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夜と令嬢 昼界ー8



 ミルファは夜界にいる、というロージャーの主張は通らなかった。受け渡しの日時すら書かれていない、ラクガキじみた脅迫状を信じる者はおらず、彼は笑いものにされた。

 それでもロージャーは諦めなかった。なんとしてもミルファを取り戻さねばならず、それができるのは自分しかいない。そう決意して、ソレノアの南端、夜界との境にある、彼が夜のトカゲを捕獲した場所まで出かけることにしたのである。


 ロージャーの数少ない理解者である王女サラも、彼に同行することに決め、密かに準備をしていた。だが、娘が男と旅に出るなど、王が許すとは思えない。そこで事後承諾を取ることにして――つまり無断で――変装して出国しようとしたわけだ。

 下手をすればロージャーが誘拐犯扱いされかねないので、サラは根回しも忘れなかった。従兄夫婦の協力をとりつけたのである。

 セイルははじめ難色を示したが、サラの話を聞くうち、心を動かされたようだった。ロージャーの説をすっかり信じたわけではないが、やってみる価値くらいはあると考えたのだ。

 そこでセイルは王都から離れた彼らの本宅にサラを招待し、表向きはしばらく滞在してもらうという手はずをととのえた。

 ふさぎこんでいたサラが田舎で静養したいというのを、王も止めなかった。サラは無事に城を出て、アクラ家の所有する広大な領地の一角にある屋敷へと向かったのである。


「ねえ、本当に大丈夫ですの? 夜界の魔物と取引だなんて……姫様の身になにかあっては、王もどれだけお嘆きになることか」

 セイルの妻ジェイニーは、夫に協力はしたものの、この旅立ちに反対であった。

「心配なさらないで。境界まで行くだけです。どうせ結界は越えられませんから」

「でも、なにも姫様がお出かけにならなくても」

「いいえ。私、じっとしていられません。ミルファがこんなことになったのは、私の臆病のせいなんです。どんな怖い目にあっているかと思うと……」

 旅行用の大きなトランクを手に、メイドに扮したサラは自らの身を切られたかのように顔を歪ませた。


「結局なにもできないかもしれません。でも少しでも可能性があるのなら、私は。私は、ただ、あの子に一番に会って抱きしめてあげたいの」

 その言葉を聞いて、ジェイニーも説得を諦めたようだった。

「セイル。申し訳ないけれど、後のこと、お願いします」

「大丈夫。おばあさまには僕が話しておくから」

 セイルはそう請け合った。


 サリアン国王を裏で動かしているのがサディアスであることは公然の秘密だったが、そのサディアスに言うことをきかせられるのが妻のリリーシャだけであることはほとんど知られていない。身内だけが把握していることだった。

 サラはうなずいて、聞こえてきた蹄の音に振り返った。




「ほんっとーにメイドと一緒に行くんですか? 旅に若い女の子連れだなんて。そりゃまあ僕としてはうるおいがあっていいですけど」

 手綱を取りながら、カークは言った。アクラ家の本邸は馬鹿でかかった。田舎で、土地を広く使える分、王宮の敷地より大きいのではないだろうか。根拠は、屋敷の門をくぐってからかれこれ十分は経っているのに、まだ建物が見えてこないことだ。

 金はあるところにはある。世の不公平を今更嘆いても仕方がないが、それにしても、そのへんに実りまくっている果実の一つや二つ、もらっていっても罰は当たるまい。


「彼女は」

 ロージャーはそこでひとつ咳払いを入れた。

「金貨五千を持ってきてくれるのだ。寄らずに置いていくわけにはいかん」

「だから、その五千だけ預かって……は、無理なんですか?」

 ロージャーは無言だった。


「アクラ家としては、ちゃんとヒモをつけておきたいって? まったく、信用がないですね。こっちだって一応、一級の宮廷魔術師だっていうのに」

 手綱を引いて馬を止めようか。いや、今穫るより、メイドを拾ってからの方が。あのメイドは文句を言うだろうか?

「いや、金を惜しんで、というわけではないだろう。サリーさんは純粋に、ミルファ嬢を救いたいと願っているのだ」

 まあ、五千枚を守るためにメイドひとり、というのも変な話だ。そもそも、今やミルファは三万で国際的に手配されているのである。なのに五千で誘拐犯との取引に出かける己のなんと滑稽なことか。

 いや、もう腹は括った。いまさらぼやいても仕方がない。


 ロージャーの旅に同行することはこれまで頑として断り続けてきたカークだったが、今回は考えた末、渋々という素振りでついて行くことを決めた。

 この行方不明事件が夜界の魔物の仕業である、というのには、カークはいまだ懐疑的である。それは、掃除の時にふと確認してみた先日のカザサ反応塩の製造年月日が二十年前だったことと無関係ではない。

 だが、いくつか無視できない要因があるのも確かだ。正攻法での捜索は、アクラ家がいやというほどやっている。とすれば、そちらでカークにできることはない。

 ミルファ・アクラは、たいへんな美女だ。残念なことにカークには遠目に観察する機会しかなかったが、噂ならいくらでも聞こえてきた。色事に縁のなさそうなロージャーまでがのぼせあがっていることも、その真偽のほどを裏付けている。家柄も財産も申し分なく、サリアン中の男が彼女をほしがっている。そんなミルファを、もし救い出すことができたなら――親しく会話する機会があれば、ひょっとして、ひょっとするかもしれないではないか。

 甚だ不純な動機であったが、カークはそのような野望を胸に秘めて、御者役に甘んじているのだった。




 結局、たわわに実ったブドウを六房ほど失敬して荷物の中に隠し、ロージャーとカークは豪邸――というより城――の前にたどりついた。

 待ち受けていたのは例のメイドと、アクラ家次期当主夫妻である。あの夜の混乱で、カークもセイルとはかろうじて面識があった。今のところ、カークがまともに言葉を交わしたことのある貴族の中で、一番身分の高い男ということになる。

 カークはかしこまって頭を下げた。こちらから話しかけることなど、無論できない。というか、ただ背景として控えているのが関の山だ。だが首尾よくミルファ嬢を救出した暁には、是非もう少しお近づきになりたいものである。


「遅れまして、大変申し訳ございません」

「いや、構わない。遠回りさせてしまって、済まないね」

 セイルは偉ぶったところのない男だった。絶世の美女の兄にしてはぱっとしない顔立ちだが、嫌味がない。ロージャーにも見習ってほしいものだ。

「とんでもありません。ご厚意に感謝しております」

 とはいえ、さすがにこの男の前では、ロージャーも腰が低かった。


「君たちだけに任せることを許してほしい。夜界からの脅迫状だなんて、アクラ家が公式に認めるわけにはいかないからね」

「お察しします」

「夜の波を操る。そんなことが可能だとしたら、これは大変なことだ。昼界の平和を根底から揺るがしかねない。人々を不安にさせる、そんな話をばらまくわけにはいかないんだ」

「ですが、私の推論では」

「事実だとしても、それは大賢者府の対応すること。我々にはなにもできない。そうだろう」


 ははあ、色々とメンドくさいんだな、とカークは思った。

 見送りにわざわざ夫妻が出てきて、他の召使いの姿がないのも、そういった理由からなのかもしれない。指定時間も早朝だし。

「ともかく、ミルファを頼む。それから、彼女のことも、くれぐれも」

「は、必ずや。カーク、荷物を」

「あ、はい」


 金貨五千枚は相当の重量であった。五つの鍵付きケースに収められていたが、ひとつだけでも腰が曲がりそうなほどの苦行だ。カークは胸中でロージャーを罵った。肉体労働は専門外だぞ。くそ、ついてくるんじゃなかった。日記に書いてやる。

 カークの仕事を、誰一人として手伝わなかった。夫妻はロージャーと話し込んでいる。メイドが手伝ってくれようとしたが、引きずることすら無理なようだった。できないならはじめから言うな! ――もちろん、男としてこの台詞は飲み込んだ。

 大汗をかきながらどうにか全てを積みこむと、メイドが夫妻に頭をさげた。


「それでは、セイル様、ジェイニー様、行って参ります。大変お世話になりました」

「気をつけて」

 それぞれと固い握手をかわして、メイドは馬車に乗り込んだ。ずいぶん親しげじゃないか。いったいいつからアクラ家に勤めているんだろう。

 そんなことを考えていると、メイドがハンカチを差し出してきた。

「どうぞ。ご苦労様です」

「ああ……。どうも」


 ほのかに蜜柑の花の香る、総レースの真っ白なハンカチだった。女物のハンカチで汗を拭うなんて生まれて初めてのことだ。まあ、悪くはない旅になるだろう。狭い部屋で延々と古文書を写し続けるよりはましなはずだ。カークはそんなふうに思ったが、それも翌日の筋肉痛に悩まされるまでのことだった。





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