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夜と令嬢 夜界ー6



「あたしのせいじゃないの……」

 がっくりとミルファはうなだれた。


 なんてことだろう。ロージャーのせいでこうなったとばかり思っていたのに。

 よりによって、トカゲのガラスケースにタペストリーをかぶせた、あれっぽっちのことが原因だったなんて。

 入ってはいけないと言われた研究室にずかずか入って、なんでも勝手に触って。

 それで夜を招いてしまって大騒ぎになって自分はここにいる。まるっきり自業自得だ。


「どうしたの? お腹が痛い? 大丈夫?」

 少しはうまく作れるようになったと思ってたんだけどな、と、のぞきこんでいるのはもう見飽きた顔だ。というか、ここに来てからずっと、ミルファはこの顔しか見ていない。

 片目だけが奇妙に盛り上がって大きく開いている、痩せこけた魔物。顔の左側から青白い光が当たっている時の顔など、サラが見たら気を失いそうだ。

 だが慣れというのは恐ろしい。ミルファはこの顔を見てももうなんとも思わなくなってしまっていた。

「ううん……大丈夫。布を被せたお礼、ね……」


 ミルファは具の少ない、さめたスープをすくった。実にまずい。

 言うまでもなく、贅沢三昧で育ったミルファの舌は肥えている。だというのにここで食べられるものは庶民の朝食以下だ。はじめのうちなど吐いてしまった。生まれてこのかた一番の空腹状態だったというのに!


「うん。恩人だっていうのにすっかりここに閉じこめてしまってるし、ウーシアンがせめてなにか贈りたいってさ」

 もういやだ。帰りたい。そうわめきたいところだが、相手が魔物ではどうしようもない。しかも、向こうとしてはこれでも手厚く保護して礼遇してくれているつもりなのだから始末が悪い。


 魔物の話によれば、ミルファを今すぐ昼界に戻すのは難しいらしい。昼界と夜界のはざまには大賢者による強い結界があり、それを越えられるのは、微細な隙間を通り抜けられるウーシアンのような小型の魔物と、結界よりも高くせりあがる「満ちた夜」だけなのだとか。

 その夜の波に乗れば、ミルファも昼界に出られるのだが、一度波が起こったところなのでしばらくは無理――ということらしい。

 夜が満ちるまで、ただ時を待つ。長期戦だった。なにもすることがないのでヒマでしょうがない。夜にいるせいか、やたらと眠くてたまらないのでしょちゅう寝ているミルファだが、それにしても起きている時間が手持ち無沙汰だ。

 そんな彼女にとって目下の一番の時間つぶしは、こうやってたまに現れる片目の魔物と話すことなのだった。


「そんな、気にしなくってもいいのに。あんたがいろいろしてくれてるし」

 スプーンが古くて汚れている。視界が悪くてよかったとさえ思う。見えなければたいして気にならないからだ。

 青白い灯りは部屋の五カ所に置かれていた。四隅――円い部屋なので、隅というのもおかしいが、とりあえず端に等間隔に四カ所。それから真ん中のテーブルの上で合わせて五つ。これがほんのりと熱をもっているので、ミルファは寒さをしのぐこともできた。


「だって、足りないものがいろいろあるでしょう。ウーシアンもだいぶ元気になったから、ちょっとしたものなら昼界まで出かけて持ってこられるって言ってるよ」

 持ってくる、というのは、つまり盗んでくるということだろう。

 こいつの話もだいぶ読めるようになった。ミルファはすっかり警戒心を解いてしまい、ふつうなら男の前ではしないような態度も平気になっていた。だって、こんな魔物に媚びても仕方ないではないか?

「でもあぶないんでしょ? またどこかにさらわれちゃったりしたらその、大変だから」

 昼界が。

「心配いらないよ。ちゃんと気をつける、身に染みたって言ってるから」

「でもねぇ……」

 スプーンの柄で頭をひっかく。下品だが、見てくれなどもはやどうでもいい。というか、頭がかゆい。もうずっと水でしか洗っていないのだ。そうだ。

「……シャンプーが欲しいわ」

「シャンプー? なにそれ」

「洗髪剤。いい香りのするやつ」

「わかった。じゃあ、伝えておくよ」

「待って。それ運べる? 小さな瓶でも、このくらいはあるのよ」

 手でつかむふりをして、大きさを示す。魔物は上を向いて、視線を泳がせた。


「たぶん……。ウーシアンひとりじゃ無理かもしれないけど、誰か手伝うだろうから」

「じゃあ、お願いするわ」

 ここから近い昼界というといったいどのあたりなのだろう。どちらにしても辺境に違いない。見も知らぬ村人に申し訳ない気もしたが、背に腹は代えられない。


 ミルファが座っているのは、板きれを組み合わせた椅子だ。高さを合わせて、片目の魔物が作ってくれた。テーブルにしているのは、元はタンスの引き出しだったとおぼしき物を並べてその上に板を打ちつけたもの。少し安定が悪いが、まあ使えないことはない。

 ここはかつて光の国の領土だったらしい。混沌期以来ずっとほったらかされていた建物に魔物たちが住み着いたというわけで、腐って壊れる寸前の家具やらなにやら、あちこちに転がっているという話だ。ミルファが現在着ている服も、時代遅れでくしゃくしゃのワンピースだった。カビた臭いがするが、いいかげん鼻も慣れるというものだ。

 今いる場所は、おそらく独房だったのではないかとミルファはにらんでいる。さびついた洗面台とトイレの他にはなにもなかったのだ。窓すらも。すっかり地下に埋まってしまったのか、もともと地下にあったのか、それはわからないが、とにかくここは「氷の塔」の中でも一番深いところにあるらしい。

 だからか、誰もよりつかない。


「でもそういえば、なんでウーシアンは会いに来ないの? 来るとか言ってなかった? 他の魔物……じゃなかった、仲間も。あんたばっかり、使いっ走りで」

「みんなまぶしいから嫌だって。この灯りじゃなくてさ、君が」

「あたし?」

「うん。君はまだ光ってるよ、僕らから見ればね。急に体から光が抜けちゃうと具合が悪くなるらしいからさ、一応、少しずつ抜けていくように君の体もこの部屋も、なんだっけ、ナルジフが言ってたんだけど難しくて……なんたら凍結とかいう……まあ、とにかく、大丈夫にしてあるから安心してよ」

「よくわからないけど、あんたはまぶしくないの?」

「まぶしい。でも誰も来たがらないから」


 命令されてここにいるわけか。なんだかこの痩せっぽっちの下っ端がかわいそうになってきて、ミルファは魔物の作ったまずいスープを一気に飲んでやった。

 皿を置いて、一息つく。

「あんた、どうしても言うことを聞かなきゃいけないの? その、ナルジフに嫌だって言えば?」

「え、べつに、嫌なわけじゃないよ。君と話すのは面白いもの。歌も教えてもらえるし。僕はけっこう平気だから、僕がやるのがいいんだ」


 こいつはバカだけどサラみたいだ。

 優しくて自分の都合より他人のことを優先してしまうようなお人好しだ。魔物のくせにいいやつだ。

 ミルファは魔物のことを見直した。


「ほんとはもう少し早く光が抜けるのかと思ってたんだけど、まだまだみたいだ。しばらくここに居てもらわなきゃならないけど、ごめんね。光が抜けたら部屋をもっと風通しのいい場所に移してあげる。それまで我慢して。そうなったら多分、ウーシアンとも挨拶できるよ」

「あんたが謝ることないわ。いつもありがとう。あんたは、あ……」

 そこではじめてミルファは気づいた。


「そういえば、名前も聞いてなかったわ」


 ふたりきりで会話をしている時には、名前など必要ないものである。

 舞踏会の時に踊るたくさんの男の名前をいちいち憶えなくてもいいのと一緒だ。だって、一対一で踊っている時には「あなた」と呼びかければ事足りるではないか――まあ、この魔物相手にはいつの間にか「あなた」どころか「あんた」で定着してしまったが――。

 それに、こいつだってずっと「君」なんて呼んでる。あたしはちゃんと名乗った気がするのに。

 でもまあ、こいつとはまだ付き合っていかなければいけないみたいだし、名前くらい憶えてやろう。


「え、僕の名前? えっと……」

「あたしの名前は憶えているでしょうね」

「ミルファアクラ」

 意外とさらっと出てきた。感心なことだ。

「そうよ。ミルファって呼んで。それで、あんたは?」

「呼びたいの? 名前」

「嫌なの?」

「僕は……。みんな、僕のことを名前では呼ばないんだ」


 やはり一人前の扱いは受けていないのだろう。かわいそうに。


「あら、名前は大事よ。あたしたち、だいぶ仲良くなったんだし、そろそろ名前で呼び合ってもいいと思うわ」

「昼界では、仲良くなるとそうするの? いいよ。僕はね、レグザスズツァズセースタヅァスルダ」

「れぐ、ず……? 待って、どこからが家名なの?」

 舌をかみそうだ。というか変すぎて憶えられそうにない。せめてナルジフくらいに短かったなら。

「家名?」

「愛称とかは……ああ、名前で呼ばれない、んだったわね……」


 名前を呼ばれない理由は、自分の想像とは違うところにあったかもしれない、とミルファは思い直した。


「縮めて呼んでも言いにくそうね。いいわ、じゃああたしが勝手に短いあだ名をつけてもいい?」

「つけるの? 名前を?」

 レグなんとかが嬉しそうに身を乗り出してきた。子どもみたいだ。

「そう。リオっていうのはどう? うちで昔飼ってたネコの名前よ」


 猫と同じなんて嫌がるかと思ったが、魔物は喜んだ。

「いいね。憶えやすいし。これから仲良しだね、ミルファ」

 魔物が笑顔をみせた。決してまばたきしない左目だけが異様だったが、その他はまったく邪気の感じられない表情だった。

「そうね。よろしく、リオ」


 懐かしい名前を呼ぶだけで、少し安心するような気がした。足音が軽くて、まるで猫みたいだから。そんな単純な思いつきだったが、その響きはこの優しい魔物にぴったりと似合っているように感じて、ミルファは満足だった。



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