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夜と令嬢 昼界ー2


 やがて、控えめなノックと共に、涼やかな声が部屋に響く。

「お邪魔してもよろしいかしら?」

 しばらくの沈黙の後、了解も得ずに扉は開いた。

「お忙しいんですの、ロージャー様。お取り込み中失礼いたしますわ。わたくしたち……」

 顔を出したのは、艶やかな長い金の髪を流れるように背に垂らした娘だった。瞳は緑で、これはサリアンで最もよいとされている色だ。その宝石のようなふたつの目がくるくると動いて部屋中をうつした。そして、誰もいないことを確認すると、彼女はふっと息を吐いてがらりと口調を変えた。

「なんだ、本当にいないのね。それにしても……薬くさい部屋!」

 鼻をつまむ真似をしてみせながら、ずかずかと部屋の中まで入り込む。

 これが、ミルファ・アクラだ。とびきりの美人で誰もが夢中になった、いなくなって国中が悲しんだ――というのは誇張だろうけれど、当代一の美女であったということは確からしい。ただ、しとやかで礼儀正しい淑女だったというのは、彼女の演じていた表面しか知らない人の言うことだったみたいだね。


「ねえ、失礼じゃない? 誰もいないのに勝手に入るなんて」

 そう言いながらもう一人、廊下に人のいないことを確認してそっと扉を閉めたのは、ミルファと同じ色合いの金の髪を頭の上でひとつに結った少女だ。彼女はサラ・ルーシャ・サリアン。サリアンの第一王女で、ミルファの従姉妹だ。ミルファの父とサラの母が兄妹なんだけど、似ているのは金の髪だけで、顔はあまり似ていなかった。つまり、サラはミルファほど美人じゃなかったってことだね。

「あんたが一緒だから大丈夫でしょ。ここはあんたの家なんだし、誰も文句言やしないわ」

「私は私の部屋以外、無断で出入りしたりはしないわ」

「はいはい」

 答えながらも、ミルファはサラを見ていない。雑然とした研究室を興味津々に歩き回り、書棚をのぞいたり机上のビンを開けてにおいを嗅いだりしている。


 サラはミルファを止めようとして、踏みとどまっていたドアの傍から部屋の中ほどまで進んだ。そして、唐突に悲鳴をあげる。

「きゃああ!」

「な、なにっ」

 さすがにミルファもびくりとして振り返る。めくっていた本を慌てて閉じたので、ページが一枚折れたのだが、それには気付かない。

「あ、あ、あ、あれ」

 サラの指さした先にはトカゲがいた。その小さな存在になかなか気づかず、ミルファは何度か視線を往復させた。

「ああ……」

 ようやくガラスケースに目を留めて、ミルファは安堵の表情を浮かべた。

「驚かさないでよ。ただのトカゲじゃない」


「ミルファ、怖くないの?」

「そりゃあもし閉じこめられていなかったら、飛びかかられるかもと思ってあまりいい気はしないわ。でもその心配はないんだから、絵に描いてある毒蜘蛛と一緒よ。たぶん実験で使うんじゃない?」

「でも……生きているんでしょ? 私、あなたみたいに割り切れないわ」

 目を背けながら、両手で胸をおさえてサラが言う。

「そんなに怖いの? しょうがないわねぇ」

 ミルファはあたりを見回して、大きなツボの上に無造作にかけてあったタペストリーを取りあげた。図案は世界地図だ。真ん中にうがたれた緑の点が賢者の島、それを囲む青が海、さらに外側に位置するドーナツ状の黄色い大陸、余った四隅は黒で埋め尽くされている。

 世界をふわりとガラスケースに覆い被せて、ミルファはサラを振り返った。

「これでいいでしょ」

「……ありがとう」

 そう言いながらも、サラはやはりそれ以上トカゲの方に近づこうとはしなかった。


「それにしてもまあ、ひどい散らかりようね。メイドが掃除しないの?」

 ミルファの方は、見えなくするとすぐその存在を忘れたようで、あっさりと部屋の物色に戻った。

「この部屋は勝手にいじらないでほしいと、ロージャー様がおっしゃってるから……。研究旅行の間も、空気の入れ換えしかしないようにしているんですって」

「そんなたいそうなものがあるようには見えないけどねー」

 乾ききった茶葉が底にこびりついているティーポットをのぞきこんで、ミルファは眉を顰めた。

「そんなことはないわ。この部屋にはあの方の貴重な研究資料や実験器具が置いてあるのよ。ああ、だめよ、勝手に引き出しを開けたりしては」

「ゴミばっかり」

 失望したように言ってミルファは机から離れた。

「もう! いい加減にして、ミルファ。こんなところを見られたら……」

「嫌われちゃう?」

 にんまりと笑って、ミルファはサラの顔をのぞき込むようにした。


「でも、知りたいんでしょ。ロージャーのこと」

「こんなことをしてまでとは思わないわ」

 生真面目なサラの返答に、ミルファはしてやったりとばかりに微笑む。いたずらっぽいまばたきに、長いまつげが音を立てそうだ。

「ふうん、やっぱり好きなんだ。研究研究っていうあの堅物のどこがいいのかわからないけど」

「そういうのじゃないの」

「隠すことないわよ。多少身分は低いけど、いいんじゃない。一応貴族だし、顔は悪くないし。あの人、女慣れしていないから迫ればすぐに落ちるわよ」

「そんなわけないでしょう」

「本当だってば。うちの舞踏会に招待して、気があるみたいにしてやったら一発だったわよ」

 サラは真っ青になった。


「大丈夫、もちろん振っておいたから。趣味じゃないし、あたしはもっと条件のいい男を拾うつもりだもの。安心して、あたしは男なんかよりあんたの方がずっと大事なのよ」

 そう言ったミルファがみせたのは男を誘う時の作り物の表情ではなく、計算のない笑顔だった。まったくもって、悪気はないのだ。

 サラは心の中でだけため息をついた。

「でね、その時色々聞き出しておいたのよ。どんな人が好きですか? とか、お付き合いするつもりはないんですか? とか。将来的にはちゃんと跡継ぎを残す必要を感じているみたいだし、結婚を焦るつもりはないけど考えてるって言ってたわよ。髪は明るい色が好みで、年上よりは年下の方が。そしてできれば歌の上手い人がいいんですって」

 ふふふ、なかなか気が利くでしょう? と、得意満面のミルファに、余計なことをしてくれたと怒鳴り散らすようなことは、サラにはできないのだった。

 こんなミルファだから女の子たちからは嫌われている。サラは唯一の友人なのだった。幼なじみだから、従姉妹だから……。くされ縁で一緒にいた、といえばそれまでなのだが、サラにとってもミルファは一番の友人だ。幼い頃は何度大嫌いだといって喧嘩したかわからないが、結局心底から嫌うことはできなかった。

「あんたは若いし、あたしよりずっと歌が上手だし、あたしと同じでおばあさま譲りの金髪だわ。文句はないはずよ。ね、だから今日の舞踏会で一緒に踊っていらっしゃい。なんとか口実を作って……、そうだ、踊ってる時、相手が下手でくじいた、ってことにするのはどう? 簡単よ、少し高い靴を履いておいて、ターンの時ひねればいいの。責任感の強い人なら、終わりまで一緒にいてくれるわ。それでたくさん話をして、一気に親しくなるのよ」

 たぶん、ロージャーの語った理想の女性は、ミルファを指しているのだろう。サラには容易にやりとりが想像できた。


「でも、ロージャー様は今日は参加しないっておっしゃってたわ」

「だからとっつかまえて出るように仕向けるんじゃないの。なんのためにここまで来たのよ」

 それにしても遅いわね、とミルファは改めて部屋を見渡した。自分でかけたタペストリーの位置がなぜかずれていることには気が付かず、それをツボの上に戻すことにも思い至らず、そのままサラに向き直る。

「ここで待ってても仕方ないし、探しに行きましょうか」

 部屋を出ることにはまったく賛成だったサラは、そうねと答えて率先して扉を開けた。そして、そのまま固まってしまう。

「っと、姫。これは失礼を」

 あやうく扉にぶつかるところだったロージャーは、意外そうに彼女を見下ろした。研究ばかりしているロージャーだが、家系のせいかがっしりしていて背も高い。

「あ、あの、申し訳ありません。断りもなく中に入ったりして……」

「いえ、構いませんよ。私になにか?」

「えっと、そのう」

 らちがあかないと判断して、ミルファはそこへ割り込んだ。


「こんにちは、ロージャー様。お久しぶりですわ」

「ミルファ殿! こ、このようなところまでお越しいただくとは、恐縮ですっ。ご無沙汰をいたしてありませ、いや、おりまして。本日はその、どういったご用件で」

 みるみる頬を紅潮させるロージャーに、サラはうつむく。その時、視界の端をかすめた黒い影を気に留める心の余裕など、もちろんなかった。

「たいしたことじゃありませんの。ただ……、今日のパーティ、ロージャー様はご参加なさらないんですって?」

「え、ええ。あの、自分は、研究が」

 ミルファは唇を絶妙にとがらせ、二回のまばたきの後でじっとロージャーを見上げた。

「ずいぶん長いこと国をあけていらっしゃったのに、少しもゆっくりなさらないんですね。お仕事熱心なのは素晴らしいですけれど……」

「私が研究旅行に出ていたこと、ご存知だったのですか?」

「ええ、もちろんですわ。ねえ、せっかく王都に戻っていらしたんですもの、今日くらいはわたくしたちの相手もしてくださいませんこと? 異国でのお話も聞きたいですわ」

「は、はい。ミルファ殿がそうおっしゃるのでしたら」

「まあ、嬉しい。では、また会場で。約束しましたわよ」

 微笑んで念を押すと、用さえ済んでしまえば長居は無用とばかりに、ミルファはさっとサラの手を引いて廊下を歩き出した。角を曲がったところで、顔を寄せてそっと囁く。


「ね? 男に言うことを聞かせるなんて、カンタンなのよ」




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