闇と光の空 下
光の国の宮殿から少し離れたところに、ゆたかな森があって、その中に小さな村がありました。
とつぜん、家の屋根でどさどさっ! という音がして、村のおじいさんはびっくりしました。そして、落ちてきたものがケガをしている男の子だったので、ますます驚きました。
魔法でもつかって失敗したのでしょうか。男の子は弱っていて、目を覚ましません。
おじいさんはお医者さんを呼んで、家のソファに男の子をねかせてあげました。この頃の光の国に、ベッドはありませんでしたから。
みなさんはもう気づいているかもしれませんね。
そう、この男の子はウェリズです。
でもかれの体の中から、闇はすっかり抜け落ちてしまっていました。
自分がだれかもわからずに、翼も魔力もなくして、意識を取り戻してもまだぼうっとしています。
おじいさんはこの男の子をかわいそうに思って、ルッツという名前をつけてあげました。
ケガは治っても、どこのだれなのかはわからないままだったので、ルッツはそのままおじいさんの孫として一緒に暮らすことになりました。
何年かが平和にすぎました。
光の子をとりもどした光の国は、ますます強く輝き、栄えていきました。
テュイリーは光をたっぷり浴びて、まわりの子どもと同じように成長していきました。
そうしてテュイリーが大人になったころ、闇の国との間で争いが起こったのです。
あいかわらずおたがいの国の深くまでは行けないのですが、人間たちと魔物の両方が生きられる、二つの国が混ざった部分がとても大きくなってしまい、その土地をめぐって戦争になったのでした。
真っ赤な色の空が広がる、黄昏の地と呼ばれるようになったそこが戦場です。
光の国は光の魔術で、闇の国は闇の魔術で、それぞれ戦いました。
ふたつの国の力は同じくらいで、なかなか決着がつきません。
そこで王様はキャシュリーンを呼び出しました。
かの女なら闇の国の奥深くへと入り込む方法を知っています。だから、魔王をつかまえてきてほしいと頼んだのです。
かつてテュイリーがそうされたように、魔王を光の国の真ん中に閉じこめてしまえば、これ以上闇の国が広がることはなくなるはずです。それに、魔王を人質にして魔族たちをおさえれば、魔物たちも命令する人がいなくなり、また元のようにばらばらに生活するようになって、光の国に攻めてくることはなくなると考えたのです。
大賢者様はこれを承知して、作戦をたてました。
この頃には娘のルピアンが、大賢者様と同じくらいの力を持つようになっていました。そこで、大賢者様は自らがおとりになり、前線に出て、その隙にルピアンが闇の国へと潜入できるように手はずを整えたのです。
テュイリーは、ルピアンについていくことにしました。
すっかり仲良くなったお姉さんのルピアンが心配でしたし、それに、これは誰にも秘密でしたが、闇の国に行けばまたウェリズに会えると思っていたからです。
黄昏の地で闇の軍を指揮していたのは、魔王の分身ともいわれる、魔王の長男でした。
そして魔王自身はといえば、闇のお城の玉座にどっしりと腰掛けて、いろいろ命令しているという噂です。
魔王をさらうなんて、並大抵のことではありません。
でも、テュイリーは、もしかしたら魔王は話をきいてくれるかもしれないと思っていました。
だって魔王は、殺されそうになっていたテュイリーを助けてくれたのです。それが自分のためだったとしても。
テュイリーをずっと闇の国に留めておくことで、光の国と闇の国がぶつからないように、戦いにならないようにしてくれていたのです。
魔王はきっと、こうなることを望んではいなかったはずです。誰だって、本当は戦争なんかいやに決まっています。
テュイリーは魔王と直接話したことはありませんでしたが、魔王はあの優しかったウェリズのお父さんです。家族というものがどういうものか、今のテュイリーは知っています。ウェリズのお父さんなら、話に聞くほど怖くはないかもしれません。だって、魔族はみんな悪いやつだという話も、ほんとうはウソだってテュイリーにはわかっていたのですから。
テュイリーは、大きくなれたこと、優しい家族ができたことには感謝していましたが、ほんとうに自分が光の国に戻ってよかったのか、育ってしまってよかったのか、わからなくなっていました。
光の国の王様は、国民が今よりもっと広いところで暮らせるように、黄昏の地を手に入れようと必死です。最近では光が強すぎて、光の宮殿の周りも住みにくくなってきましたから余計にです。
王様が自分の国の人たちのことを考えるのは当たり前ですが、テュイリーは闇の国のことも考えていました。魔王は黄昏の地を諦めてくれるでしょうか。たとえ戦いをやめることには賛成でも、捕まって、光の真ん中で眠らされることを納得するとは思えません。
そうすると、やっぱり力ずくで、ということになってしまいます。
魔王に勝てるかしら? テュイリーは不安でした。
かなうなら話し合って、うまく黄昏の地をわけることができればいいのですが。
でも、もしもの時には、ふたつの国がこれ以上広がらないようにするため、テュイリーにもひとつ考えがありました。
できることならそうしたくはなかったのですが、どうしてもだめな時はそうしようと、テュイリーは心に決めていました。
魔王を弱らせるためには、たくさんの光の力が必要でした。
もちろん、一番大きな光の力の持ち主はテュイリーです。その力はとても大きいのですが、魔王とちょうど同じだけしかありません。
しかも、闇の国に出かけていくのですから、その光も陰ってしまいます。
それを補い、魔王より強い力を出すためには、ほかにも大勢の人の力が必要でした。
そこで大賢者様は、百人の若者を選び出し、ルピアンに同行させることにしました。
いずれも勇敢な兵士で、光の力をたっぷりと持っています。
彼らとルピアンとテュイリー、合わせて百二人は、戦場になっている黄昏の地の端をそうっと通り過ぎ、闇の国へと入っていきました。
もちろん、ルピアンが新月灯を使っていましたから、みんな無事に闇へと紛れ込めたのです。
テュイリーは、その百人の中にウェリズによく似た若者がいることに気づいて、びっくりして声をかけました。
ウェリズがこんなところにいるはずがないとは思ったのですが、どうしても気になったのです。
若者は成長したルッツでした。とうぜん、テュイリーのことは忘れていました。なので、テュイリーもやっぱり人違いだったんだなとがっかりして、あやまりました。
闇のお城は闇の国の中心にあります。でも真ん中がどこかなんて、真っ暗闇の中でわかるでしょうか?
テュイリーにはそれがわかりました。闇の王様の存在を、かの女は感じるのです。
テュイリーの案内で、一行は道を間違えることなく、ひっそりと闇のお城へ向かいました。
途中で、たくさんの闇の生き物に会いました。小さな魔物たちは、新月灯の魔力で光をかくされた人間たちが、光の国から来たとは気づきません。
「なんだ、また黄昏のやつらか」
と言って、興味なさそうに通り過ぎるだけでした。
暗雲渦巻く空の下の、黒光りする城は、光の宮殿とは全然違っていました。
テュイリーには久しぶりの、他のみんなにははじめての場所でした。
びっくりするくらいに簡単に、一行は闇のお城に着いてしまったのです。
罠でしょうか? あまりにもうまく行きすぎています。ルピアンは手にした魔法の杖を強く握りしめました。
「おい、黄昏の。入らんほうがええ。死んでしまうぞ」
通りかかった魔物がそう声をかけて、すぐに姿を消しました。
嫌な予感に、テュイリーも震えました。
強い魔族がみんな戦場にでかけているといっても、静かすぎます。
でも、ここまで来て引き返すわけにはいきません。
ルピアンが魔術を使うと、錆びた鉄の門は大きな軋みと共にかれらに道をあけました。
それぞれの手に武器を持った光の部隊は、息を殺してお城の中へと入っていきます。
どこまでいっても沈黙を守り続ける闇の城に、ルピアンは小声でささやきました。
「おかしいわ」
テュイリーも同じ気持ちでした。
「いくら国境で戦をしているからといって、一人として見張りがいないなんて事あるはずがない」
でも、お城の中はほんとうにひっそりと静まりかえっていて、どこにも誰もいないのです。
やがて、ひとつだけ開かない、大きくて立派な扉がみつかりました。
きっとこれが魔王のいる玉座の間です。みんなで押したり引いたりしましたが、扉はびくともしません。
そこで、ルピアンが杖を回して、いくつかの魔術を試しました。
幾度目かでついに鍵が開きました。そのとたん、扉がひとりでに開きました。すごい勢いでした。
身構える間もなく、音を立てて新月灯が割れました。
兵士たちはつぎつぎと倒れていきます。かれらのかつて経験したことのない「眠り」に襲われたのです。
ルピアンも眠くてたまらなくなり、杖で必死に体を支えました。テュイリーはルピアンたちを守ろうと、押し寄せてくる闇に立ちはだかります。
そうしてテュイリーが見たのは、玉座のまわりに広がっている黒い霧でした。
まるで生きているかのように、煙のように、蛇の集まりのように、霧は動いています。
「さがれ、テュイリー!」
背中から名前を呼ばれて、テュイリーは驚きました。
倒れたはずの兵士がひとり、立ちあがっていました。闇色の翼が、霧をみるみる吸い込んで、大きく広がり色を濃くしていきます。
闇を取り戻したルッツは、ウェリズになって、テュイリーのそばに駆けつけたのです。そして、玉座の間に飛びこんで、力任せに扉を閉めました。
これで、テュイリーも、村から一緒にきた友だちもみんな、助かるといいのですが。
それにしても、この霧はなんでしょう。ウェリズはその中から確かに父親の気配を感じました。でも、呼びかけても返事はありません。
ウェリズはどんどん闇を吸収しました。からっぽだったので、たくさん取り込めます。それでも、霧の魔力はちっとも弱くなっていきません。
闇の王は強くなりすぎて、もう形を保つことができなくなっていたのです。心も失ってしまったようでした。ただゆらゆらと揺れて、なおも広がろうとしています。
こんな闇の王を連れて帰ることなんて、できるわけがありません。戦争をやめる話し合いもできません。
作戦は失敗です。でも、じゃあどうしたらいいのでしょう。
ウェリズのうしろで扉を叩く音がしました。
「開けて! ウェリズでしょう? 中はどうなっているの?」
ウェリズはどなり返しました。
「皆を連れて戻れ、テュイリー! ここはもうだめだ」
「でも、あなたはどうするの」
ウェリズの体はもう闇でいっぱいでした。これ以上は入りません。
なのに、闇はまだ忍び込んできます。いえ、逆でしょうか。ウェリズは自分が霧の中に溶け出していきそうなのを感じました。
「いいから、逃げろ……」
大声を出したつもりなのに、うまく喋れません。
扉をおさえている体に力が入らなくなって、膝からくずれていきます。
「ウェリズ!」
テュイリーが扉を開けて部屋に入ってきましたが、ウェリズはもう体を起こすことができませんでした。
跪いたテュイリーはウェリズの手を握りしめ、それからそっと離して、立ちあがり歩き出しました。
行くな、とウェリズは心の中で叫びましたが、かの女には届きません。
「ひとつだけ方法があるの。
このままではきっとわたしも――光の国も同じになるわ」
その方法は、ウェリズにもわかっていました。
でも、そうしたらもう二度とかの女に会えなくなってしまうことも、知っていました。
「長い間離れていて、ごめんなさい、闇の王」
だからどうしても、止めないといけません。なのに体がいうことをききません。目を開けているだけでもせいいっぱいなのです。
「わたしたちはもっと早くに、こうして、手を取るべきだった」
霧の真ん中で、テュイリーがからっぽの玉座にそっと両手を置きました。
「はじめまして、そして、さようなら」