第69話 友になれなかった者
「樫川竜弥……お前は出会った頃から何処か俺に似ていると見ていた」
履歴書の写真で竜弥の顔を初めて見たとき、彼の瞳を見たとき失礼ながらも自分と同じ虐待を受けたことがある人間だと見抜いた。父さんが会社で失敗をしてクビになり、俺と母さんは日常的に精神的な虐待を受けていた。それに耐えかねた母さんは俺を置いて家を出て行った。父さんも母さんも勝手だ、そう落胆的になることもあった。母さんが俺も一緒に連れて行ってくれれば父さんに何度も失望することもなかったのかもしれない。子供の頃よく見ていたヒーローのような人達が俺のことを助けてくれるかもしれないと願っていた子供時代もあったが、幻の中の英雄たちは幻の中でしかなかった。
死ねと願うような日々もあったのかもしれない。
それでも俺は父さんのことを愛していた。バイトで得た金を奪われてギャンブルに使われて父さんに対して失望することもあったのに何故俺が父さんのことをそれでも愛していたのかと言えるのかは……。
いつかは父さんが優しく笑ってくれていたあの頃のように戻ってくれると信じていたからだ。
「ごめんな……瑛太」
「父……さん……?」
俺がこれ以上もう金は貸せないときっぱりと断ったあの日。
父さんは初めて俺に暴力を振ろうとしたときだった。俺は逃げることなく、父さんから受ける暴力を受け入れようとしていた。初めて父さんから受けた肉体的の虐待は痛みというものを本当の意味で伝わった気がしていた。それまで言葉だけの暴力が本当の意味で暴力になってしまったのだ。
俺の額からは血が流れたのを見て、父さんは自分を取り戻したのか父さんは泣きながらも俺のことを抱いて謝罪してくれた。今まで願っていた俺の想いというものが通じたのかも知れなかったが酷く重い現実というものはすぐに訪れた。
次の日、父さんは自殺していたんだ。
自分を取り戻した父さんは俺や母さんに今までしていたことに対して耐えきれなくなってしまって自殺していたのかもしれない。そんなことはないはずなのにあのときの俺は周りの人が冷たく寒く見えていて現場に来てくれた救急救命士や警察の人々が何処か冷たかった気がしていたんだ。
「もう……いいか」
何もかも投げ出したくなった俺は自分の身すら捨て去ろうとしていた。
家に帰って医者から渡されていた睡眠薬を大量に服薬してこの世を去ろうなんかなんて馬鹿なことを頭の中で計画していた。
「……ちょっと待ちたまえユー」
外国人風の女性が目の前を通り過ぎたとき、俺は話しかけられた気がした。
俺じゃない、気のせいだろうと逃げることも出来たのかもしれないが俺にとってのその人の声が救いの手のように聞こえていたのだ。可笑しい話かもしれないが……。
「ユー……死にたがってるネ?」
「え……?」
途方に暮れてこれからどうすることも出来ないでいた俺のことを当てて来ていたのだ。
「間違って居たらソーリー。ああ、ソーリーソーリー。私こういうものネ」
「アイオライト……?」
アイオライトという企業名の横に書かれていたのはオリヴィア・スウェインという名前だった。
「まだ名刺しか作ってないけど、これから先Vtuberというものをプロデュースしていこうと思っているネ」
「……Vか」
このときの俺はVというものに関して学校でチラッと聞いて来たことがあったり、スーパーの品だしで偶々そのVと呼ばれるものを見たことがあったりしたため、本当に多少程度は知っているのだった。
「本当に間違っていたらソーリー。ユーがどうしても死にたがってるように見えて放っておく訳には行かなくてネ」
「……はい」
どうせ誰に話すことも出来ない内容。お節介だという気持ちもあった。
このときの俺ならヒーロー気取りをしたいならボランティアでもしたらどうですか?と言ってもおかしくないぐらいのやさぐれていたが俺のことを全く知らないこの人ならば事情を全部話しても一度きりの縁だから別にいいだろうという感覚で俺は全てを話した。
「なるほど、思っていたより事態は深刻ネ……ウーム、ユーはやはり死にたいという気持ちがあるネ?」
「それは当たり前じゃないですか、俺にはもう何もない。だから自分の命を此処で断ち切ったって構わないじゃないですか……」
そうだ、俺にはもう何もない。
どんなに虐待を受けようとも愛していた父親はおらず、最早自分の中で残されているのは空虚な心だけということを自分の中でこの数ヶ月間嫌と言うほど分からされてきた。学校では一人という訳ではなかったが、父親が死ぬまでバイトに明け暮れていた為ロクに放課後の友人付き合いもなかった俺にとってもう何もなかった。
何もなかったはずなのに……なんで死にたいと言う気持ちがちゃんと湧かないんだろうか。
「……それ嘘ネ、ユーは死にたいと言う気持ちがありながら実のところ生きたいという気持ちがある。どうにかして生にしがみつきたという理由があるはずネ。それは……自分の中で分かっているはずネ」
「分かっているはず……?」
心の奥底で水没していたような記憶が自分の中で浮上し始める。
『瑛太……お前は大きくなったらどんな人になりたいんだ?』
公園の遊具で父さんと一緒に遊んでいるとき、ふと父さんは子供の俺には難しい話をしていた。
『僕は……僕は誰かを助けられるヒーローになりたい!!』
子供ながらの俺は小さい頃よく見ていたヒーロー番組に出てくるヒーローのように誰かを助けられるようになりたいと言うと、父さんは笑っていた。
『そっか!!でも瑛太ならきっとなれると思うぞ!!』
子供の夢を壊さないために言っていただけのただの形のない言葉だったのかもしれないが、その言葉が今の俺には響いているような気がしていた。俺は……俺はかつてのようにヒーロー番組に出てくるようなヒーローを見れる気持ちはない。
傲慢かもしれないが父さんがおかしくなっているとき、何もしてくれなかったヒーローに気持ちなんてこれっぽちもないが、空想だからこそ助けになることだってあるんだということには俺には理解している。かつての俺が空想上のヒーローに憧れていたように……。
「……こんな子供の頃の夢にまさかずっと生かされてたなんて」
答えは己の中にあった。
まさか答えが子供の頃の自分にあったなんて想像もしていなかったし、子供じみた夢なのかもしれないのに俺は諦めることが出来なかったのかもしれない。
「答えは己のソウルの中にあったみたいネ……。それでユーはこれからどうするネ?もし良かったらミーが作ろうとしている事務所に入ってみるというはのどうかネ?」
「……俺にVtuberになれってことですか?」
「それもそうネ。それともう一つ、ユー就職先はもう決まってるのネ?見たところ、高校生と言ったところネ……。もしまだ決まってないならミーのところで働いてみるというのもどうかネ?」
「……そっちは悪くはない提案ですね」
自分がVtuberになると言う提案はともかく……俺にとって社長の会社で働くというのは悪い話ではなかった。高校三年生でもう時期的には面接が行われていてもおかしくない時期に俺はもうどうでもいいという理由で教師には誤魔化しながらも学校に行っている日々が多かった。
「情けない話ですけどいいですか……」
「ノープロブレム!!寧ろ人手が増えることは嬉しいネ!!これで我が社の第一号獲得ネ!!」
「え……?」
聞いてはならない言葉を聞いてしまったような言葉を聞いてしまったような気がしていたが気のせいだったのかもしれないと現実逃避する俺であったが、この後本当に会社の中で社長ということを分かるまで時間が掛かったのはまた後の話だ。
二年間という時間を掛けてスカウトをしたり、VとしてのアバターやLive2D。
広告などを打ったり、今後のことを考えての展開などを計画していれば準備期間はかなりかかってしまった。何もかもゼロから始まりということを頭に入れれば、よく此処まで来れたというものだろう。
そして……。
「おい、俺が本当にVtuberをやるのか……?」
「お前以外に誰がやるんだ?」
「当たり前じゃん!!ほらキッズ共にヒーローが居るって言うところを見せてあげるんでしょ!!」
俺がなるのを待っていたのかと言わんばかりにV体を見ると、そこにはどう見てもベルトのようなものが付いているように見えていた。どう見ても自分がなるように設計してたと考えられない。でも、そうだよな。香織の言う通り誰かを助けられるヒーローというのがこの世界にも居るというのを俺は証明したかった。
「だから竜弥……俺はお前のことも助けたいんだ」
竜弥は俺と同じ目をしている。
心の中で冷凍するようにして眠らせていた父さんに復讐すれば全部楽になれたという気持ちは今でも取れない汚れのように残っているからこそ俺にはよく分かる。竜弥の気持ちが……。それでも復讐と言う道を取るのは駄目なんだ。囚われてはダメなんだ。
「竜弥、お前の気持ちはよく分かる……!それでも復讐という道は絶対にダメなんだ!!」
場所は変わり、居酒屋の前から路地になっていた。
お前と居た時間なんてのは短くて響きはしないのは分かっている。きっと俺の言葉だけじゃ通じるはずがないだろう。それでも俺は誰かを救うヒーローとして竜弥に自分の言葉を届けたい。短い時間でも俺はあいつに……。
「俺にとって復讐こそが全てなんだ!!あの人に復讐さえ出来ればそれでいいんだ!!」
竜弥は留まることを知らない。
復讐心というものに囚われている人間は正常な判断が出来ない。俺だってかつては何度もガラス瓶で父さんの後頭部を殴ろうとしたことがあった。それでも父さんのことを殴れなかったのは愛していたからだ。きっと竜弥が止まれないのは親のことを愛しきれなかったからだ。
愛しきれなかったからこそあいつは復讐というものに囚われている。
囚われているが自分でもどうすればいいのか分からなくて迷っているんだ。本当に復讐して殺すべきなのかと……。
「もうやめろ!!それ以上復讐に囚われるな!!お前には千里が居るだろ!!あいつを幸せにしてやれよ!!?」
千里の話を完全に口が止まってしまう竜弥。
竜弥にとって千里の名前を出されるだけ動揺が走ってしまうほど大事な存在なのは付き合いが短い俺でもよく分かる。あの二人は絆というだけの関係だけで終わらない存在だということを……。
「竜弥!!お前がそんなに復讐に囚われるなら俺が一緒に背負ってやる!!お前の友になって一緒に乗り越えて行こう!!俺達の付き合いは短いかもしれない、それでもいい友になれるはずなんだ竜弥!!」
「俺の手を取れ竜弥!!」
これが俺に竜弥に取れる最後の手段。
これ以上竜弥に出来ることはない。付き合いが短い俺にはこれしかもう出来ることしかなかった。人間の出会いというものに感謝しなくちゃいけないのかもしれない。境遇が似ている竜弥という人物に会わせてくれたことを……。
かつての自分自身に似ている自分に会わせてくれたことを……。
だが竜弥は……。
俺の手を握ることなく、その場から去って行くのだったがもう一人この路地から消えて行く人影を見て俺は安心したような気がしていた。俺達のことをずっと見ていた人物は恐らく竜弥のことをよく知っている人物だからだ。
「……行ってしまわれたのですね」
「……ああ」
居酒屋に戻って来ると楓、柊さんと氷室さん……いや、勝田さんが居酒屋の前で待っていた。
「樫川竜弥が何らかの囚われているのは分かっておりましたが……まさか復讐とは……」
彼らが俺達の会話を聞いていたような素振りはない。
恐らく竜弥が居酒屋の前を通り過ぎる前に竜弥が何か言っていたのかもしれない……。竜弥、俺はお前のことを救えなかった。
「俺は誰かを救うヒーローになんてなれなかったんだな……」
「気休めになるのかは分からないんだが……俺はあの子が復讐するような子には見えないぜ?」
「どういう意味ですか……?」
勝田さんの発言に俺は首を傾げていた。
「俺もよく分かんねんだけど……そんな気がするんだ……。あの子は復讐対象のことを殴るとかはしてもそれ以上は出来ねえと思う……分かんねえけどさ」
俺は勝田さんの言葉を聞いて、一瞬ホッとしたような気持ちがあったもののそう上手く行くだろうと不安感もあったのだ。
◆
「何処まで逃げるの竜弥……」
「琉藍……」




