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夜と令嬢 昼界ー11



 長い旅を経てついに辿り着いた夜界との境界は、実に冷え冷えとしていた。あたりは針葉樹の林だ。


「これが結界か……」

 カークはしみじみとその見えない壁を撫でさすった。はっきりとした手応えはない。だが力を加えると押し戻される。決して向こう側には行けないのだ。

 夜との境だからといって、別にいきなり真っ暗になっているわけではない。向こう側も林が続いているのが見える。ただ、遠くはぼやけ、薄暗く見通せない。

 そこになにかが「ある」ことだけは、立っているだけでも感じられた。空気が歪んでいるような、おかしな感覚がある。圧倒的な魔力だ。この透明な壁はどこまでも、途切れることなく世界をぐるりと取り巻いている。これほどの結界を維持できるのは大賢者しかいない。あるいは神か。


 カークは首を上向けた。この壁は確かに世界を一周している。これに沿って歩いていけば、自分はいつかここに戻ってくるはずだ。だが空の上はどうなんだ? 鳥は引き返してくるのか? 完全に上空まで覆われているなら夜は来ないはずだ。どこかに穴が開いているんだ。


 そう考えると寒気がして、カークは後ずさった。

 どうせ、結界は越えられない。取引相手とやらが現れるのを、待つしかないのだ。

 だがどうやってここまで来たことを伝えるのだろう。ロージャーは着けばわかるなどと言っていたが、なにも考えていない行き当たりばったりの可能性が高い。

「まさかここに金貨五千を置いていくというわけにもいかないだろうしなぁ」

 カークは首をひねりながら引き返した。




 カークは――そうだ、言い忘れていたけど、カークについてはこの話では家名なしでいかせてもらう。なかったわけじゃないんだ。サリアンでは全国民が家名を持ってるからね。ただ、カークに関しては、家名がいくつか伝わっていて、どれが本当なのかよくわかっていないんだ。

 有力なのはクラッドもしくはアルクィン。でもサリアンの歴史書で、ミルファ誘拐事件の数ページ後に記されている「夜会騒動」に登場するモルト卿と同一人物である、なんていう説もあるし。要するにまだ結論が出ていないんだ。カークという名自体がありふれていて、なかなか特定できないんだって。

 そういうわけだから、ここではただの「カーク」で通させてほしい。間違った名前を使ってしまったら、本人に失礼だろうしね。


 そんなわけで、ただのカークは、その日の宿に戻ってきた。といっても、そこは民家で、宿屋として営業しているところじゃない。ここまで辺境になると、太陽は遠いし、寒いし、夜の波はかぶるしで、住む人も来る人もほとんどいないからね。

 それじゃなんでその民家はそこにあるかというと、近くに観測所があるからだ。もちろん、夜の観測所。各国に設置が義務づけられていて、辺境には必ずある。そして、国から数年交替で天測師が派遣されるというわけ。一人で観測しつづけることはできないから――ほら、眠りがあるからね。夜に近い辺境は、特に眠りの時間が長くなるという調査報告もある――ひとつの観測所に三人が常時配置されるきまりになっている。そして、彼らとその家族のために、宿舎が用意されている。それが、ロージャーたちが泊まる事になった家というわけだ。

 前回の研究旅行でも、ロージャーはこの家にお世話になっていた。それで、天測師とその妻はすんなりと三人を受け入れてくれたんだ。



 カークは天測師の妻に挨拶して、家にあがりこんだ。ロージャーとサリーはまだ戻っていなかった。もうすぐ二食目を作りますからね、という言葉に礼を言いつつ、あてがわれた部屋へと向かう。

 なんにせよ、しばらくはここで過ごすことになるだろう。試験には確実に間に合わない。ああ、今年はいけるかもしれないのにな、と考えてカークは苦笑した。そもそもこの旅に付き合わなければ、優秀な「先生」に巡り会うことなどできなかったからだ。

 そう――あのメイドである。

 サリーはカークの予想以上にいい家の娘らしかった。あまり自分の身の上を語りたがらないので詳しい事はわからないが、なんと長年勉強してきたカークよりも数学ができる。はじめはひどく驚いた。試験勉強をしてますなどと言ってしまった手前、一応格好をつけて荷物に入っていた問題集を開いて考えていたら、彼女が答えを教えてくれたのだ。こんな小娘に負けるとは、とカークはさすがに自分の勉強不足を恥じた。同時に、こいつの親はこんなことを勉強させるくらいなら先に包丁の握り方くらい教えておけ、とも思ったが。

 多分、本当に必要がなかったのだろう。嫁ぎ先の選択肢にコックのいない家などないのだろう。ロージャーと結婚したりしたら苦労するぞ? そもそも、魔術師なんて割に合わない職業だ。危険だし、魔力尽きたら性格変わるし。いや、変人でなくなるならいいのか。いや待て、そもそも自分はサリーの恋路を応援しているのだ。現に今だって、適当な事を言って二人きりにしてやった。

 閑話休題、サリーがなにもできない娘だという認識は改めざるを得なかった。炊事洗濯を教えてやるかわりに、カークは彼女から数学や歴史を教わることになった。サリーは女にしておくのがもったいないような博学ぶりだった。これだけできれば文官の試験なんか一発で通りそうだ。羨ましい。しかも教えるのもうまい。

 サリーはそれを誇るでもなく、いつも丁寧にカークを指導してくれた。実に変わった娘だ。ひどいことを言ったのに嫌味の一つも返してこない。

 ロージャーはミルファに好意をもっている。それを知りながら、必死になってミルファを救い出そうとしているサリーは、ミルファが帰ってこなければロージャーの心を自分のものにできるかもしれないとは考えないのだろうか。


「わざわざこんなとこまで来ちゃってまあ……。ミルファ嬢がほんとに夜界にいるのかもわからないのに」

 ぼやいてから、カークは問題集を取り出し、昨日の続きのページを開いた。少しは解けるようになっておかないと、みっともないからだ。




 その頃、ロージャーとサラは他の二軒をあたって情報収集をしていた。聞けたのは、なぜかここのところ物がなくなることが多いという話だった。


「はじめはネズミの仕業かと思ったんだけどね」と、寝ぼけ眼の天測師は言った。

「でも、石鹸とかハサミとかがなくなるんだよ。泥棒にしても変だと思わないか? だろう? だからなんとか原因を探ってもらえんかな。まあ大した礼もできないんだけどさ」

「それ、いつ頃からですの?」

 口を挟んだサラをちらりと見て、天測師は言った。

「……魔術師の先生、こっちの人は? 先生のいい人かい」

「いえ、その、私の弟子です」

「ふーん。そうだな、いつからなのかな? たぶんけっこう前だよ。俺の前にいたやつもそんなことを言っていたからさ。でも元は、食べ物だけだったんだよね。それが、一月くらいか……もう少し前だったかな? とにかく最近増えたんだよ。はじめになくなったのはうちじゃないんだ。レタのところでシャンプーがなくなって。ひとつふたつならどこかに置き忘れたかな? ってそれで済むだろ。でもそうじゃないんだよ。うちはね、石鹸とタマゴ、それから、蜂蜜の瓶をやられたな。蜂蜜は買い置きがなかったから、はるばる買いに行くはめになっちまった。行商は来た後だったからさ。あれは参ったね」

「石鹸や蜂蜜の瓶を、ネズミがかじるかというと、微妙ですね」

「だろ。まだ開けてない新しいやつだったんだよ? うん……まあそういうわけだから、もしまたしばらくいるってんなら、よかったら調べてよ。俺はもう寝るからさ。仕事明けなんだよ」

「ありがとうございます。お任せください」

「はいはい、どうも」

 天測師が扉を閉めて家に引っ込むと、ロージャーとサラは顔を見合わせた。


「すみません、あなたのことを、弟子だなどと」

「いえ、私のことはお気になさらないでください。弟子でいいんですわ。そう思ってください」

「ですが、姫」

「城に戻るまではサリーです。約束しましたでしょう?」

「……はい」

 ロージャーはうなずいて、それから鈍い色の空を睨んだ。


「魔物の仕業、か? いや……」

「魔物って、石鹸で体を洗うんですか?」

「さて、どうでしょう。かつて存在したという魔族なら、あるいは」

 サラは首をかしげるようにして言った。


「魔族って、確か、人の姿をした魔物でしたわね」

「そうです。魔王も魔族でした。彼らは普通の魔物の数十倍の魔力を有している、非常に危険な存在です。ただ、その力の大きさ故に混沌期に耐えられず、絶滅したという話ですが」

「人の姿をしているなら、体も洗ったかもしれませんね」

「そうですね。まあ、彼らがどういう存在であったかは、はっきりとはわかっていないんです。中央がもう少し情報を公開してくれればね」

 中央というのは、賢者の島のことだ。世界の真ん中にあるから、そういう言い方をされることもある。


「隠されているということは、私たちには必要ない知識だと賢者たちが判断しているというわけでしょう?」

「ええ、勝手にね。中央はこの世界の秘術を独占している。少しくらいわけてくれたっていいものを」

 ロージャーが見せた厳しい表情は、サラがこれまで一度も見たことのないものだった。



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