股くぐりの逸話の人が聖女にTS転生して国士無双中
【国士無双】
国内に比べる者が存在しない程の大人物という意味であり、漢の高祖・劉邦に仕えた韓信(?~紀元前196年)の渾名である。
その渾名の表す通り、韓信は輝かしい功績を挙げて大将軍にまで上り詰めた。
「韓信の股くぐり」という有名な逸話がある。
若かりし日の韓信は、町のならず者に「お前は立派な剣を持っているが、どうせ使う度胸はないだろう。俺を斬れないなら股をくぐれ」と因縁をつけられた。
中国では股をくぐるのは犬や家畜だけとされており、相手を人間扱いしていないという意味の最大級の侮辱である。
ところが、韓信はならず者を斬らずにその股をくぐった。
韓信は臆病者と笑い者にされたが、「怒りに駆られて犯罪者として一生恥を晒すよりも、志のためにひとときの恥を耐えるのだ」と、平然と言い放った。
それが負け惜しみでなかったことは、のちに国士無双と呼ばれるようになったことから明らかだろう。
ただし韓信は、「品行に欠ける」「才能を鼻にかける」「若い頃は働こうとしなかった」など、性格に難ありの人物だったようである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◇ソルヴェイグ歴762年/赤い鹿の月/某日◇
◇カテジナ大聖堂 祈祷室◇
「大丈夫よ。あなたの病気、絶対に治してみせるわ」
苦しげに横たわっている子供に両手をかざすと、魔力を集中させた。
「まあ! 聖女様の手が光りだしたわ!」
子供の母親の言葉通り、魔力を込めた両手は薄い緑色の光を放っている。
さらに、ローブのゆったりした袖が風に煽られるように揺らめいている。
「癒しの光!」
魔法を唱えると、癒しの魔力の光が子供を包み込んだ。
「コオォォォ」
魔力を送り続けるにつれて、子供の表情が少しずつ穏やかになっていく。
もう安心だろう。
「───病魔は、完全に駆逐しました。ふう」
魔法を解くと、司祭帽を少し動かして額の汗を拭った。
「あれ?」
子供が目を覚ました。
「お母さん。僕、全然苦しくない」
「奇跡だわ! 不治の病で絶対に助からないとお医者様から言われていたのに!」
母親が子供を抱きしめた。
「もう大丈夫ですよ。でも体力が戻るまで、体に負担の掛かる食事や激しい運動は避けるよう気を付けて下さいね」
そう告げると母親がこちらに振り向いた。
目に涙を浮かべている。
「分かりました。それにしても、聖女様にはなんとお礼を言ったらいいか」
「お礼など不要ですわ。困っている人を救う。それが聖女の使命なのですから」
「ああ。聖女様の聖なる力は、清らかな心によってもたらされているというのは本当なのですね」
母親が祈るように両手を握り合わせた。
祈祷室の壁際にいるシスター二人の会話が耳に入って来た。
「良かったわ。この子が助かって」
「そうね。だけど助かるのは分かっていたわ。何せ魔王を討伐した勇者パーティの一人、聖女のカーチェ様ですもの」
「カーチェ様は絶大な聖なる力をお持ちだから、不治の病なんて目じゃないってことね」
「うふふ。その通りよ。一日に10人以上の重病人を治療しても平然となさっていたのを見たことがあるもの。だいぶ疲れていらっしゃるようにも見えるけど、きっと気のせいよね」
ギクッ。
「気のせいに決まっているわ。カーチェ様はとても清らかな心をお持ちなんだもの。聖なる力の源のね」
ギクギクッ。
「で、では、わたしくしはこれにて。あとはお任せ致しますわ」
祈祷室から出てドアを閉めると───。
「ゼエッ。ゼエッ」
俺は、膝に手をついて荒い息をした。
聖なる力を絞り出すように使ったせいで、俺の体力は限界だ。
本当は立っているさえやっとだった。
幸い、カテジナ大聖堂の廊下に今いるのは俺だけだ。
俺は床の上に大の字になった。
ああ。どうして聖女が自分のことを俺なんて言っているのか気になるか?
なぜなら、中身は男だからだよ。
俺は元の世界では男だったけど、死んで気付いたらこの世界の聖女カーチェ(20歳)に転生してたってワケ。
異世界転生しちまったワケだけど、せめて性別ぐらい同じにして欲しかったなあ。
俺みたいに別の性別に転生しちまうことを、トランスセクシャル転生、略してTS転生って言うらしいな。
実は俺以外の異世界転生者ってやつに一度だけ会ったことがあって、そいつに色々と聞いたんだ。
こっちは普通にカーチェとして振舞ったけど。
そいつは元々21世紀の日本人だったらしいんだが、転生前の俺のことを知ってたっけな。
俺はそいつよりずっと昔に日本の隣の国で生まれたんだが、「韓信の股くぐり」っていう俺に関する逸話が後世まで伝わっているらしくてな。
結構有名みたいだぜ。
「カーチェ様? 床に寝そべったりなさって、お気分でも悪いのですか?」
はっ! 通りすがりのシスターが!
「なっ、何でもありませんわよ。シャキッ!」
俺は立ち上がって平然を装った。
「ですよね。カーチェ様なら、ご自身の体調不良くらい、聖なる力で一気に治せますものね」
「もちろんですわ。おほほほ」
くっ。ここで休んでるのはまずいな。
自分の部屋に戻ろう。
俺はシスターが居なくなるのを見計らって廊下を歩き出した。
足を引きずりながら───。
◇カーチェの居室◇
バタンキュー。
俺はベッドに倒れ込んだ。
なんでこんなに疲れているのかというと、無理して聖なる力を使ったせいだ。
元々のカーチェならあれぐらいどうってこと無いんだろうけどな。
とてつもない聖なる力の持ち主だったそうだから。
だけどその力は清らかな心に比例するらしくて、転生前から性格に難ありだった俺にはまともに使いこなせないんだよなあ。
元のカーチェの何十分の一とかだと思う。
さっきはヤバかった。
子供は助かっても、下手すればこっちが死ぬっての。
ただし、ああいった治療はカーチェまで頻繁には回ってこない。
このカテジナ大聖堂はソルヴェイグ国随一の宗教施設で、優秀な祈祷師がたくさんいるからな。
そして聖女であるカーチェ本来の役割は、世界の平和を願って祈りをささげることだ。
もっとも、俺が転生してからは個室に閉じこもって寝そべりながら、シュワシュワな黒くて甘い飲み物と、薄切り芋揚げの菓子をいただいているだけだけどな。
そうしているのがバレないことを祈るのみだぜ。
だけど厄介なことに、食っちゃ寝してるだけじゃあ済まないんだよなあ。
カーチェは数年前に勇者ってやつらと組んで、世界征服を企んでいた魔王とかいう恐ろしい奴を倒したらしいんだ。
そして人々は、世界をおびやかす難敵が再び現れることを恐れている。
だから聖女は、聖なる力が健在であることを一定期間ごとに証明しないといけないんだよ。
具体的に言うと、聖女に挑戦してくる奴と定期的に戦うことになってるんだ。
聖なる力を用いた高等魔法の中には、相手を金縛りにしたり、意のままに操ったりするものもあるらしいから戦闘もお手の物らしいぜ。
俺には無理だけど、そういう高等魔法を使えるかのように誤魔化さないといけないんだよなあ。
でないと新しい聖女を探すって話になりかねない。
もしそうなったら食っちゃ寝できなくなっちまう。
やだやだ!
働きたくねえ!
だから今まで、なんとか凌いできたんだ。
あの逸話を元に考え出した、とっておきの裏技を使って───。
でもその裏技を使うためには、挑戦者がある条件を満たしている必要がある。
コンコン。
むむ? ノック音?
「カーチェ様。次の挑戦候補者が出そろいました」
「入って下さいませ」
俺はベッドから立ち上がってシスターを迎え入れた。
「カーチェ様ごきげんよう。いつも思いますが、心が清いだけではなく見目も麗しいですわね。スタイルも良くて羨ましい限りですわ」
「まあ。お上手ですこと」
中身が男だから、女として褒められても本当は嬉しくないけどな。
でもカーチェの容姿は、挑戦者と対戦する際の重要な要素になっていたりもする。
「さてと。挑戦候補者の情報を教えて下さる?」
「では、コホン」
シスターが手にしている用紙を目の前に移動させた。
「一人目。ガーランド。28歳。男性。職業は戦士」
「例の条件は満たしているかしら?」
「いいえ」
「ではパス」
あの条件を満たしてないと困るんだよ。
「二人目。マーフリーデ。75歳。男性。職業は魔法使い」
「パスですわ」
仮に条件を満たしていたとしても、枯れている奴には効果が薄い。
「三人目。セシリア。23歳。女性。職業は───」
「女性はパスですわ!」
あの条件は、まず満たさないもんなあ。
「では四人目。ジャスティン。18歳。男性。職業は武闘家。この挑戦候補者は、例の条件を満たしているようです」
「脚フェチ、M男ということで間違いないかしら?」
「は、はい」
よっしゃあ!
こいつになら、あの裏技が使えるぜ。
「次の対戦相手はジャスティンで決まりよ。手続きをよろしくお願いしますわ!」
「かしこまりました。ところで───」
シスターが赤面している。
「毎回思うのですが、この条件確認は何なのでしょう? 口にするのも恥ずかしいので、取り下げて頂けるとありがたいのですか」
「駄目!」
その条件を満たさないと、あの裏技が使えないんだよ。
「わ、分かりました。これにて失礼いたします。それにしても、どうしておかしな条件を付けるのかしら。常勝無敗で国士無双とまで呼ばれている聖女カーチェ様が───」
シスターが首を傾げながら部屋を後にした。
「やれやれ。国士無双か」
何の因果かそう呼ばれている。
目を閉じると、胸に様々な思いが浮かんでは消えた。
◇数日後◇
◇ソルヴェイグ国立闘技場◇
闘技場は満員御礼。
観客の熱狂がこの下の闘技会場にまで伝わって来る。
俺は聖女カーチェとして挑戦者と対峙していた。
目の前に若い道着姿の男が立っている。
あのジャスティンという18歳の若い男だ。
「聖女カーチェ様。胸をお借り致します」
ジャスティンは武闘家らしく礼をすると、拳法の構えを取った。
「それでは両者構えて、始めい!」
掛け声とともに、試合開始の鐘が打ち鳴らされた。
ジャスティンがジリジリと間合いを詰めてくる。
だが俺はその場に立ったまま、足を横へとやや広めに開いた。
そして両手を腰に当てる。
戦いには不利な姿勢だ。
だが───。
「あなた、脚フェチだそうね?」
俺は囁くと、その姿勢のまま足に魔力を集中させた。
足がわずかに光り、ローブの裾がヒラヒラと翻る。
「はうっ! 美しいカーチェ様の、セクシーな御見足が露わに!」
太ももまで露出された俺の足に、ジャスティンは釘付けになっている。
だがここからだ。
「それにあなた、M男だそうじゃない? そこに這いつくばったら、ご褒美をあげるわ♡」
精一杯色っぽい声で言っているが、内心はヒヤヒヤだ。
「は、はひっ」
だがジャスティンは狙い通り四つん這いになった。
よし!
「おお。聖女様は聖なる力を使って、あの武闘家を地面に這わせたぞ!」
「手は腰に当てたままだ。足の魔力を使う高度な魔法に違いない!」
くくく。
観客たちめ。
騙されておるわ。
「さあ、坊や。ご褒美よ。私の股をくぐらせてあげるわ♡ そのまま四つん這いで進んでいらっしゃい♡」
俺はアゴをクイっと上げて、ジャスティンを挑発的に見下ろした。
「謹んで! 喜んで! 萌え~」
ジャスティンは犬のように這って進むと、俺の股の下をくぐりぬけた。
「でたぞ! 聖女様の『股くぐらせ』」
「敵を操って、聖なる力を込めた足の間を通らせて失神へと追い込む技!」
そう。俺は「韓信の股くぐり」の逸話を元に編み出したこの技を使って、ずっと聖なる力を駆使しているかのように誤魔化し続けてきた。
そして、毎回挑戦者を退け続けてきた。
でも脚フェチかつM男にしか通用しないから、挑戦者は入念にチェックする必要があるってワケ。
「し、至福~。はうっ」
俺の少し後ろまで進んだところで、ジャスティンが気を失った。
「ふうう」
足に魔力を込めるのをやめると、ローブの裾がふわりと落ちた。
「勝者、聖女カーチェ!」
俺の勝利が告げられると、観客から歓声が沸き起こった。
「聖女様の聖なる力は健在だ!」
「どうかいつまでも、その力の源である清らかな心を保ち続けてくださいませ!」
「第二の魔王が現れようと、聖女様がいる限り安心よね!」
「聖女樣万歳!」
「常勝無敗!」
「国士無双!」
歓声を背に、俺は闘技会場を後にした。
◇闘技場 控室◇
「はあ」
一人になった俺はため息をついた。
こんなアホな色仕掛けで、一体いつまで凌げることやら。
それに虚しい。
虚しすぎる。
本当に聖なる力を使いこなせたらなあ。
その源の清らかな心を持てるように、努力してみるか?
でもこの難ありの性格が直るかなあ。
転生前は、街で因縁をつけるようなならず者だったし。
そのせいで死んじまったしな。
くう。泣けるぜ。
え? 俺がどうして死んだのかって?
大将軍に処刑されちまったからだよ。
隠蔽されて、歴史には残ってないみたいだけどな。
ちくしょう。
韓信のやつ、昔のことを根に持ちやがって。
股をくぐらせたからって殺すことねえだろ。
中には喜ぶやつだっているんだからさぁ。
それにしても皮肉なもんだぜ。
韓信みたいに、俺も国士無双と呼ばれてるなんてな。
『股くぐりの逸話の人が聖女にTS転生して国士無双中』
~~ 劇終 ~~
読んで頂いてありがとうございました。
アホな話だなあと思って頂けましたら本望です。
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宜しくお願い致します。
※韓信に股をくぐらせたならず者が報復で処刑されたというのは本作の創作ですのであしからず