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夜と令嬢 昼界ー18



 手綱を取りながら、フィルはむすっとした表情を隠そうともしていなかった。同行者は後ろにいて、顔を見られる心配はなかったからだが。

 実に不本意だった。

 ソレノアではずっとサージの補佐をするつもりで張り切っていたのに、別件で護衛の任を仰せつかり、ものの一日で上司の元を離れることになってしまうなど。

 それはもちろん、残っても名将カニンガムのために自分ができることなどたかが知れている。というか、騎士たちがこの機に目をかけてもらおうと山ほど寄ってきていたので、補佐の手は余るほどだろう。だとしても、だ。役に立つか立たないかの問題ではなく、不満なものは不満なのである。


 薔薇の谷を離れて二日、そろそろ目的地が見えてくるはずだ。


 ここまでなんの問題も起きなかった。山賊どころか、野犬にすら出くわさなかった。弁当は美味しく天候も穏やかで、旅はあくびが出そうなほどつつがなく終わろうとしている。

 フィルは足元に隠してある剣のことを思い、あくびのかわりにため息をついた。

 腕が立つとはばれないように軽装しつつ、周囲に気を配りながらここまで来た。言いつけられた任務は完璧にこなしている。だが簡単すぎて、自分でなくてもよかったではないかと思うのだ。


「お二人だけでというのは許可しかねます。フィルをお連れください。まだ子どもですが、腕は立ちますので」


 そんな風にサージは言った。正直、誇らしくもあった。認めてもらっているのだ、と。

 けれどこれではただのお使いではないか。

 フィルは大きく口を開けておやつのリンゴをかじった。ほどよい酸味と甘みが口内に広がっていく。

 これは多分ルカロ地方産だな、と見当をつけつつ、ちらりと後部座席を見る。

 さっきまでいびきをかきながら寝ていたはずの助手が起きている。ならばそろそろ御者役を替わってもらおうかと思ったが、なにやらメイドと話し込んでいるようだ。

 それとなく聞き耳を立ててみると、内容はどうも単なる世間話のような。


「雨の国との交易ラインを整えたのはこちらだし、シュレンはそのシステムを他国との間にまで応用できてる。サリアンが大きな利益を得ても感謝こそすれ、文句をつけられるような立場じゃないだろ」

「でもそれはサリアンの側に立てばこそ出てくる考え方では? 雨の国からの輸入がなければ安定した収穫は望めなくなります。あちらに差し止められれば、困るのはサリアンの方です」

「雨の輸出を可能にしたのはアクラ宰相の理論じゃないか。あちらが干上がるほど降らせてるわけでもあるまいし」

「現在のところは宰相が直々に交渉に立つことで反発を抑えられるとして、今後いつまでその権利を主張できるかということです。明文化されたものではないのですから」


 ……なんかめんどくさい話してる。貿易摩擦だと? これは世間話などではない。断じて。


 割り込みたくないのでフィルはもうしばらく御者席におさまることにした。とっとと到着してしまおう。針葉樹の林の隙間からのぞいてきた、たぶんあれが目指す観測所の先っちょだ。




 馬車を降り、メイドの指示で助手が大きなトランクを運び出す。

 フィルもそれを手伝った。集落を抜けた先にある、なんの変哲もない灌木の茂みだ。メイドはスカートの裾を抑えてしゃがみながら、そこらの地面を観察していた。


「ありましたわ」

 彼女が取り上げたのはかさかさした紙切れだった。

「……返事はなし、か。だろうと思ったけど」

「諦めてはいけません。今度はもっと――彼らのなまりを研究して、手紙を書き直します」


 助手はトランクをどっかりと地面に下ろしながら言った。

「でもやっぱりこれを置いていくのには反対なんだけど。盗まれるよ」

「そんな、人通りなんてありませんよ。第一、他にどうやって引き渡すんです?」

「今まで持ち去られたもののことを考えてみてよ。シャンプー、ハサミ、石鹸……小物ばっかりだ。これはさすがに持って行けないんじゃないかな」

 フィルは痺れる腕にこらえきれずトランクをおろす。戻すのか置くのかどっちなんだ。はっきりしてほしい。


「では――」

 メイドはトランクを開けて金貨数枚を取り出し、それを先ほどの紙切れの重しにした。

「とりあえずこうしておきましょう。あとは先日のように部屋をお借りして、文面を改めて考えるということで」

「もったいない……鳥にでも持って行かれたら……」

 フィルもこの助手の呟きには同感だった。

 こんな風にサリーには世間離れしているところがある。

 魔物と取引できるなどと信じているところもそうだが、どうにも怪しい。



 実は、フィルがサージに任されたのは、サリー個人の護衛なのだった。出かける直前、二人きりになった時に命じられた。なにかあれば必ず彼女を守るように、と。

 サージは彼女のことを、昔世話になった人の娘なのだと言った。

「じゃあなぜ自己紹介された時に挨拶しなかったんです」

 つまりあの時の反応は、知り合いを見た驚きだったわけか。それにしては他人行儀だったが。

「向こうは忘れているよ。最後に会ったのはずっと前でな、それに確信がなかった」

「……名将カニンガムを忘れるなんて、よほど幼い頃だったんですね」

「ああ、まあそうだな」

 思い返してみればこの時の返事もなんだかおかしい。


「でもそんなに経っていてよく成長した彼女がその娘さんだとわかりましたね?」

「ずいぶん拘るんだな」

「べ、別に、ただ疑問に思っただけです」

「母親によく似ていただけさ」

「……そうですか」

 もしやその母親の方なのか、世話になったというのは。若い頃に何かあったのだろうか。気になって仕方なかったが、そこまで突っ込んでは聞けなかった。



 もやもやする。

 サリーのことを、フィルは嫌いではなかった。どうも場の全員の居心地をよくしようとする習性があるようで、空気を読むのが抜群に上手いのだ。見習いたいとさえ思うことがある。

 ちなみに助手の方にはあまりいい印象がなかったが、馬の扱いを褒められたので、ほんの少しだけ許すことにした。単純と言うなかれ。人間関係などそんなものである。

 それはさておき、彼女のことだ。サージの頼みだからもちろん傷一つつけずに帰すつもりだし、その任務がなかったとしてもか弱き庶民を守るのは騎士のつとめである。命じられた任に異を唱えるつもりもないが。

 明らかに、隠し事をされているのがわかる。

 けれどそれを聞いてはいけないこともわかっていて、だからこそ気になって。


 トランクを荷台に戻しながら、フィルはちらちらとサリーを見る。彼女は南の空をじっと眺めていた。夜との境に近いその空を。

 あ、なんだか泣き出しそうだ。

 フィルがそう感じた矢先、助手がサリーの背中を無遠慮に叩いた。


「さ、早く乗って乗って。手紙書くんでしょ」

「は、はい。申し訳ありません」

 なんでそこで謝るんだろう。

 やっぱり変な娘だ、と思いつつ、フィルは馬車に乗り込んだ。すかさず後ろの席である。ほんの少しの距離だが、リンゴの残りでもかじりながら楽をさせてもらおうと考えたのだ。



 ――従騎士の疑問は程なく氷解することになる。



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