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フロムハウス  作者: KN
6/19

子供の頃に見た夢のような

 久保さんとのことやフロムハウスの本当の業務という未知に遭遇した翌日、僕は面接を行った場所であるフロムハウスの事務所に再び訪れていた。結局来てしまった。

 昨日はなんの変哲もないように見えたこの建物だが、どこか変わった仕掛けでもあるように思えてくる。いざとなったらこの建物ごと幻になってしまうのか。流石にそんなことはないと信じたい。滴り落ちた汗が跡を付けずに乾いていく様を見てそう思った。

 熱中症になってしまう前にドアを開ける。これまでに僕を迎えてくれていた大合唱を繰り広げる蝉の声に続いたのは甘い香りだった。

「こんにちは、有野君。よくいらっしゃいました」

 藤沢さんが笑顔を見せて迎えてくれた。どこかほっとしているように見えるのは、僕が来ないかもしれないと思っていたのか。

「こんにちは、藤沢さん。この香りってもしかして」

 話を変えて甘い香りについて聞いてみた。この匂いを嗅ぐと、少し感じていた緊張が和らいだように感じる。

「はい、そうです。久保さんのお部屋に生けてあったものと同じ品種です」

 掃除でもしていたのか埃取りを持った藤沢さんが小さな花瓶を抱えて見せてくれた。その僅かに意匠がこらされた花瓶には二本の花があった。

「久保さんが教えてくれました、これが好きな花だと」

「綺麗ですね」

「ええ、やはり二本あるとより映えます」

 藤沢さんの言う通り、花々は水に溶けてしまった時より鮮やかに咲いていた。加えて、同じ色でありながらそれぞれ微妙に濃淡が異なっていて、美しいコントラストを出している。そして、重なり合いながら花弁を広げる様はまるで支え合っているようだった。

「それでは、今日の依頼についてお話ししましょうか」

 しばらくの間和んでいたが藤沢さんの言葉に、面接の時と同じように彼と向き合って椅子に腰かける。

「あの、そんなに依頼ってあるものなんですか? 久保さんの件だって終わったばかりなのに」

 亡くなる時に未練を残さないという人は少ないと思うが、僕は幽霊なんて聞いたこともなければ見たこともない。なのに、そう何件もあるものなのか。

「それがそうでもないのです。毎日多くの人が亡くなっていますから。それに、積り積もった未練とはそう易々となくなりはしないのです。そして、未練が解消されなければ彼らはそこに留まってしまいます」

 藤沢さんは沈鬱そうに首を振る。

「じゃあ僕が会ったことがないのは」

 藤沢さんの言葉ではこの世に溢れているみたいだ。

「久保さんと話してどのような印象を受けましたか?」

 顎に手を当てて考える素振りを見せた後、藤沢さんが優しく言った。

「印象ですか。優しそうな人でしょうか」

 特に考えるまでもなくそんな言葉が出ると、藤沢さんは軽く頷いた。

「彼らは亡くなったと言いましても、思うことや考えることはほとんど生前のままです。だからこそ、余程の例外でもない限りは迷惑をかけまいとするのです」

 久保さんの表情を思い出して合点がいった。彼は幽霊となってしまうほど強く残った未練があっても穏やかで、節々で感じられた温かさがあった。

「少しわかった気がします」

「それなら、良かったです。我々はそんな優しい方々の助けになることを社訓としています。有野君も是非覚えておいてください」

「はい、忘れないようにします」

「お願いしますね」

 藤沢さんは微笑むと真剣な表情になった。

「改めて、説明を。今日有野君にお任せしたい依頼についてお伝えします」

「よろしくお願いします」

「では――」

 藤沢さんはどこからか取り出した紙を持って読み上げた。


 ◆


 うだるような暑さから一転、じんわりとまとわりつくような気温。僕は一人、息を吐いた。あれだけうるさく歌っていた蝉たちも休憩中だ。足音が遠くまで響き、風が吹く音はガサガサと辺りを騒ぎ立てている。元気いっぱいだった太陽も疲れ果てて眠りについていた。代わりに顔を出している子はまだまだ恥ずかしがりやのようで少しの欠けが目立つ。

 薄く、大きく伸びた影が先導する方へ進む。まるで小さな頃に見た夢のようだ。周囲を見渡しながらそう思う。いつも見ている物がまるっきり違って見えるのだ。地に映る影のように暗くて黒い、そして何倍にも膨らんでしまっているかのように大きい。声を出しても闇に吸われて届かない。あの時はしばらくの間、泣きじゃくって一人で眠ることができなくて、両親の部屋に行っていた。

 とっくの昔に克服したと思っていた暗闇。一人暮らしを始めて、今年には二十歳にもなって今更そんな夢など見ても些細なことだなんて笑い飛ばせていた。けれど、今は身が竦む。

 本当にここにいるのだろうか。ついそんなことを思った。藤沢さんが伝えてくれた内容を反芻する。彼の話によればこの先にいるはずなのだ、未練を抱えた人が。

 少しすると開けた場所に着いた。その場所は多くの椅子が段差の上で放射状に広がっていて、その中心にある地面から少し高い場所――おそらくステージだが――にはイチョウのような屋根がかかっている。ここはこのあたりでも大きなイベントホールだ。音楽ライブなどをよく行っていてよくチラシなどが貼ってあるのを見かける。

 久保さんのように待っている人を周囲を見渡して探してみる。すると、すぐに見つかった。横に長く伸びたステージのその真ん中、そこにいた。その少女はステージに腰かけて、足をぷらぷらと揺らしながら夜空を眺めていた。

「ふんふふーん」

 近づいてみると、鼻歌も聞こえてきた。肩まで伸びた濡羽色の髪が体の動きに合わせて揺れている。

「すみません、あなたが松原さんですか?」

 しかし、少女は返事をしなかった。自分の世界に浸っているのかこちらさえ見ようとしない。鼻歌もそこまで大きくはないと思うが。むっとして更に声を張り上げる。

「あの! フロムハウスの者ですが!」

「ん? あ……」

 そこでようやく少女と目が合った。薄く開かれた目が僕の姿を捉えてまん丸に見開かれた。その目はうるうると僅かな光を反射して煌びやかに輝いている。

 息を飲んだ。降り注ぐ月光も相まって儚げなその美しさが際立って見える。

「初めまして、松原さん。僕は有野と言います。フロムハウスの一人として来ました」

「ふーん。また来たんだ」

 松原さんは冷ややかに言う。

 その態度に僕は面食らってしまった。どうにも歓迎されていないようだ。久保さんの時とは随分違う。

「あー、ごめん。今日来た人に言うことじゃなかった」

 怯んだ僕を見て松原さんは眉を落とす。

「いえ、気にしていないので……」

「気にしてる人の言い方じゃん、それ」

 松原さんはけらけらと笑った。

「お兄さんもフロムハウスとか言う変なとこの人なの?」

 そんな認識なのか。確かに僕も得体の知れない様子に困惑もしたが。

「はい、バイトとして最近始めました」

 そう返事をすると、松原さんは今度はにやりと笑う。

「やっぱり」

「やっぱり?」

 その言葉に聞き返す。すると、松原さんは僕の顔を指差した。

「だって、今まで来た誰よりも若いし。他の人は一回りも二回りも私よりも年上に見えたけど、お兄さんは私とあんまり変わらなそうだったから」

「そうですか……」

 松原さんの言葉に声を落とす。藤沢さんによれば今目の前にいる彼女は僕よりも年下なのだ。それなのに――。

「あっ、そうだ。その堅苦しい言葉遣いやめてよ。お兄さんの方が年上だし、折角年も近いんだし」

 松原さんの弾んだ声にはっとなり、慌てて言い募る。

「僕は仕事として来てますし。松原さんに失礼があったらだめなのでこのままが良いです」

「そんなこと言うんだ。ふーん」

 松原さんが頬を膨らませてありありと不満をアピールしてくる。細められた目からも彼女の気持ちが伝わってきた。

「私が良いって言ってるんだから、良いの! それに松原さんって言うのも何かしっくり来ない。名前で呼んでよ。どうせ知ってるでしょ。ほら、結月(ゆづき)って」

「ゆ、結月さん」

「さんはいらない」

「結月、さん」

「まあ、それでもいっか」

 小さくため息を吐く。結局、無理やり押し切られてしまった。最初の印象とは違って随分と押しが強い。松原、じゃなかった結月さんは満足げに頷いている。

「それじゃあ話そうよ。それが仕事なんでしょ?」

 結月さんは座り直して、その隣をバンと叩いた。あまりに距離が近い。そう僕が躊躇っていると結月さんは強く手を引いてきた。

「ほら、遠慮しないで」

 勢いによろめいてたたらを踏む。そして、そのまま結月さんの隣に座らされた。

「これで良しっと」

「ちょっと強引すぎると思いますけど」

「そのぐらいでちょうど良いの。というか敬語」

「はい……あっ。えっと、うん」

 諦めて結月さんに倣って足をステージの外に投げ出して揺らす。すると、強張っていた足から力が抜けた。気づかぬ内に疲れが溜まっていたみたいだ。案外こうやってみるのも悪くない。

「思ってるよりも良いよね、この場所」

「うん、何だか心地良い」

「私も気に入っているんだ。有野君は?」

「僕はあんまり知らないな」

「ライブとか来た事とかないの?」

「少しはあるけど」

 友人に誘われて来たことはあった。出発して友人のお気に入りのバンドのライブを観に行ったのだ。その日は朝早くから起きて意気込んで準備したものだったが、結局楽しみ切れなかった。あまりに人が多くて人酔いしてしまったからだ。屋外という条件も災いした。今と同じような燦々と輝く太陽に照らされた外は燃えるように暑くてとてもライブどころじゃなかった。友人は途中離脱してしまったことを気にするどころか謝ってくれたが、それ以来僕の足はこの会場から遠のいてしまっていた。

「あんまり良い思い出じゃなかったんだ」

「まあ、そうなるかな」

「もったいないなー。こんなに良い場所なのに」

 結月さんは大きく伸びをしてそのまま体を後ろに倒してステージに寝転んだ。そして、腕を伸ばしてまるで指揮者のように手を振った。

「あっちには親子で来たお客さん。子供が熱中症にならないように日傘を差している。こっちは夏以上に暑苦しい人たち。タオルやうちわを持って盛り上げてくれている。ステージ脇にはたくさんのスタッフさんたちが真剣な顔で控えていて、何かあった時に備えているの」

 結月さんが目を瞑って言うので、僕も目を瞑ってみた。そうしたら、彼女が言う情景をありありと想像できた。凄まじい熱気の中でも笑顔の人たち。きっと会場にいる人全員で一体となってライブを作り上げるのだろう。

「僕にも何となく浮かんできたよ。何だか楽しそうだ」

「でしょ」

「うん。凄い詳しい。そんなに来るほど好きなアーティストがいたんだ?」

「うーん。まあ来てたけど好きなアーティストがいたってわけじゃあ」

 突然歯切れが悪くなった。先ほどまでの僕を押し切っていた勢いがどういうわけかなくなってしまった。

「というか、知らないの?」

 結月さんが体をのそりと起こしてこっちを見てきた。眉を顰めて首を傾げている。

「えっと何が?」

「だから、私のこと」

「君のこと?」

 僕も釣られて首を傾げると、結月さんはより表情を険しくして言った。

「だから! 私のこと! 私は見る側じゃなくて出る側! 私はアイドルだったの!」

 呆れた顔を隠そうともせず彼女はそう言った。

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