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夜と令嬢 昼界ー14



 麦の穂のような色の空が広がっていた。おだやかな風にのって白い雲が流れ、微かな音楽も空気に溶けていく。

 陽気な口笛の奏でているメロディは、勇ましいファンファーレ。サリアンの式典で古くから用いられる軍歌だった。

 栗毛の馬が口笛を聞いている。耳を時折ぴくぴくと動かす。それを見て、唇が口笛を途切れさせた。


「ああ。おまえはこれから、ちょっと寒いところに出かけるんだ」

 そう言って馬の背をそっと撫でる手は、まだ少し小さかった。成人まであと二年。フィルはこの馬の持ち主に仕える従騎士だ。

「急ぎの旅になると思うけど、辛抱してくれよ」

 馬の大きな目をのぞきこむようにして話しかけると、その返事が聞こえる。言葉になるわけではないが、なんとなく伝わってくるのだ。

 フィルは馬の気持ちを読むのが幼い頃から得意だった。

 どんな気性の荒い馬でもすぐに手なずけるので、「これは魔法の一種かもしれない。あまり話しかけすぎると、おまえの魔力が尽きてしまうかもしれないよ」と、上司は真面目な顔で心配したものだ。


「大丈夫、一緒に行くから。うん。だからおまえは、あの方をお護りしてくれ。もしかしたら戦になるかもしれない」

 台に乗ってたてがみにブラシをかける。そのままだと手が届かないのだ。早く、もっと背が伸びればいいのに、とフィルはいつも思っていた。

「いいか、戦になれば、なにが起こるかわからない。あの方は強いが、全能ではない。どこかから流れ矢が飛んでくるかもしれないし、卑劣な罠が仕掛けてあるかも。おまえは賢いから、そんな手にはひっかからないよな。ああ、でも泥濘に脚をとられたりしないよう、しっかりしてくれよ――どうした? え、本当か」

 フィルは振り返って、大きく手を振った。


「隊長! お疲れ様です!」


 厩舎に姿を現したのは、サリアン第二騎士団の南方司令部隊長、サージ・カニンガムだった。

「お客様とのお話はもうお済みになったのですか?」

「ああ。だがなフィル、俺は戦に行くわけではないぞ」

 フィルは真っ赤になりながら台をおりた。

「き、聞いていらっしゃったのですか?」

「楽しそうな口笛なら外まで響いていたぞ。明日にもソレノアに発つ。準備をしてくれ」

「はい!」


 フィルは右の手のひらを地面と平行にして親指を胸に当てるサリアン式の敬礼をした。

「隊長、準備は二人分でいいですよね? 従者は必要ですよね? 必ずお役に立ちます!」

 サージは苦笑を浮かべて言った。

「物見遊山ではないのだぞ」

「もちろんです! 女の子が捕まっているのでしょう? 助けなくっちゃいけません」


 それを聞くと、サージは少し考えるような素振りをみせた。あごひげのあたりに手を当て、ふむ、とひとりうなずく。

「……そうだな。おまえの手を借りなければならないこともあるだろう。よろしく頼む」

 フィルはもちろん、元気いっぱいに返答した。

「了解いたしました!」




 ミルファが姿を消した夜から既に三ヶ月が経過しようとしていた。

 当初は絶望視されたその生存も、今では多くの者が希望をもっていた。宮廷魔術師がソレノアから届けた情報が広まったからである。

 貴族の子弟の多くが、なんとしても彼女を救い出さんとソレノアへ向かい、各地に散らばっていた賞金目当ての冒険者たちも一斉にソレノア南部を目指しはじめた。

 おかげで、ミルファが囚われているとされる獣人居住区の周辺は一気に混乱に陥った。――そう、ただネックレスを持ち込んだ獣人の男がそこにいるかもしれないというだけの話だったのに、いつのまにかそこにミルファがいる、という事になってしまったんだ。


 ソレノアはサリアンに抗議し、他国内で争乱を起こすことは絶対綱紀に違反している、即刻引き上げさせるようにという魔術信を届けた。

 これに対してサリアン側は、ミルファを誘拐した獣人を庇うソレノアを強く批判した。また集まった有志は個々の正義感から行動したのであり、絶対綱紀には反しないとしてソレノアの主張を退けた。

 一気に緊張した二国間の関係に、周辺諸国も注目していた。そんな中、ミルファのネックレスを仲買に持ち込んだ獣人をついに捕縛したという魔術信が、ソレノアからサリアンに届いた。

 サリアンはもちろん容疑者の引き渡しを要求したが、ソレノアはぐずぐずと返答をためらい、あげくに獣人もソレノア国民であるからこちらで取り調べを行う、と申し渡してきた。

 これによって元々獣人に好意的でなかったサリアンの国民感情は逆撫でされ、国内で獣人とのトラブルが頻発しはじめた。

 ソレノアで足止めをくっている有志たちも、今にも囲みを破って獣人居住区内になだれこみそうな勢いだ。



「ソレノアとの関係が悪化したとしても、我が国の輸出入における損害はいたって軽微です。今年はリッツファイムが不作になるという情報もあります。あちらに穀物を高値で売りつければ問題はないかと」

「そんなことより、例の魔術師からの報告はまだなのか?」

「そもそも獣人を人間と同列に扱うこと自体間違っておる。ソレノアを中央に訴えるべきだ」


 サリアンの議会は紛糾していた。ソレノアへの怒りや獣人への嫌悪から、いっそ紛争を起こして思い知らせるべきとの意見が大勢を占めていたが、慎重派も譲らず、議論は絶えなかった。

「風の国が絶対綱紀を犯して王城を文字通り潰されたことを思い出したまえ。悪いのはあちらなのだ。こちらから手を出すべきではない」

「どうせ大賢者府はまた見て見ぬふりじゃ。この程度では出てこんよ」

「獣人はネックレスをたまたま入手したなどとのたまっているそうじゃないか。ふざけているとしか思えんぞ」


 会議場には四十人ほどの有力貴族が集まっていた。全員が椅子に座ってひとつの円をつくって、中心を向いている。この構図はなんでも、きみたちの世界でいう、イストリゲームをしている光景に似ているらしいよ。

 昼界で円形が好まれるのはたぶん、太陽を象徴する形だからだろうね。


「事態は停滞しています。容疑者を捕らえたなどという話も、どこまで信用できるものか。国内のことは国内で処する、絶対綱紀を盾にとってこちらの介入を妨げようとする腹に違いありません」

「そうだ! やつらは時間を稼いでいるだけだ。なにを企んでいるかわかったもんじゃない」

「令嬢が人質になっていることをお忘れか? 彼女を救い出すことを第一に考えるべきです」

「だからと言って手をこまねいていては、薔薇の谷の有志たちが本当に獣人を襲いだしかねないぞ」

「やらせておけばいい。こちらは無関係と主張するだけじゃよ」

「賞金稼ぎはともかく、我が国の若者が大勢いるのだぞ!」

「ああ、伯爵のご子息も出かけておられましたかな? お怪我でもなされては大変ですなぁ」

「息子のことは関係ない! 第一……」


 会議場に三度響いたゆっくりとした拍手に、全員が口を閉じた。視線を集めたのはサリアン宰相、サディアス・アクラだ。


「諸卿、いささか議論がまとまりを欠くようだ。簡潔にいこうではないか」


 老宰相は立ちあがって一同を眺め渡した。出席者たちは背筋を伸ばし、体を宰相に向け、しかし視線は決して交わらぬよう彼の服の胸ボタンのあたりを注視していた。


「ソレノアの思惑に関しては、我々は憶測するのみだ。時間をかけて議論するのもばかばかしい。あるのはただ事実だけだ。彼らのふるまいを許すか、許さないか、これも感情の問題といえよう。どちらでもよい。まずこの場ではっきりさせたいのは、獣人居住区に集まった我が国の前途ある若者たちの処遇についてだ。リョカ殿」

「はっ」

 反り返らんばかりにびくりと緊張して、名を呼ばれた伯爵が起立した。

「なにか意見があるようだったが、聞かせてもらおう」

「で、では恐れながら申し上げます。彼の地に集った者はすでに百をくだらないと聞き及びました。彼らが一斉に動けば、これはもはや私闘の域を超えております。人質の安全を考えましても、事を大きくするのは得策ではないと愚考する次第でございまして」


 またひとつサディアスが手を打ち鳴らし、伯爵はなにかが喉に詰まったような顔をして口を閉じた。

 サディアスのうなずきで伯爵は着席し、宰相はそのままゆっくりと円の中央へ進み出た。


「実にもっとも。彼らが動いたとして、それが我々の責任ではないと言い逃れることはたやすいが――」

 そもそも賞金稼ぎに餌をちらつかせ、貴族の子弟たちをそそのかしてソレノアに向かわせたのはアクラ家ではないか、と、この場にいた何人が思っただろうか。

「しかしサリアンの印象を悪くすることは確かだ。我が孫娘のことゆえに、救出を急ぎたいのも山々だが、そのような個人的感情はとりあえず横に置くこととしよう。今回のソレノアのやり口はすでに周辺諸国でも疑問視されている。獣人を優遇する国は」


 サディアスはここで効果的に息を継いだ。


「他にはない。諸国は我が国に同情的だ。だがここで騒ぎを起こせばどうなる? サリアンはソレノアと同じく野蛮な国家だと思われるだろう。そこで、件の場所にはカニンガム少将を向かわせた。血気盛んな者たちをなだめるためだ」

 張りつめていた議場はささやかにざわめいた。安堵する顔、苦り切った顔――なにが会議だ、すでに結論が用意されていたのではないか――いくつもの表情が交わされた。


「彼らには何日でも大人しく座り込んでいただこう。これは陛下のご意志でもある」

 サディアスがちらりと斜め後方に視線を向けた。彼がさきほどまで座っていた空の椅子の隣、そこに座しているのが、国王レナードであった。さきほどから一言も発してはいないが。

 国王がうなずいた。それで場は再び静まった。


「もちろん、彼らがいることは無意味ではない。存在しているだけでソレノアへの圧力となってくれることだろう。そして有事の際には、名将の誉れ高きカニンガムに一働きしてもらおうと思っているわけだ。戦闘経験もない年若い騎士たちだけでは心許ない。個の集まりはそれを束ねる者なくしては力をもたん。少将は我らの期待に応えてくれるであろう」

 これには好戦派が明るい顔を見せた。もちろん、この古狸がただ大人しくしているはずがないのだ。そうこなくてはいけない。賛同の意を示す拍手がぱらぱらとあがった。


「これはまったくの別件だが、近々国境付近で騎士団の大規模な演習を行う予定だ。どの方角がいいと思うかね? 去年は北だったな。今年は――南かな?」

 南はもちろんソレノアの方面だ。拍手と笑声が沸いた。そこへ、突如割り込んだ声があった。


「失礼いたします!」


 扉を開けて入ってきたのは、取っ手のついた盆を捧げ持った文官だった。

「何事だ。御前会議の最中であるぞ」

「き、緊急にございます。陛下、大賢者府からの魔術信が到着いたしましたっ!」


 場は騒然となった。

 大賢者府は通常の国政には不干渉である。各国からの奏上とそれに対する返答も船便で行われるのが普通で、直接信を届けてくることは滅多にない。

 これは怒りに触れたのだ、と多くの者が思った。

 国王レナードは緊張の面持ちで手袋をはめた。届いたばかりの魔術信は熱をもっているからだ。魔術信はその名の通り、魔術で文字を飛ばす。着信すると紙に魔術の炎で文字が焼き付けられるんだ。

 うっすらと煙の上がっている魔術信は、熱で丸まっている。それを開いて、国王は文面に目を走らせた。

 サディアスは文官をさがらせ、手を打って再び一同を静まらせた。


 なにが大賢者府を動かしたのだろうか。

 ソレノアへは個人がそれぞれに正式な手形を持って関所を通り入国したのだ。違法にはあたらない。これからもぎりぎりのところで動いていくつもりだったし、そもそもまだ事は起きていないはずだ。

 サディアスは舌打ちをこらえながら国王をうかがった。


「陛下。どのような?」

「……読め」

 国王は微妙な表情で紙をくるりと逆さにし、サディアスの前に差し出した。




実りの国を治めしレナード・フィスタ・サリアン


貴国の魔術師による報告書を検討した結果、当府は観測された夜波の異常に魔術的な干渉を確認せり

ついては更なる検討のため、該当の一級宮廷魔術師ロージャー・ロアリングの中央島への出頭を要請す

上記のことは速やかに行われたし、以上


賢人会南方管理局代表 サシャナリア・レイニード




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