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夜と令嬢 昼界ー10



 いよいよ太陽が遠くなってきたと感じる。風は冷たく、影は長く伸びている。こうして握っているペンですら、影が実際のものより二倍はある。

 ソレノアの山々はサリアンのものとは違い、精彩を欠いている。豊かな実りをもたらすあの緑はどこにもない。町をゆけば耳やしっぽの生えた獣人を多く見かける。ロージャーによれば、ソレノアでは希望する獣人に国籍を与えて遇しているらしい。獣人に戸籍とは! さすがに辺境の国は発想が違う。確かに、彼らのすぐれた膂力はこの国では有用かもしれないが。


 窓ががたがたと音を立てている。また風が吹いてきたようだ。これからますます辺境へ――夜の近くへと向かうのだと思うと気が滅入る。いやいや、これもミルファ嬢を助け出すためだ。しばらくの辛抱だ。

 あのメイドの目的は知れた。つまり、ロージャーだ。なにかとロージャーを手伝おうとするのを、はじめは気でも遣っているのかと思っていたが、あれはどうやら本気で惚れている。ロージャーの方から、というのならまだしも理解できるが、逆だった。いやはや、奇特な趣味と言わざるを得ない。あんな変人のどこに惹かれるのやら皆目わからないが、要は地位と顔だろう。他に思いつかない。


 男目当てでほいほいと異国への旅に着いてくるなど、とんだメイドだ。洗濯もできないくせに。そう、これを書き忘れるところだった。今日の彼女は石鹸一個をまるごと溶かした。タライは当然泡だらけになり、宿の庭にも泡が流れ、植物に被害を及ぼした。宿のおかみさんが洗濯用具を貸したらしいが、さすがにこんな事態は想定していなかったのだろう。おかみさんは中庭の惨状に目を丸くし、ロージャーがかけつけてメイドと平謝りした。いい気味だ。

 だが罪のないおかみさんと植物には気の毒なことをした。僕が注意していればよかった。あのメイドが何かやらかすことなど簡単に想定でき、発見したなら止めてかわりに洗い物くらいしてやったものを。あのメイドには取扱注意の札を貼っておく必要があるかもしれない。


 まあ、別に彼女が宮廷魔術師の妻の座を狙って同行していること自体は構わない。というか、とっとと引っ付いてしまえと思う。あの変人はかのミルファ嬢に心酔しており、そのことを隠しもしていない。魔物との取引が成立すれば――そんなものが上手くいくのかどうかは定かでないが――ミルファ嬢救出の立役者はロージャーということになる。あいつはライバルだ。ミルファ嬢を助け出した後の障害を減らすためにも、せいぜいメイドには頑張ってもらい、今のうちにうまくまとまっていただきたい。夜這いでも何でもしてもっと強引に行きゃいいのに




「何を書いてらっしゃるんですか?」

「うわぁ!」

 いつの間にか背後に立っていたメイドに気づかなかったカークは、慌てて日記を覆い隠した。安い作りの木の机にうつぶせるような格好になる。


「あ、すみません。驚かせるつもりは」

「なんですか、いきなり」

 サリーは盆を持っていた。載せられているのは、茶と焼き菓子だった。ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「ドアが開いていたので……。これ、宿の方がくださったんですわ」

「はあ、どうも」

 迷惑をかけたにもかかわらず差し入れとは。ロージャーがなにか過大な詫びでもしたのだろうか。


「私、幾度も声をかけましたのよ。それなのにお気づきにならないなんて、ずいぶん熱心にしてらっしゃるんですね。何ですか?」

「べ、勉強ですよ。勉強!」


 カークは日記を文字が見えないように素早く伏せて置いた。

 ソレノアに入って数日が経つ。ロージャーは進路を街道沿いに戻していた。国境を越えて安心したのか、貧しい食生活に飽きたのか――とカークは予想していたが、実際、サリアンの整備された街道とは違い、ソレノアでは峻険な山並みを抜けていく隘路が多く、旅慣れたロージャーの選択は正しいといえた。街道をそれたが最後、どんな危険な道に当たるかわかったものではない。

 ともかく、申し訳程度の街道でも、探せば宿は見つかった。ソレノアの気候では野宿はきついので、一行は宿を見つけては休みつつ旅を続けていた。宿が見つからない時は、ロージャーとカークで御者役を交替してとにかく進むようにしている。


「お勉強、ですか?」

「そうですよ。僕は王宮の文官を目指しているんです。次男坊ですからね。継げる農地もないし、出世するにはこれくらいしかないんですよ。腕っ節が強ければ騎士を目指しましたけど、あいにく向いてなくて」

 誤魔化すために饒舌になったカークの言葉を、サリーはあっさり信じた。

「まあ、そうだったんですか。助手のお仕事をされながら勉強もなんて、大変ですね」

 この素直で人当たりのいい反応に、カークは後ろめたさを覚えた。


「別に、やりたいからやっているだけですよ。でもいつまで経っても、王宮の官になんてなれやしないんです。去年も一昨年も落ちたし。この旅のせいで、今年の一次試験には間に合いそうもない。でもどうせ受けてもダメだったでしょうね。このところ勉強どころじゃなくて――アチ」

 カークは言い訳じみてしまった言葉を飲み込むようにティーカップを持ち上げ、口を付けようとして舌先を火傷した。

「それでも、旅の間もこうして勉強されているのは立派だと思います。努力家なんですね」

 ひりつく痛みのせいだろうか、苛立った。

 カークは舌打ちをこらえながらカップをソーサーに戻した。


「……あんたはいっつも口ばっかりだ。思ってもいないお世辞だの、できもしない申し出だの」


 彼女はいつだって気の利いたことを言う。それだから騙されてきた。いい娘だ、なんて思って対応が甘くなってしまったのだ。


「あんたにはわからないだろ。なにもできないお嬢さんのくせに。なにもしなくて許されてきたくせに。それはこれからだってそうなんだ。メイドの仕事にしても、簡単なことしかやらされなくてそれに甘んじてたんだろ。次期当主夫妻のお気に入りで、ミルファ嬢とも親しくて? それじゃ誰もあんたに厳しくは言わないはずだ。頭だけ下げてりゃいいと思ってるんだろ。苦労したことなんかないくせに」


 メイドの顔が泣きそうだったので、カークは我に返った。さすがに言い過ぎだ。相手は女の子だぞ。いや、そもそも追いつめてどうする。うまくけしかけてロージャーとくっつけるんじゃなかったのか。

「なんて……、僕には関係ないけど。というか、八つ当たり」


 どうやって取り繕おうかと焦る。何をやってるんだ僕は。彼女には彼女の悩みがあるかもしれないじゃないか。そう、たとえば意に染まない縁談を進められているとか。ソレノアくんだりまでついてきたのもそのせいかもしれない。


「いいえ、カークさんのおっしゃる通りだと思います。私、足手まといです」

 泳いだ視線が勇気をもってもう一度サリーをとらえる。彼女は泣いてはいなかった。頬は赤くなっていたが。

「ミルファ……お嬢様を、助けたくて。どうしてもじっとしていられなくて。なにかできるって思っていたんです。でもできなくて。ほんとうになにも。助けられなかったらどうしようって不安で。ミルファの方がずっと不安で怖い思いをしてるのに。私は弱くて、ダメです。迷惑をかけてばかりで……でも私は……謝らないと……手を、離さなければよかったのに」


 サリーの声が少しずつか細くなり、何を言っているのか聞き取れなくなった。今度こそ泣きそうだ。それは困る。女の涙は武器だ。凶器だ。それをこっちに使われても困る。ロージャーの前でやってくれ。


「できないならできるようになればいい。洗濯くらい子どもだってできる。あんたはただやり方を知らないだけだ」

「……私は子ども以下ってことですね」

「そうじゃなくて、だからあんたもできるってことです。教えてあげますよ、そのくらい。簡単なんだから。マッチだって使えるようになったじゃないですか」

 盆を抱きしめたままで、サリーはわずかに微笑んだ。


「優しいですね、カークさん」

「思ってもないことを言うなって言ったろ」




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