夜と令嬢 夜界ー9
手のひらにぽいと載せられたネックレスに顔を寄せて、リオは右目をぱちぱちと瞬いた。
「は、八百?! こんな小さなのが……」
「そうよ。もらいものだけど、背に腹は代えられないものね」
「すごいよミルファ。それだけあったら、もうみんな困らないよ」
すごいしか言えないのは相変わらずだったが、こんな風に感謝されれば、悪い気はしなかった。
「色々してもらってるんだもの、おやすいご用よ」
ミルファは微妙に胸をそらしつつ、リオに言いつけた。
「いい、値切られないようにするのよ」
「うん。ありがとう、きっとみんなすごく喜ぶと思うな。これなら、身代金なんていらなかった」
いい気分でいたところに聞き捨てならない言葉が飛び込んできて、ミルファは眦をつりあげた。
「……どういうこと?」
「ああ、やっぱり怒った」
リオは見るからにたじろいで、それでも馬鹿正直に事のいきさつを説明した。
「だからね、さっきも言いかけたんだけど、財政難で困ってて、それでミルファのうちはお金持ちに違いないってウーシアンが言うから……ナルジフもやるだけやってみろって言うし、パットも賛成して。ほら、パットは字が書けるから」
「ウーシアンが? あたしを人質にしろって? 助けてもらったなんて言っといて!」
ミルファはリオの手からネックレスを取り返した。
「違うんだ。その、ウーシアンはさ、ミルファが殺されないようにしようと必死だったんだよ。だからナルジフに、無事に帰してあげたらお金になるかもしれないよってそう言ったんだって。これはあとでゾラナから聞いたんだけど。だって僕はその時波をかえしてたからいなくて。はじめはみんなやっぱりミルファを生かしておくことに反対だったから。あの、まぶしいし。でもそれでナルジフも納得して、君を置いておくことに賛成したらしいんだ。だからウーシアンを責めないであげて。返事は来なかったけど、だからって今更君をどうこうしようなんて話はないよ。だってミルファはもう、友だちだもの」
リオの弁明を黙って聞いていたミルファは、ため息をついた。
「……あんたの話はやっぱり、わかりにくいわ」
「ごめん」
リオが飼い主に叩かれた犬のようにしょげていたので、ミルファはできるだけ優しい声をつかった。
「ねえ、なんでもっと早く言わなかったの?」
「ええと、返事がまだだし、怒られると思って」
「怒られるようなことだってわかってはいるわけね」
リオはこくりと頷いた。
「で、返事がこないって? なんて書いたの?」
「ミルファと交換に五千金貨くださいって。この前来てた黄昏の者に頼んで配達してもらったんだって」
「その十倍くらい請求してやればよかったのに。そしたらあんたたちずっとのんびり生活できたかもよ。ああ……でも」
ミルファは椅子に座った。怒る気も失せていた。
「ちゃんと証拠と一緒に送ったの? 演劇でやるように、髪を一房、とか」
リオは首をかしげるばかりだ。
「なんにもわかってないのね。そんなんじゃ返事も来ないはずよ。お祖父様は疑り深いんだから」
「ミルファのおじいさん?」
ミルファの機嫌が直ったのを察してか、リオも向かいに腰掛け直して、話に乗ってきた。
「そう。うちでそういうことを決めるのはたいていお祖父様なの。すごくケチなのよ。それに、あたしよりサラの方が可愛がられてるし」
ミルファは指でネックレスを弄びながら言った。これをくれたのは誰だったかしら。タイラス……じゃなかった、あの人のはイヤリングだわ、などと、どうでもいいことを考えて。
「サラって、ミルファの友だちだよね」
「そうよ。いとこだから、サラもお祖父様の孫なの。あたしのことはいつも叱るくせに、サラには甘いのよね。えこひいきだわ。そりゃあ、サラの方がいい子かもしれないけど……」
「ミルファだって良い子だと思うよ」
さらりと応じたリオは、当たり前のことを当たり前に口にしただけ、という顔をしていた。それなのに、手を握りながら囁かれた幾多の愛の言葉よりずっと、ミルファは動揺した。
「……あんたに言われてもね!」
なぜか紅潮する頬を悟られないように、ミルファは残っていた水を飲み干した。
「え、だめなの?」
「イイコって、そういうのは、そもそも子どもに対して言うような褒め言葉よ」
でも、そういえばこいつはじじいで、お祖父様よりずっと年上なのだった。話していると忘れてしまうのだが。
「まあ……、慰めようとしてくれてるのはわかるわよ。ありがとう」
「でも、本当にそう思うけどなぁ」
「いいのいいの。意地が悪いってわかってるのよ。あんたには隠してないし」
「ミルファ、意地悪じゃないよ」
「しつこいわね」
やっぱりあげようと思っていたネックレスを、渡すタイミングを逃して、ミルファは鎖の部分を意味もなくぐるぐると指にまきつけた。
「しつこくなるよ。だってそれを認めるわけにはいかないもの。違うって知ってるから」
こいつがナルジフのこと以外でこんなに頑固になるなんて。ミルファは可笑しくなった。
「はいはい」
ネックレスをほどいて、ミルファはリオに手を伸ばした。聞き分けのない子どもをかわいがるようなつもりで、手のひらを広げたまま頭の上を撫でるように動かす。
「…………」
「ミルファ?」
唇を引きつらせながらミルファは手のひらを上にあげた。ひどい感触だった。何年も手入れをしていないカーペットみたいな、いや、それより悪い。
「あんた……ちゃんと髪を洗ってる……?」
「え? えっと、たまに水をかぶるけど」
ミルファは空中にとめていた手を勢いよく動かした。つまり、不潔なその頭をはたいてやった。
「言語道断よ! 洗ってあげるわ! ちょっと来なさい」
大切に大切に使っているシャンプーだが、この際仕方がない。ウーシアンが盗ってきてくれたその瓶をひっつかんで、ミルファはリオを洗面台へと連行した。




