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フロムハウス  作者: KN
12/19

紫煙をくゆらせていそうだ

 今日も今日とて憎たらしいほどの快晴。照り付ける太陽はますますその勢力を強めていた。天気予報によれば真夏日だそうだ。さらに言えば、酷暑で有名な場所では四十度越えもあるらしい。本当にとんでもない。これでは砂漠に住んでいるのと変わらないのではないか。

 心なしかへたって見える木を横切って路地を曲がり、少し慣れてきた道を歩いていく。お年寄りが打ち水をしていた家の前を通り、コンビニ前でアイス片手にたむろしている子供たちの騒ぎ声が聞こえる中進んでいく。ちなみに打ち水はあっという間に乾いてしまってほとんど効果がなかった。さりげなくもっとかけて欲しいと歩くペースを緩めたがお年寄りには暑さはより堪えたのだろう、すぐに中に引っ込んでしまった。

 ゴリゴリと気力を削られる音がする。道には慣れてもこの暑さにだけは中々適応できない。気を紛らわせる必要があるな。僕はイヤホンを取り出して耳につけた。

 聞き覚えのあるメロディーとこれまた記憶に強く刻まれた歌声が流れ出した。それに合わせて僕もついつい鼻歌を歌って進んで行く。

 やがて、その歌が終わり、次の曲が流れ始めた。今度はあまり知らないな。彼女の曲は数が多くて、まだまだ全てを聴けてはいないのだ。だが、おかげで新鮮な気分になれる。僕はテンポ良く地面を蹴った。


 そうして辿り着いたフロムハウスの事務所。今日も古めかしい外観に目を取られるが気になったのは別のこと。建物の前に見慣れぬ車が停まっていたのだ。

 それはシルバーと言うより、グレーと呼ぶべき色をしていて以前乗った藤沢さんの車とは全く違うことがわかる。あるいは藤沢さんの別の車とも思えなくはないが、おそらく違うだろう。藤沢さんの印象とはあまりにも離れている。

 車に近づいて細かに観察してみた。まず座席は僕が乗せてもらっていた父の車とは何というか質感が全く違った。何か貴重な革でも使用しているのかもしれない。車全体も非常にスマートで、鈍重な車とは異なり機能美を感じさせた。そしてつぶさに見ていくと、僕は薄々覚えていた違和感の正体に気づいた。

 この車は左ハンドルだったのだ。免許を持っていない僕にはその価値を正しく推し量ることはできないが、車好きの友人がそのような車種のカタログを涎を垂らす勢いで眺めていたのを覚えている。この車はその時に載っていた高級車と同じ気配があった。

 僕はすぐにその車から離れた。指紋どころか、吐息の一つさえ当たってしまえばどうなるか、想像もできない。シャープな曲線に反射する光も相まって物々しい気配を醸し出しているように思えてきた。だが、これで改めてわかった。この車は確実に藤沢さんの物ではない。つまり、他の誰かがフロムハウスの事務所を訪ねてきているのだ。こんな高級車を乗りこなしている人だ、住む世界が違うのだろう。そんな人がどうしてフロムハウスに。依頼人か、いやもしかするとスポンサーだとか出資してくれている人だったりするのか。

 目を離した隙に何があるかわからないため、僕は車から目を離さないようにそっと横歩きで扉の前まで向かった。そして、インターホンを鳴らそうとしてはっと気づいて思案する。僕はこのまま入っても良いのか。中では何か大切な話し合いでも行われているのかもしれない。ここで僕が入ったら機嫌を損ねて破談なんてことになりかねない。僕は能天気にボタンを押そうとした手を引っ込めて扉に耳を当て中の様子を伺った。

「――ですから! 私は!」

 その瞬間、心臓が飛び跳ねた。息を潜めて中の音を拾い集めようとした僕の耳に叫ぶような声が飛び込んできたのだ。そして、その声の他に微かに聞こえる男の声。そちらの声には聞き覚えがなかったので、きっとその男が高級車の持ち主なのだろう。だがそうなると、叫んだのは藤沢さんということになる。僕が持つ藤沢さんに対するイメージからは考えられない声の荒げ方だ。何か良くないことでもあったのか。心配になって更に強く耳を押し当てる。

「少し落ち着け。何も俺は、無茶を言ってるわけじゃあない」

 男が藤沢さんをなだめるように言った。その声は低く深みがあった。対して藤沢さんは何かを言おうとしているのだろう、まごついた声だけが聞こえてきた。

 よくわからないが穏やかじゃない。このままではより雰囲気が悪くなりそうだ。僕は意を決してインターホンを押した。

 どたどたと慌ただしい音が聞こえてくる。そして、扉が開けられた。

「おはようございます、有野君。今日もよく来てくださいました」

 顔を出した藤沢さんはいつもの柔和な笑みを携えていた。しかしどこか頬は紅潮していて、興奮していたことが読み取れた。相当感情の変動があったのだろう、普段はぴたりと整えられていた髪が僅かに乱れていた。

「おはようございます。……ところであの、誰か来ているんですか?」

 外の車を指差すと、藤沢さんは呆れたような顔をした。眉間にしわが寄って、彼は慌てたようにそれを引き延ばして言った。

「ええ、来ています。ですが、気を使う必要はありませんよ」

「依頼をしに来た人ではないんですか?」

「はい。……そうであったのならばどれだけ楽だったでしょうか」

 藤沢さんがそこまで言うなんて本当に誰が来ているのか。口ぶりからしてそこまで距離の遠い人ではなさそうだ。友達だったりするのか。

 ため息を吐きながら先を進む藤沢さんの後を追う。そして、部屋に入ると椅子に座っている男がいた。

「ん?」

 その男は肩越しに振り返って僕の姿を認めるとまじまじと見てきた。僕も思わず見つめ返す。男の髪は外にあった車のような灰色の白髪混じりだったが、かといってみすぼらしい感じはしない。僕の父は白髪に悩んでいたのにそれより彼の方が年上だろうに大違いだ。そして、口元に蓄えた髭は古めかしい海外作品にでも出てきそうないかにも大人な男性という印象を与えてきた。キセルや葉巻を咥えて紫煙をくゆらせる姿を容易に想像できる。傍らに見えた杖も華美な飾りもなくシックでよく似合いそうだ。

「君が有野君か! 話は聞いてる」

 すると、男が相好を崩した。豊かな髭を揺らし、眼鏡越しの目を優しく細めた。

「よろしく」

 彼は勢い良く立ち上がると僕に向かって手を差し出して来た。

「は、はい。よろしくお願いします」

 勢いに押されながらもしわだらけで、血管が浮いた手を握る。握り返されたその力は非常に強い。というか男は置いてあった杖を使うことなく立っていた。何のための杖だったのだろうか。

 近くまで来ると男の様子がよくわかる。僕よりも頭一つ分は背が高く、そのせいか威圧感が凄い。そのくせ背中が一切曲がっていないのだからこれまた途轍もない。それに、まさに好々爺といったような様相を見せていたように思えたが目には鋭い光が見えた。その目に見つめられていると身震いしてしまいそうだ。

「はい、そこまでにしてあげてください。有野君も困ってますよ」

 僕が蛇に睨まれた蛙のようになっていると、藤沢さんが助け舟を出してくれて、ようやく男の手から力が抜けた。痛みはないが僕の手には軽く跡がついていた。

「やっと会えたから嬉しくなってな……。有野君もすまない、痛くはなかったか?」

「驚きはしましたけど、大丈夫です。それより貴方は……」

 本当にこの人は誰なのだろうか。赤くなった手を押さえながら考える。どうも僕のことを知っているみたいだし、フロムハウスの関係者であることは確かだ。

「そうだな、まだしっかりと挨拶をしてなかった。では改めて――」

 男は僕の疑問を笑顔で受け止めると、咳ばらいをした。椅子に立てかけてあった杖を手に取り、床に叩きつけて音を鳴らす。そして、髭を撫でつけて眼鏡を上げてから言った。

「俺はここ、フロムハウスの社長を務めている日田(ひだ)だ。藤沢君から君の活躍は聞いている」

 胸を張った日田さん、いや社長に僕は顔を青くした。面と向かって知らないと言ってしまったようなものだ。結月さんの時は彼女が笑ってくれたから特に何もなかったが、このどこか漂うプレッシャーを思うと機嫌を損ねてしまったかもしれない。

「すみません、社長って知らずに!」

 僕は慌てて頭をつむじまで見えるように下げた。そのまま数秒、社長の言葉を待った。

「謝る必要なんかない。それに、堅苦しいのは藤沢君だけで十分だ!」

「私はマナーを大切にしているだけですよ。社長はどうにも威圧感がありますから委縮してしまうのです。ですから、有野君も顔を上げてください。そもそも社長は滅多に顔を出さないので知らないのも無理はありませんよ」

 社長と藤沢さんの言葉にそっと顔を上げて、社長の様子を伺った。困り顔で僕を見ているが、そこに怒っている気配はなく本当に気にしていないのだとわかり、僕はほっと胸を撫で下ろした。

「立ち話もなんだ、腰を落ち着けて話そう」

 社長がそう言ったので僕は藤沢さんにどうするかと顔を向けると、諦めたように頷かれたので僕も観念して席に着いた。何か失礼なことを言ってしまわないか心配で仕方ない。まあ、藤沢さんもいるし何とかなるか。

「でしたら、私はお茶を淹れてきますね」

 だが、藤沢さんはそう言って奥に行ってしまった。お茶を淹れる間だけだが社長と一対一で向き合う形になった。内心頭を抱える。偉い人と話すのってどんな話題が良いんだ。ブランド牛か、それとも美術品の話だとかそんな感じか。駄目だ、僕にはそんな知識はない。せいぜいがどこの食べ放題が良かったとか、学校の課題ぐらいしか出てこない。

「そう緊張しなくても良い。気楽に何でも聞いてくれ」

 社長はそう言ってくれたが、これという話題が出てこない。むしろ、気を使わせているなんて焦りも出てきた。何か、話せそうなことは――。そうだ、僕にも社長について知っていることが一つあった。

「外に停めてあった車って社長の物ですか? かっこいいですね」

 すると、社長はいきなり背中が曲がったんじゃないかと思うほど前のめりになった。僕の顔を近くで覗き込んで来る。目の鋭さは鳴りを潜めてキラキラと輝いていた。

「おお、有野君にもわかるか! そうとも、手に入れるのにも随分と苦労した俺の自慢の車だ!」

 エンジンがかかったようにまくしたてる社長の勢いに押されて、背もたれの上に乗り上げてしまうほどにのけ反る。好感触だが、ブレーキがかかる様子もない。

「いえ、あの。僕は車について詳しいことはわかりませんけど、そう勝手に思っただけで……」

「何でも良い! よく知らない者でもわかるということはそれほど素晴らしい証だからな! ……いや、君に見る目があったのかもな」

「見る目、ですか?」

「ああ」

 頷くと社長はこれまた高そうな革の鞄から一枚の紙を取り出した。シンプルにもほどがあるその紙面のそれは僕にとっても見覚えのある物だ。

「これって、募集のチラシですよね」

「そうとも。こんな何も載っていない物で君はうちに来てくれた」

 社長の目から見てもこれはあんまりだったのか。社長はひらひらとチラシを持って辟易とした表情を露わにした。

「僕はあのサイトの方も見て応募しましたよ」

 チラシだけじゃ本当にわからなかったので見る必要があった。とは言ってもあのごちゃごちゃとしたサイトもどうかと思うが。あんなもの誰が何を考えて作るのか。

「ほう! やはりそうか、おかしいと思っていたとこだ! そっちは俺が作ったのだ!」

 寸でのところで言葉を飲み込んだ。危なかった。作成者がここにいた。

 社長はノートパソコンを取り出して今度はあのサイトを見せてくる。相変わらず凄まじく見づらい。十秒も見れば数時間スマホを眺めるのと同じぐらい疲れが襲ってくる。

「どうだ? 中々の自信作だ」

「……と、とても個性的だと思います」

「わかってくれるか。まったく、藤沢君は他の仕事はできるがこういうのは苦手なままだな!」

 何てことだ。もう一人もここにいた。

「何をおっしゃっているのですか。シンプルだからこそ良いのです。社長の物はとても見られたものじゃありません」

 そこへ藤沢さんが湯気の立った器を乗せたお盆を持って戻ってきた。お盆の上には瑞々しく輝く羊羹もあった。藤沢さんが動く度に揺れる様はとても魅力的だ。

「お待たせしました。どうぞ召し上がって下さい」

「ありがとうございます。いただきます!」

 藤沢さんがそう言って机の上に並べてくれたので僕はこれ幸いと受け取り、早速食べ始めた。これ以上募集チラシやサイトについて話していても良いことはなさそうだ。

 藤沢さんも席に着き、社長も興味が移ったようでお茶を飲んでいる。こうして、しばしの間僕たちはお茶と羊羹に舌鼓を打った。

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