいつものように広場へ向かっていた。
荷運びの仕事。稼げる額は少ないけれど、それでもやらなきゃ、生きていけない。
――ただ、今日のルアンには決定的な“違い”があった。
彼の隣を歩くのは、白く透けるような髪、浮世離れした雰囲気をまとった存在。まるでこの世のものとは思えない、静謐な気配を纏った少年――ルキエル。
誰が見てもただの人間ではない、“神の子”そのものだった。
そして、当然ながら周囲は騒然としていた。
「……見間違いじゃないよな?」「あれ、エピルーク様……だよね……?」「なんで、あんなガキの隣に……?」
広場に広がるざわめき。遠巻きに注がれる無数の視線。
人々は、明らかにルアンを見る目を変えていた。
――それは尊敬でも羨望でもない。驚きと、不安と、違和感の入り混じった複雑な視線だった。
ルアンはうつむき気味に歩きながら、ぽつりと呟く。
「……やっぱり、目立つよね……」
「うん、かなり」
ルキエルは悪びれる様子もなく、あっけらかんと答えた。
「……黙って歩けないの……?」
「別に黙る理由もないし。君の世界に降りるとき、“誰にでも見える姿”にしただけだよ。ぼくたちって、神の使いみたいな存在でしょ?」
その軽すぎる言い回しに、ルアンはため息をつく。
けれど次の瞬間、ルキエルがぽつりと呟いた。
「この町の人間たち……ぼくを見るたびに、いや〜な目をするよね。
エピルークって、この国では嫌われてたりするのかい?
それとも、あまりにも珍しすぎて、どう反応すればいいのか分かんないって顔?」
ルアンは首を横に振った。
「ううん、そうじゃないよ。この町には――もう一人、セントラクトがいるんだ」
「……セントラクト?」
ルアンは小さく頷く。
「エピルークと契約した人のこと。この世界では、そう呼ばれてるんだ。**セントラクト(感情の契約者)**って」
「なるほど。感情を糧にするぼくらに、ぴったりな呼び名だね」
ルキエルはふっと微笑む。
「しかも、そのセントラクトが、よりによって“あいつ”だから……そりゃ、ぼくなんかが選ばれたなんて、誰も信じられないよね……」
その言葉の後、ふたりの間に、ほんの短い沈黙が流れる。
やがてルアンが、ぽつりと口を開いた。
「……ねえ、ルキエル。その……“戦う”って、結局どういうことなの?
契約とか、願いとか……君が言ってたこと、正直まだ……よくわかってなくて」
ルキエルは足を止め、ふと空を見上げた。
「そういえばさ。君たち人間の間では――ぼくたちエピルークって、どういうふうに伝わってるのかな?」
ルアンは、記憶をたどるように言葉を紡ぐ。
「……“神の子”って呼ばれてて……契約すれば願いが叶うとか。
選ばれし者にしか契約できないとか、戦いに勝てば世界を救える……みたいな、そんな感じ……」
ルキエルは、くすりと笑った。
「ふふっ、だいたい合ってるね。ぼくも噂ぐらいは聞いてるよ。“神の意志を継ぐ者”とか、“英雄を導く存在”とか、“救世主の印”とかさ」
「……あ、やっぱりそうなんだ……」
ルアンが、少しだけ安堵したように呟く。
けれど、次の言葉は、そんな安心を吹き飛ばした。
「まあ――あながち間違ってはないけどね。でも、ルアン。ぼくたちエピルークは、“願いを叶える存在”なんかじゃないよ」
「……え……?」
ルキエルはまた歩き出しながら、静かに続けた。
「人間って、とっても複雑な生き物でしょ。いろんな感情を持ってる。愛とか、怒りとか、嫉妬とか……」
「……うん……」
「で、それが強くなったとき。ぼくらは、それを“感じて”、取り込むことができる」
「……それって、どういう……?」
「つまり――君がこれから出会う他のセントラクトたちも、それぞれの感情を抱えて戦っていくってこと。
そしてぼくらエピルークは、その感情を“受け取る”ために契約してるんだ」
「……じゃあ、ぼくは……」
ルキエルは微笑みながら、静かに頷いた。
「そう。君には、いろんなエピルークと、その契約者たちに出会ってもらう必要がある。
そして――戦ってもらうことになるよ」
ルアンの足が、ぴたりと止まった。
冷たい空気が、靴の隙間からじわじわと這い上がってくる。
「……戦って……感情を……“取らせる”ってこと……?」
ルキエルは、まるで悪戯っ子のように首を傾げて、あどけない笑顔を浮かべた。
「そうだね。そうやって“勝ち残って”いけば、君の“強くなりたい”って願いも叶うし――世界も、きっと平和になるよ?」
「……!」
ルアンは、言葉を失った。
それが“希望”に聞こえたのか――それとも、ただの皮肉に聞こえたのか。
自分でも、わからなかった。
•
――そのときだった。




