闇と光の空 上
むかしのむかし、そのむかし。
この世界はひとつではありませんでした。
遠くに離れていたふたつの世界が、ぶつかって、いまの世界になったのです。
世界のひとつは光の国、もうひとつは闇の国といいました。
光の国はいつでも明るい、美しい国でした。
その中心にはきらきらした光の宮殿があり、大きな大きな時計がありました。
その時計のてっぺんの先には、いつも神様がいます。そう、太陽です。
神様の力で動いている時計は、鐘を鳴らして、光の国の人々に今が何をすべき時なのかを教えてくれていました。
それで人々は迷うことなく、つねに正しく生きることができたのです。
闇の国はいつでも真っ暗。その名の通り、光のない国でした。
でもその国の生き物たちには、いつだって世界が見えていました。だってそうでないと、すぐに誰かとぶつかってしまうし、つまづくのが怖くて歩けませんから。
闇の国の生き物たちは、光の国のとは少し違っています。かれらは動物や虫の姿をしているのに、人間みたいにしゃべれました。中には人間と同じように二本の足で立って歩くものもいます。そう、みなさんのいう「魔族」という種類の生き物です。
光の国と闇の国は、はじめは遠く離れていたのですが、いつの頃からか少しずつ近づいていました。それぞれが大きくなってきたせいかもしれません。
光の国と闇の国は、それまでお互いのことを知らなかったのでびっくりして、次にこわがりました。光しか知らない人たちにとってなにも見えない闇は危ないし、闇の生き物たちに光はまぶしすぎます。それでできるだけ近づかないようにしようとしたのですが、世界が広がるのを止めることはできませんでした。
とうとう、光の国と闇の国の境がくっついて、二つの世界は混ざりはじめます。
大きくなった光の国のはしっこの方では、太陽の神様の光が届きにくかったし、時計の音も聞こえません。だからみんなできるだけ宮殿の近くで暮らしたかったのですが、人が増えると住むところがなくなって、いなかに行くしかない人たちもでてきたのです。いなかの人たちは規律正しく生きる方法をなくして、だんだん自分の好きなように生活するようになっていきました。
一方、大きくなった闇の国では、魔族の中でも特別力の強いのが出てきて、とうとう王様になってしまいました。規律正しい光の国と違って、好き勝手に生きてきた闇の国の生き物たちは困ってしまいましたが、この魔王を誰も倒せないのでみんな従うしかなかったのです。
こうして闇の国には、光の宮殿に負けないくらい大きな、闇のお城ができました。
闇の王はそこに家来をあつめて暮らすようになりました。
そしてそのお城の奥深くには、小さな光の少女がいたのです。
じつは、闇の国で王が生まれた時、少女もまた光の国で生まれたのです。
魔王が大きな闇を持って生まれた時、世界は同じだけの光を必要としました。
それで、少女もまた大きな光を抱いて生まれたのです。
光の国の人々は闇の城ができたときにこれに気付き、少女から大きすぎる光の力を消し去ろうとしました。
かれらは少女の光が消えれば闇の王の持つ力もまた消えることを知っていたのです。
それを知った魔王はすぐさま少女を闇の城へと連れ去ることを命じ、とくべつな牢の中へ閉じ込めてしまいました。
闇に包まれた少女の光は育つことを許されず、どれほどの月日が経っても少女は幼いままでした。
けれどそのために、魔王の力もそれ以上大きくはならず、闇と光の国はほんのちょっとくっついただけで済んでいたのです。
長い長い時間がすぎたある日、少女のもとへ、はじめて人がやって来ます。
それは城の中を探検してまわっていた、魔王の三番目の王子でした。
王子は少女を見てふしぎに思いました。
ふつう光の中で育ったものは闇の国では生きられないのに、かの女はどうみても光の国の人間でした。
闇の国では、光の人間はすぐに力を失い、弱ってしまいます。
それなのに少女の体からは闇の中でもまだ消せない光が薄く立ちのぼり、かすかに太陽の匂いがしていました。
「君は誰」
王子の問いに少女は静かに答えました。
「テュイリー」
名を聞くと、王子にはすぐわかりました。かの女は父の力を保つために生かされている少女だということが。
「僕はシェウェリズィル。みんなウェリズって呼んでる」
王子はテュイリーと会ったことを誰にも言いませんでした。しゃべったりしたら、叱られて罰を受けることがわかっていたからです。
ウェリズ王子はこの光の少女に興味を持ち、それから毎日のように牢へ行くようになりました。
テュイリーははじめ、殆ど口をききませんでしたが、次第にうちとけて会話をするようになりました。といっても、話しているのはやっぱりウェリズの方で、彼が城の外で見聞きしたものについておもしろおかしく話し、テュイリーは笑いながらそれを聞いているというのがほとんどでした。ウェリズもテュイリーが笑うと一緒になって笑いました。
テュイリーはいつもウェリズを待つようになり、ウェリズの方でも、自分のまわりに人がいなくなるのを今か今かと待ち、時には追い出したりもして、かの女のもとに駆けていくのでした。
そうして、かの女が心をひらくたび、すこしずつ、すこしずつ、光はひろがっていきました。
だれも気づかないくらいにゆっくりと。でも、時間が折り重なっていくと、その違いはだれにもわかるくらいに大きくなっていたのです。
風が激しく唸りを上げた夜が明けて、ウェリズがいつものようにテュイリーに会いに行ったその日、かの女はそこにいませんでした。
ウェリズは驚いてあちこちを探しましたが、ついにテュイリーは見つかりませんでした。
魔王もまた光の少女の気配が消えていることに気付き、慌ててかの女の行方を追わせました。そして、光の国に連れ去られたのだとわかると、かんかんに怒りました。
でも不思議です。光の人間が闇の国の真ん中にある闇のお城までやって来られるなんて。
光が闇の中に入ってくるととても目立ちます。ふつうなら、ちょっと迷い込んだだけでも、すぐにまぶしがった闇の国のだれかが飛んできて光を消そうとします。つまり、殺されてしまうのです。
運よく見つからなかったとしても、だんだん光が体から抜けていってしまって、やっぱり死んでしまうはずです。
なのに、なぜでしょう。だれが、どうやって、テュイリーをさらってしまったのでしょう。
答えはわかりませんでした。そしてだれも、光の国まで行ってテュイリーを取り戻そうとはしませんでした。
闇に育った者にとっても、光の中はただ死の待つところでしかなかったからです。
かつてテュイリーをさらってきた魔王でも、前よりずっと大きくなった光の中へ向かうのは無理でした。闇も光も強くなりすぎていたのです。
光の国の人々は今度こそテュイリーの抱く光を消そうとするのに違いありません。
かの女の光を消すということは、つまり、かの女を殺すことです。
ウェリズにはどうしてもそれが許せませんでした。だれもが光の子のことを諦めても、ウェリズは諦めませんでした。
たった一人でウェリズは飛び立ちます。
だれにも悟られないよう城を抜け出し、その背に息づいた漆黒の翼を広げて、まっすぐにかの女のもとへと向かったのです。
ウェリズは速く飛ぶのが得意でした。闇の国を抜けるまではうまくいきました。
でも光に飛び込んだとたん、翼がきりきりと痛みだしました。ふつうならすぐに落ちてしまうところですが、魔王の子であるウェリズの闇はずっと強いので、しばらくはもちました。
それに、テュイリーとずっと会っていたウェリズは、他の魔族よりまぶしさに慣れていたのです。
それでも、テュイリーを探すのはたいへんでした。きっと一番強い光のそばにいる、とウェリズは思いました。そして、太陽の方にむかって飛んだのです。
漆黒の翼は強い光に切り裂かれていきました。
光の国の真ん中には光の宮殿があるはずでした。
でもそれに届く前に、ウェリズはついに力尽きて、落ちてしまいました。
さらわれたテュイリーはどうなってしまったのでしょう?
光の国の人は、彼女をもう殺してしまったでしょうか。いいえ、賢い光の国の偉い人たちは、魔王に光の子を奪われたその時より、ずっといいことを思いついたのです。
光の王様は、太陽の神様のかわりに時計のめんどうを見ている人でした。
王様は連れてこられたテュイリーを見て眉をひそめます。
「まだ子どもではないか」
「ええ、子どもです。私よりも長く生きているけれど、子どもなのです」
こたえたのはテュイリーをさらってきた人でした。名前はキャシュリーンといって、国中で一番光を操るのがうまい、すぐれた魔術師です。みなさんのよく知っている、初代の大賢者様ですが、この時はまだそう呼ばれてはいませんでした。
大賢者様はどうやって闇の国に入ったのでしょう?
この答えは長い間謎とされてきました。でも、今ではわかっています。
じつは、魔法のランプを使ったのです。
この時代、光の国のはしっこに住む人たちは、影に潜みはじめた闇の生き物におびえていました。そこで、月光灯と呼ばれるランプを作り、光の弱いところに入らなければいけない時はいつもこれに火をつけていたのです。
大賢者様が作ったのは、その月光灯を反対にした、新月灯というふしぎなランプです。まわりの光を集めて、あたりを真っ暗にしてしまうランプでした。大賢者様はこれを使うことで、誰にも気づかれずに闇の国を旅行できるようになったのです。しかも自分の体から出て行ってしまった光を吸収してくれるので、それをまた体に戻すことさえできました。これはすごい発明です。でも扱いはとても難しく、便利そうに思えますがだれにでも使えるものではありませんでした。
ともかく、このランプをうまく使い、大賢者様はたった一人でテュイリーを牢から連れ出したのです。
「この子を殺せば闇の王は無力になるのだな」
王様の言葉に、大賢者様は首を振りました。
「いいえ、それだけはなりません」
大賢者様はテュイリーの手をかたく握りしめました。テュイリーの手はわずかに震えていました。
「闇を弱めてもそれでは同じことです。光のほうも力を失ってしまいます」
大きくなったものを元に戻すのはたいへんです。広がってしまったぶんの世界には、もうたくさんの人が住んでいるのです。
「ではどうすればよいというのだ」
「私に考えがございます。どうかこの子に関してはこのキャシュリーンにお任せください」
光の宮殿で王様を説得した大賢者様は、テュイリーを自分の家に連れて帰りました。
きちんと整理された明るい部屋は、テュイリーを戸惑わせました。
「もう何も心配しなくていいのよ。これからあなたは光に包まれて自由に生きることができるの」
牢から連れ出されてからずっと黙っていたテュイリーは、はじめて口をききました。
「……ころさないの?」
初めて聞くテュイリーの言葉に、大賢者様は笑いました。
「まさか」
彼女はテュイリーの目をじっと見て、言いました。
「今日からあなたは私の二番目の娘になるのよ」
大賢者様は自分の娘を紹介しました。キャシュリーンの娘、そう、ルピアンです。
ルピアンは見た目ではテュイリーよりも少し年上でしたが、もちろんテュイリーの方がずっと年上でした。大賢者様よりもです。
でも大賢者様はテュイリーを外見どおりの女の子として扱いました。
「ルピアンよ」
ルピアンは新しい妹に手を差し伸べましたが、テュイリーはその手をじっと見つめるだけでした。
「こんなことも知らないのね」
ルピアンは自分からテュイリーの手を取って、握手しました。
「よろしく」
笑いかけられてテュイリーは不思議そうにまばたきをしました。
それから少しの間どうすればいいのか考えて、ウェリズに教えられたように笑ってみたのです。