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フロムハウス  作者: KN
8/17

なぜか昨夜のような

「話すのは楽しかったよ! それじゃあ、また話そうね!」

 そう言って結月さんは姿を消した。今夜はもう話すつもりがないのだろう。それから僕が呼びかけても反応することはなかった。

 残された僕は彼女を追おうとしてステージを飛び降りたが、全く見えなくなったので止まってしまった。空回った足のまま客席に座る。

 最後の足掻きか消えた明かりが不規則に灯っていて、光に集まった虫たちもしきりに行き先を見失っている。少しの欠けがある月はあと数日で満月だろうか、月光がステージの全容を怪しく照らしていた。

 結月さんのことを考えると機会費用だなんて言葉が浮かんだ。大学で学んだ経済学の考えだ。それは、ある物事を選択した時にかかる費用は単純に支払う分だけではなく、その選択をしたことで行えなかったことの利益も含めるという考えだ。これが結月さんにも当てはまるのではないのかと思っていた。つまり、アイドルという道を選んだ費用――レッスン代や身体的疲労だけでなく、学生生活を送れなかったことも含めたもの――がそれで得られた利益を上回っていたということだ。それが結月さんの未練なのではないのかと僕は考えていた。だから、仮初でもその一端を知れば良いのだと僕の話を彼女に話したのだ。

 だが、全くの見当違いだったようだ。それどころか未練がないと言い切られてしまった。

 思えば、結月さんの口ぶりでは僕の前に何人も来ていたようだった。それでも解決していないのだから、何か理由があるのは想像できたはずだ。このような理由だとは考えてもいなかったが。

 ぼうっと空を眺める。闇の中では全く見分けの付かなかった雲も月に重なるとその姿がよくわかる。薄く光が透けるようなものもあれば、分厚く全く光を通さないように覆ってしまうものもあった。

 スマホが鳴ったのはそんな真っ暗になったタイミングだった。藤沢さんからの電話だ。

「はい、もしもし」

「もしもし、藤沢です。こんばんは、有野君」

「こんばんは」

「松原さんはどうでしたか?」

 スマホ越しには紙が擦れる音が聞こえた。まさか朝からこんな時間まで働いているのか。そんな藤沢さんに更に手間をかけるのが憚られて口ごもる。もごもごと曖昧に返事をすると、向こうの音が止んだ。

「今日ももう遅いですから、お帰りください。暗いので転ばないように気をつけてくださいね」

 この状況も藤沢さんにはお見通しだったようだ。そうして、手短に労いの言葉と共に電話が切られた。

「帰るか」

 ひとりごちてとぼとぼと帰路に着く。背中を丸めて歩く僕の姿を映した影はどうにもおっかない。


 重い手で鍵を取り出して扉を開ける。そのまますぐにベッドに飛び込もうとして、顔をしかめた。じっとりとかいた汗のせいでシャツが引っ付いて気持ちが悪い。ため息を吐きながら、シャワーを浴びに向かった。

 さっと浴びたが体が火照ってしまった。軽くタオルで拭きながら窓を開ける。乾き切っていない髪に当たる夜風はひんやりとしていて心地良い。

 サンダルを履いてベランダに出る。そして、夜の街を見渡した。ここがもっと高いマンションであったのならば高層ビルから届く光も望めたのだろうが、この部屋では寂しく灯る街灯ぐらいしか見えやしない。いつも見上げるばかりで入ったことのない場所だ。何があるのか時々考えることもあった。結局今の今までわからずじまいだったが。

 夜道もこんな時間に出歩く人もいないようで静かだ。もう夜は遅く、街は眠りについている。けれども、僕は目が冴えていた。

 手元のスマホの電源を付けるとその眩しさに目を細めた。全く、目に悪い光だ。画面を強く叩いて明るさを落とす。

 調べたいことはすぐにわかった。松原結月と検索するとあっという間に画面はニュース記事に埋め尽くされた。どれもこれも彼女について大きく載せていて惜しんでいた。それほど彼女は人気だったのだろう。

 経歴も大まかに書いてあった。松原結月、十八歳。小学校を卒業後、オーディションに合格して事務所に所属。そしてデビュー。そこから地道に活動の場を広げていき、人気を獲得していった。特にここ一年の活躍は凄まじく、まさに飛躍の年と言えた。そのように順風満帆に思えた矢先、飲酒運転の車に――。

 そこまで見て窓にもたれかかった。今の季節では息は白く染まらないが、じゃあ僕が吐いたこれは何色だろうか。

 

 しばらく思案していたが肌寒さを感じてベッドに入った。だけど、ちっとも眠れない。目を瞑っても頭を占めるのは今日のこと。

 信じたくはなかったが、結月さんは未練がないと言った。僕と、そしてフロムハウスの人に謝りながら。

 藤沢さんが言うには未練があるから彼らは留まっている。だから、それが解消されれば去っていく。それが普通だと言っていた。

 彼女もそのはずだ。そうでなければ、どうなるのか。もしかすると、彼女はずっとあのままで――。

 嫌な考えをかき消すために寝返りを打ちながら結月さんの未練は何かを考えた。

 結月さんが非常に人気であることは今までのことかわかっている。ならば、どうしてあのステージに彼女はいたのだろうか。このあたりでは一番大きいと言える場所であるが、遠方に行けばそれこそドームだとか大規模なものがあるはずだ。当然、そう言った場所でもライブしているだろうし、何か特別思い入れのある場所かもしれない。それこそ初ライブの場所であるとか――。

 色々な考えが浮かんでは消えていく。そうしたら、いつの間にか夜は姿を消していて、陽の光が顔に当たった。はっと気が付いて時計を見ると、既に朝になっていて外からは登下校を行う小学生の声などの喧騒が聞こえてきた。ふらついた足でコップを取り、水を飲みながらぼんやりと思う。ああ結局、こんな時間まで考えはなにもまとまらなかった。

 いざ朝になったと認識したらどっと疲れが押し寄せてきて、頭の痛みが主張し始めた。

 今夜も結月さんに会いに行くのだ。寝不足で何もできないなんて話にもならない。

 寝転がって目を瞑る。しかし、疲れていると案外眠れないもので中々寝付けない。それに、外の明るさや通行人の声が耳に入って邪魔をしてくる。枕に顔から突っ込んでもまだ気になる。思い切りうるさいとでも言いたいが、そんな気分でもない。

 ああ、蝉の声も喧しい。今日も今日とて合唱会だ。

 そこら辺に転がっていたイヤホンを引っ掴んで、ろくに知らないクラシックなどを流して耳につける。価値がわかる人が聞けば冒涜とでも怒られるそうだが、どうか許してほしい。

 僕は薄い布団を頭の先まで被りながら、目を瞑った。


 

「ちゃんと来たんだ」

 その日の夜、僕の姿を認めた結月さんは意外そうな顔をして言った。

「それは来るよ」

 そう返すと結月さんはにやりとこちらを見る。

「いないと思ってたんでしょ?」

「まあ、うん。もしかしたらもうどこかに行ってしまったかと」

 結月さんは昨日と同じようにステージの縁に座っていた。そして、同じように足を投げ出して鼻歌と共に体を揺らしている。そこにはあのどこか拒絶しているような雰囲気は感じられない。

「君は見た? 今日もここでライブがあったんだよ」

 結月さんが照明を指差した。彼女の近くに座りながら、釣られて見る。すると、昨日は切れてしまっていた明かりが交換されているのを見つけた。彼女が言うようにライブがあったから整備が行われたのだろうか。

「見てないけど、君は見たの?」

 朝方に寝たので陽が沈むまで眠っていた。

「見たよ。とっても良かったよ。皆笑顔であっつあつで」

 上気した顔で結月さんが言う。かと思うと、「お金がないから、こっそりとね!」と顔を隠してみせた。さらに、立ち上がってギターでも弾くかのように腕を動かした。

「こんな感じで、ギュイーンって」

 どうやら再現しているつもりのようでドラム、キーボードと弾くふりを続けていった。楽しそうに笑っているが、よく見れば動きと声が合っていない。でたらめな演奏会だ。最後に「ありがとーう!」と手を振って演奏は終わった。

「どう? 上手いでしょ!」

「どうだろ。実物と比べてみないと」

 すると、結月さんは握り拳をこちらに向けてきた。僕が困惑していると、彼女は「ん」と僕の顔を覗き込むように促してきた。まさかマイクのつもりか。

「え、えーと。悪くはないかも」

 圧に負けて褒めてしまうと結月さんは自分にマイクを向けた。長い髪をかき上げて凛々しい表情で言う。

「やっぱり俺たちだけの力じゃないです。きっとこの会場の、いや今まで関わって来た人たちのおかげです!」

 そこまで言うと今度はマイクもなしに聞いてきた。

「ほら、完璧でしょ!」

 結月さんは得意げだ。

「それって、今日のライブの?」

「うん、一番盛り上がってたバンドの真似」

 そう言って胸を張って、顎が見えるほど反った。

「結月さんのステージはどうだったの?」

 突発的に始まったライブごっこを見ていると気になってしまった。結月さんはさぞこのステージに立って人々を魅了していたのだろう。

「もし良ければ――」

「ダーメ! 気分じゃない!」

 何となく提案してみようとすれば、言い切る前に否定の言葉が飛んできた。かと思えば結月さんはダメな奴でも叱るみたいに言ってきた。

「有野君ってば全然流行ってものを知らないね」

「そんなことないよ。ちょっと前に流行ったスイーツとか食べたことあるし」

 タピオカとか、あの真ん中でぱっくり割れた生地に大量のホイップクリームを挟んだものだって食べたことがある。そう主張するが、結月さんはまだ僕に胡乱げな視線を向けてきたままだ。

「で、味はどうだった?」

「そりゃあ、美味しかったよ」

「でも?」

「でも、でも、そこまで人気になるものかなって」

 と観念すれば「やっぱり!」と大笑いだ。何がおかしいのか。むしろ僕は流行りの方がおかしいと思う。確かに美味しかったけど、あんなに行列を作るほどとは思えない。一度行った時は軽い気持ちだったが買えるようになったら満身創痍だった。なのでもう二度と行かないと誓った。

「僕の考えがきっと普通だろうし」

「どうかなあ」

 僕が不満を表しても、結月さんはにやりと意地の悪い笑みを浮かべていた。

「じゃあ何か流行りの歌は知ってる?」

「もちろん知ってるよ」

 脳裏に思い浮かんだメロディーを口ずさむ。どこに行っても流れているし、このハイテンポな感じが耳触りが良くて記憶にあった。そのせいで歌詞は何回聞いても覚えられないが。

 だが、これで謂れのない非難を避けられるだろう。鼻を鳴らして、ふんぞり返って結月さんを見る。彼女は目を丸くしていた。僕が知っているとは思わなくて驚いたのだろう。

「ええー、それ何年も前のやつだよ」

「まさか、そんなことはないよ」

 ここ数か月で知った歌なんだ。少なくとも今年リリースされた曲だろう。

「調べてみなよ」

「別に良いけど、どうせ勘違いだと思うよ」

 しぶしぶスマホを取り出して調べ始める。結月さんが肩を寄せて覗き込んで来た。

「全然アプリないじゃん」

「必要なものは入れてあるから」

 というかそれは今関係ない。文句を聞き流してさっと文字を打ち込んだ。まず主要な動画サイトに上がったその歌の概要が表示された。とんでもない再生回数だ。これだけ人気があるからこそ、町中に溢れていたのだろう。結月さんによく見えるように画面を傾ける。これでわかったはずだ。この歌が流行っているのだと。

「ほら! 私があってたじゃん」

 しかし、結月さんは勝ち誇った顔をしていた。彼女の指が画面を拡大する。すると、でかでかとリリース日が出てきた。その日付は、四年ほど前を指していた。悔しくなって最近の歌も検索してみた。だが、ほとんど僕が知らないものばかりだった。結月さんの自慢げな顔が憎たらしい。

 

 そうやって他愛なく当たり障りもない会話をしていると気づけば夜も随分と深くなっていた。この場もどこか落ち着いた様相を醸し出している。

 ふと、喉の渇きを覚えた。そういえば飲み物を持ってくるのを忘れていた。辺りを見渡すとあった。この会場の端も端、そこで乏しい光を放つ自販機だ。

「結月さんも何か飲む?」

 財布を取り出しながら問いかける。

「んー、私はいいかな」

「そっか」

 ステージから降りて自販機へ向かう。風が吹いて腕をさする。案外冷えるな。昼間とのギャップや気温がある程度高いからこそこうさせるのか。冷たいのを買おうとしてたがやめておこう。

 小銭を入れてボタンを押す。落ちてきた物を取り出して両手に持つと、夏の不快な暑さとは違うじんわりとした温かさが広がった。

 ステージまで戻ってくると、結月さんも腕をさすっていた。僕は再びステージの縁に座り直すと彼女に向かって購入したペットボトルを差し出した。

「はい、これ」

「もう、良いって言ったのに」

 結月さんは呆れたように笑うと、両手で受け取った。

「ちょっとひんやりしたなって思ってたけど、さすがにこれじゃ今の季節に合わないね」

「確かに、風が冷たいだけだったかも」

「雨雲が近いのかな」

 パキッと音を立てて蓋を開けると湯気がふわりと沸きあがった。やっぱり早まったか。喉を通して体が温まっていくのを感じると同時に汗もかいてきた。

「そういえばさ、私の歌、聞いた? 調べたら出てくると思うけど」

 結月さんはふうと息を吹きかけて冷ましながら聞いてきた。

「そういえばまだ聞いてなかったな」

 帰ってから考えすぎて頭から抜けていた。蓋を閉じてペットボトルをちゃぷちゃぷと揺らす。

「そっかあ」

 そこで会話が途切れて、結月さんがゆっくりと飲んでいる音だけが響く。そして彼女はトントンと軽くステージを叩きだした。リズミカルに、エアギターよりもよっぽど巧みに。そのリズムが響くと場の雰囲気ががらりと変わった。

 遠くを見て淡々とリズムを刻むその姿に言い表せない思いが募る。さっきまでの会話と同じように口角は上がっている。鼻歌だって聞こえてきている。だが、なぜだか昨夜の別れ際の様子と重なって思えて仕方がない。僕がまだわかっていない彼女の感情が込められているように感じたのだ。

 ペットボトル内に残った液体が光を反射した。

 今を逃せば他にない、もう手が届かなくなってしまう。なぜだかそんな気がして、意を決して僕は今日ここに来てからタイミングを伺っていた質問をした。

「アイドル?」

「そうだよ。今まで何を話してたってなるじゃん」

 結月さんは呆れたように言うが言いたいことはそうじゃない。

「そうじゃなくて、未練について。学校生活じゃないって言ってたけど、だったらアイドルが未練になっているんじゃないかって思ったんだ」

「ふーん、まだそんなこと考えてたんだ」

 結月さんは考えこんだようにそれっきり黙った。トントンと叩く音だけが響く。僕は固唾を飲んで待った。そして、指がひと際強く音を立てると彼女は言った。

「やっぱ違うなあ」

「そっか……」

 ピンと来ていないようで結月さんは微妙な顔だ。僕もしょんぼりと肩を落とした。彼女から昨日言われたように半ばわかっていたことだったが、やはり違うか。学校生活でもアイドル活動でもないと来た。ならば他にどうすれば良い。

「私も、一つ気になったから、聞いてもいい?」

 僕が頭を悩ませていると今度は結月さんから聞いてきた。

「え? うん、良いけど」

 僕が頷くと、結月さんは言った。

「君はさ、どうしてこうやって私の未練を晴らそうとしてくれているの? 仕事だから? それとも同情?」

 その言葉に僕の喉はひゅっと鳴った。

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