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夜と令嬢 昼界ー1


 これが、ぼくの世界の成り立ちだ。まあ神話みたいなものかな?

 ぼくの世界は、きみの世界とはかなり違っている。それをわかりやすく説明するために、子ども向けの本から引用してみたんだ。

 実際には、もっと色んなことがあったかもしれない。事実とは違う部分もあるだろう。でも広く知られている、伝わっている話は、まあだいたいこんな風になっているんだ。

 このあと、世界は一つになってしまった。二つの国はなくなり、まったくの闇はどこにもなくなったかわりに、光もどこかへ行ってしまった。灰色の空がどこまでも続いて、光の人々は初めての「眠り」に蝕まれ、魔族は力を失って消えていった。この時期のことを、歴史家たちは「混沌期」なんて呼び方をしている。

 今の話に出てきた大賢者キャシュリーンの娘、ルピアンが、これを打破した。魔術で太陽を作って打ち上げたんだ。闇は辺境に押しやられ、世界の中心部は再び光を取り戻した。以前のように住めるようになったこの部分を光の人々は「昼」と名付けて、それぞれに集まって暮らしはじめた。そう、昼の外側を囲むようにぐるりと広がっている部分が「夜」だよ。

 人は決して夜には近づかない。でも、夜の方で近づいてくることがあるんだ――




 じゃあ、そろそろ本題に入ろう。

 舞台は実りの国、サリアンだ。混沌期を生き延びた人々は、しだいにあちこちで国を作るようになった。光の国が存在していた時のように、平和に暮らせるようになりたい、という気持ちをみんなが持っていたからかもしれないね。

 人々は太陽を作ってくれた賢者ルピアンに王様になってほしいと頼んだんだけど、彼女はこれを拒否した。世界の真ん中で太陽を維持し続けるという、大変な仕事があるからだ。結局、それ以外には誰もがふさわしいと納得できる人がいなくて、昼界はいくつもの国にわかれてしまったんだね。

 実りの国も、そんな国のひとつだ。

 その名の通り、緑豊かな土地で、穀物や果物を周辺の国々に輸出している農業国だよ。気候も穏やかで、凶作になるってことはまずない。貴族たちは広い農地を管理して、収穫された作物をいかに高く売りさばくかだけを考えていればよかった。


 この事件の被害者である少女、ミルファ・アクラはそんな貴族たちの中でも特に権勢の強い名家に生まれた。アクラ家は政治への影響力が強く、所有地もとびきり広くて、王家以上に金持ちだと噂されるほどだったらしい。正確にどれほどの資産を有していたのかはわからないけど、調べてみた限りでは少なくとも王家と同じくらいあったみたいだ。

 そんなわけで、ミルファは何不自由なく育てられた箱入りのお嬢様だった。



 例のサリアンの歴史書にはこう書いてある。サリアン歴一〇四年。ジョーゼフ・アクラの長女ミルファ、当時十六歳。彼女はジェド一世の誕生パーティの折、突如としてやってきた夜の波にさらわれ、姿を消した、と。

 十六は、サリアンではちょうど成人の年ということになっている。つまり、結婚してもいい年齢ってことだ。社交界にデビューしたばかりの彼女は国一番の美女と名高く、求婚者はまさに山のようにいて、選び放題だったらしい。

 このパーティの時も、彼女は大勢の男性に囲まれていたはずだ。それがなぜ?



 話はサリアン王城の一室からはじまる。

 その日、つまり問題の事件当日は、歴史書の通りジェド一世の――それなりの名君だったそうだが、当時はまだ王子だ――誕生日だった。サリアンでは取引しているいくつかの国から重要人物を招いて、華やかなパーティを催すことになっていた。もちろん国内の貴族も大勢参加するから、城下も城内も浮き足立ちながら準備に大忙しだった。

 けれどその部屋は、そんな雰囲気とは無縁なんだ。

 中には二人の男と、そして、もうひとつの異質な存在があった。


 魔法薬の臭いが充満していた。つんと鼻をつく、眠気の覚めるような臭いだ。男のうちの一人がガラスケースをのぞき込んでいる。ケースの内側から見つめ返す小さな二つの目と睨み合うかのように。

 そのぎょろりとした黒い目は不格好な頭にくっついており、体色は砂色の混じった緑で、てらてらと背が光っている。背から続く長い尻尾が、挨拶をするようにぱたりと揺れた。

「なんですか、これは……」

 苦々しい表情で一人目の男は言った。


「君、トカゲを見たことがないのかい」

「それはわかってます。なんでこんなもの、実験室にあるのかと聞いてるんです。この前も解剖するだとか言ってトカゲ持ち帰ってきて逃げられて散々」

「先日のは、君、カナヘビだよ」

 雑然と積み上げられた本の山の陰から頭だけを出して訂正したのは、ガラスケースの前の人物より少しだけ若そうな、赤茶の髪をした男だった。

「同じです!」

「心配はいらないよ。別に大昔の黒魔法使いみたいに、それを煮たり焼いたりして君に食べさせようなんて思っちゃいないからね」

「……それはどうも……」


 想像してぞっとしたらしい。男は小さく首を振って、ガラスケースの前から離れた。このいかにも真面目そうな一人目の男の名を、カークという。容姿についてはあまり伝わっていないけれど、ということはすなわち平均的で平凡な外見だったんだろうとぼくは想像している。とりあえず、髪は黒だったらしい。

「うん、離れた方がいい。近づきすぎるとそいつの上に影を作ってしまうからね」

 そして、何冊かの本を抱えてようやく立ち上がった赤茶の髪の男が、ロージャー・ロアリング。後に大陸中にその名をとどろかせる伝説的な大魔術師にして魔術研究家――なんだけど、この時はまだサリアンの上流階級の間でだけ、将来有望な魔術師として名を知られていた。


「影……ですか」

「うん。そいつは夜のトカゲなんだ」

「はあ」

「君、もっと驚きたまえよ! 夜界の生物を研究する上で、この生きたままのトカゲを捕まえられたことが、どれだけ大きなことか。生態や機能について、詳しく知ることのできる絶好の機会が訪れたのだぞ」

「いや、でも、ただのトカゲにしか見えませんが」

「それは君、光の中にいるからだよ。闇に紛れればそいつは魔法を操り、言語を発する魔物となるのだ。現に私は夜との境界近くでそいつを捕まえる前に、影で火を吹くのを見たんだからね」


 カークは、見間違いか何かじゃないのか、という言葉を飲み込んだ。

「ってことは、今はただのトカゲなんですね?」

「違う。無害なトカゲのふりをしているだけだ。油断してケースを開けるんじゃないぞ」

「それはまあ……噛まれたくはありませんから」

 カークは少し距離を取りながら、しみじみとトカゲを眺めた。トカゲはくるりとカークに背を向けて、のんびり寝そべっている――いや、トカゲにしてみればただ「立っている」だけなのかもしれないが、二足歩行のカークからすればそう感じるのだ。


「さて、陛下に研究費用をお願いする書類を作らねば。カーク、さっそくで悪いが、これを持ってくれ」

 どさりと五冊ばかりの本を渡されて、カークは一瞬顔をしかめた。

 ロージャーはさらに三冊を本の山の頂上から取り上げて、足取り軽く扉へと向かった。カークは仕方ないという風に溜め息をついて、その背中を追いかける。


 かくして、部屋の中にはガラスケースのトカゲだけが残された。

 トカゲは、じっと動かなかった。明るい研究室の中で、じりじりと温められていた。空気だけがゆっくりと対流し、静かに微細な埃が舞う。トカゲはただ変化の起こるのを待ち続けた。




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