第68話 愛していた
「なんで俺を……助けた……!?」
王室の地下一階にある牢屋の中で彼は縛られながらも姫様に対して声を荒げていた。
自分を誘拐して売ろうとしていた人間を助けたというこの状況がメイヴィスにとってはよく分からない事態だったのだ。
「貴方だけじゃありません、貴方と一緒にいた部下たちも牢屋の中に居ます……」
「あいつら生きていたのか……。いや、それよりも何故俺を助けた?」
「平和になったこの世界で無駄に血を流すのは得策ではないと考えることはありませんか?」
「平和ねぇ……?それは目に見えているものを無視して平和って言っているだけなんじゃねえのか?」
オーガス王国含め他国はこれまで平和というものを作り上げるのに幾多の犠牲を積み重ねてきた。犠牲になった上での平和などというものは所詮作り物でしかないということをメイヴィスは言っていた。
「確かに貴方の言う通りなのかもしれない。今見えている平和というものは仮初だけの平和なのかもしれません……」
「どうやらただの甘ちゃんな姫様って訳でもなくちゃんと現実は見えてるようだな……。なら話は早いな、アンタの言う平和になった世界なんてのは偽りの世界なんだよ」
「ええ、全ては貴方の言う通り……ですがこんな世の中でも私は本当の平和というものを掴み取れることが出来るのではないのかと思っています」
メイヴィスはそんなことは無理だと嘲笑うようにして笑ってみせる。
結局この国も他国も作り上げてきたのは仮初の平和だけということでしかないというのが現実であり、本当の平和というものを作り上げるのは無理だとメイヴィスは見ていたのだが彼女の真っ直ぐな瞳は笑っているメイヴィスをしっかりと見つめていた。
「どうやって……本当の平和ってのを作ろうってんだ?」
「私が作り上げようとしている本当の平和は人々がお互いに居る事を許し合える世界を作り上げることです。嫌いならば嫌いでもいい、憎いなら憎くてもいい。でも互いの場所を奪い合うのだけは駄目なんです。奪い合ってしまえば、争いが生まれてしまう」
「理想論だな」
「ええ、私もそうだと思います。今此処で貴方を見せ締めに殺すというのは簡単なことです。ですが今此処で私が考えを曲げてしまえば、私が理想とする世界は作れないで終わってしまう。貴方には私が作り出す世界を見て欲しいんです。誰かを虐げなくていい世界を……」
メイヴィスは目を瞑る。
何処まで言っても姫様の言っていることは理想論でしかない。所詮、人は争い合う道しか取れず、分かり合うことなど出来ない生物だということを彼らは鬼神族として長年見て来たのを姫様も知っていたからこそメイヴィスに語り掛けていたのだろう。
本当に夢のような世界でしかないということを分かりながらもメイヴィスは姫様が作り出すという世界に興味が湧いていた。鬼神族が今まで見て来た国はどれも最悪だということを族長が生きていた頃に彼は何度も聞いていたが特に耳を傾けることもなく行動することもなく、ただ賊のようなことだけを繰り返していた。どうせこの世は良くならないという諦めかけていた彼にとって悪くない話が流れて来たのだ。
これが最後のチャンスかもしれない、そう彼の回想が流れているなか彼は決める。
「ふっ姫様はいつまでも経っても甘ちゃんっていう訳か……いいぜ。アンタのその案、乗っかってやるぜ。どれだけその甘さが保てるのかこの目でしっかりと見てやるよ」
「ええ、見ていて……!!私は絶対に曲げたりしないから……!!」
姫様はメイヴィスを助けるという選択を選んだ。
自分を誘拐して売り出そうとしていた人間を助けようとする選択肢が果たして良かったのか、これから先姫様はどうなっていくのかが分かって行く話になっていくのは別の話である。
「「「「乾杯」」」
此処は居酒屋。
酒が飲める三名以外はそれぞれが頼んだソフトドリンクを頼んでいたが、紀帆は真波がオレンジジュースを頼んでいるのを見て少し子馬鹿にするようにして笑っていると真波はムッとした表情になりながらも彼女のことを見ていた。
「いいではありませんか、人というのは多種多様……ソフトドリンクでオレンジジュースというものを選んでいるのも天真爛漫な気持ちを忘れていない証拠です」
「それ褒めてないわよ!楓!!」
「ちゃんと褒めていますよ真波さん」
微笑みながらも真波のことを見つめている楓に対して真波は「年上じゃなければ頭を叩いているところだった」とやんわりと怒りの感情を向けながらもグラスに入っているオレンジジュースを飲んでいるのを見て氷室は面白いものを眺めるようにして見ている。
「まあいいじゃねえか!!真波の嬢ちゃんは野心家に見えて実は子供っぽいところがあるなんてのもギャップ萌えみたいで可愛いじゃねえかよ」
「アンタに言われたら急に気持ち悪く感じるからやめてほしいわ……」
「えぇ……おじさんもしかして嫌われてる……?」
自分の発言に対して気持ち悪いという感情を抱かれた氷室は落ち込みながらもヤケ酒をし始めていたが誰も咎めることはなくまたいつものが始まったという感覚になっていた。彼は仕事のストレスを吐け口にするためにお酒を飲むのがいつものことである為、誰も何も言わなかったが隣に座っていた竜弥は「酒臭っ……」と感じながらも勢いよく飲む姿に困惑していた。
因みに真波がオレンジジュースを頼んだ理由は単純に彼女がオレンジジュースが好きだからという理由であり、紀帆や楓に言われたことを少し馬鹿にされた気分になって若干イラついていた。
「まあよろしいではないですか、お二人共……。それぞれ最初に飲み物を選んでそれを飲んだということは互いにとって好きな飲み物だったのかもしれません。神木坂さんはコカ・コーラを頼まれていましたな」
「せやな!!ウチの友人でペプシが好きな子がおるやけどウチは断然コカ・コーラ派や!!最近はドクペとかいうよく分からん勢力が拡大してきとるみたいやけどウチらコーラ派はまだ負けへんで!!」
紀帆は頭の中で茶髪のポニーテールの女性が缶のペプシを美味しそうに飲んでいるのを想像しながらも質問に答えていた。
「それも見方によっては子供っぽいと見られてしまってもおかしくはない飲み物ですな。子供というのは炭酸のシュワシュワとした感じが好きですからな」
「うっ……ま、まあ柊さんの言うこともあながち間違いじゃあらへん気もするけど……そのすまんな」
コーラという飲み物が実際に子供っぽい飲み物かはともかく彼女達の隣にいる家族連れの子供がコーラを頼んでいるところを見て紀帆は何も言えなくなってしまう。氷室はそれを対岸の火事のように酒を飲み続けていたが、飲み過ぎていることに気づいた柊真人が咳払いをすると氷室は「自重しなさい」と言われていることが伝わったのか飲むのを控えていた。
「どうしましたか竜弥さん?」
「ああ、いや……」
手にグラスを持ったまま固まっていた竜弥を見て話しかけた楓。
その様子に気づいていたのは楓だけではなく、澤原もだったがどう切り出せばのいいか分からなかったのだ。
「そういや竜弥はほんまに演技上手かったやな……澤原もそうやけどウチ竜弥の演技にちょっとビビりながら暗転から出て来たで」
「あの二人もそうだけど楓も演技上手かったわよねぇ……アタシこういう方向の仕事は初めてだったから色々大変だったわよ」
「お二人共、初めてにしては中々なものでしたよ」
紀帆が竜弥や澤原のことを褒めて、真波が楓のことを褒めると楓は「ありがとうございます」と丁寧に返すと、二人の言葉を聞いて柊真人は二人のことを褒めていて二人で「やったね」と言い合っていた。
「竜弥、本当に大丈夫か?」
楓の言葉を聞いてもなお、竜弥が固まっていた為澤原も心配の言葉を投げかけると竜弥からの返事が返って来ない。真波と氷室は今回の舞台劇のことを話しているなか、二人の声だけが響くような状況になっていく竜弥の世界の中である言葉だけが自分の中で聞こえていた。
『私が作り上げようとしている本当の平和は人々がお互いに居る事を許し合える世界を作り上げることです。嫌いならば嫌いでもいい、憎いなら憎くてもいい。でも互いの場所を奪い合うのだけは駄目なんです。奪い合ってしまえば、争いが生まれてしまう』
舞台劇の物語の終盤、姫様がメイヴィスに話したシーン。
復讐は必ず成し遂げるべきだという感情がある竜弥にとってあのシーンだけが喉に針が引っ掛かるような感覚で違和感というものをずっと感じており、どうやって拭おうかずっと考えていたが未だに消えることすら出来ないでいたのだ。
「あそこまでされたのならいっそ殺した方がシナリオ的にもいいだろ……」
シナリオには全くと言っていいほど共感が出来ていない竜弥は「少し夜風に当たって来る」と言って居酒屋の外へと出ていた。
「復讐か……」
春の風に当たりながらも竜弥は自分が今何に束縛されているのか考える。復讐というものに囚われているというのは分かっている。復讐に対する答えが欲しくて今もまだ母親のことを殺していないということも自分で分かっているが、今でも思うのは復讐をするべきだという気持ちは今もまだ変わることがないということだ。
「竜弥……」
「澤原さん……」
居酒屋の外の方から人が出てくるのを見て竜弥は扉の方から避けようとしたとき、目に入ったのは澤原の姿だった。
「どうした?なにかあったのか?」
酒を少し飲んでいた為夜風に当たりながらも「酔いを冷まして来る」と言って外に出て来た澤原。外に出た彼は竜弥同様、春の訪れを感じさせる風に当たりながらも竜弥の方を少し暗い表情で見る。
「……あの舞台劇のシナリオ考えたのは楓なんですか?」
「いや、全体の内容を考えたのは彼女ではないが……最終的にメイヴィスというキャラを生かすよう言ったのは彼女の案だ」
「……どうでしてですか?」
「話としては彼は確かに倒されたと言う状態の方がすっきりするかもしれないが、ちゃんと償いをさせるということも大事だと彼女が言ってな……」
「償い……」
今まで考えたこともなかったのだろう。
竜弥は復讐という概念に目を奪われるあまり、償いをさせるということに関しては完全に盲点だったが母親はともかくもう一人彼が復讐したいと願っていた人物はもうこの世にはおらず何の報いも受けずにこの世から去ったのだ。そんなやるせなさをどう解釈すればいいのかと竜弥の頭の中から償いと言う線は消えていた。
「俺も彼女の言う通り、償いということをさせるべきだと賛同した」
「……そうですか」
所詮はただの作り話ということで忘れようともしていた竜弥。
こういう作りの話の方がウケやすいのだろうと気持ちを飲み込もうとしていたが感情の行き先でどうにかなりそうで頭がおかしくなっていた竜弥はただ一つ澤原と二人だけという絶好の機会でこれまで聞こうとしていたことを聞き出そうとしていた。
「澤原さんは……澤原さんは……虐待を受けたことってありますか?」
春風が再び吹くなか、竜弥は自分自身の答えに決着をつける為己と同じ気持ちを知るものに聞き出そうとしていたこと。彼の瞳を初めて見たとき、心の中にまだ眠っていた竜弥はこの人は俺と同じだというのをすぐに悟ったのだ。
「ああ、俺の父親は元々心優しい父親だった。その頃は母さんも居たがある日仕事で失敗をしてしまって会社をクビになってからは俺や母さんに父親から精神的な虐待を受けていた。それが嫌になった母は俺のことを置いて家から出て行った。父さんは暴力こそは振られなかったが、いつも暴言のようなものを吐かれて高校に入ってバイトをし始めてからいつも金を奪われるような形でギャンブルに使われていたさ……」
聞きたかった言葉が返って来た。
竜弥は自分が想像していた通り、自己中心的な父親。そして息子のことだと知らぬようにして逃げて行った母親。どいつもこいつもクズの勢揃いと言わんばかりのものに竜弥は安堵を覚えていたが竜弥のその安堵は消えることになる。
「だが……それでも俺は父さんのことを恨んでなんていなかった」
「なんでだよ……なんでなんだよ……!!」
悲痛なる声が澤原へと聞こえて来た。
それが竜弥の声だと言うことに気づくまでに澤原は時間が掛かったが、彼から発せられた声はまるで自分とは違うということに気づきそれに裏切られたかのような声を出していたのだ。
「アンタはなんで憎くないと……言えるんだよ瑛太……!!」
期待していた答えと違う答えが返って来た竜弥はそう訴えたかった。彼は澤原のことを名前で呼ぶほど気が動転していた。悲しくも苦しい声の理由はそれ以外にもあった。澤原から出た「今では許している」という言葉に本当は違うのかもしれないという淡い希望を抱いている自分がいるからこそ、彼は澤原に本当のところを聞き出そうとしていた。
「父親だったからだ」
「父親だったから……?嘘言うなよ、本当は死んで欲しかったとそういう気持ちがあったんだろ!?」
許しているという言葉の先に待っていた答えに竜弥は理解に苦しむという感情になっていた。
勿論、彼の思っている感情は正しいものなのかもしれない。父親だと信じていた人物がある日豹変し、自分に暴力を振るうようになり自分が働いて溜めていた金すらも奪うように奪い取っていた親の何処を父親と言えるだろう。
竜弥もまた頭の中でどうして父親と呼べるのかを整理しようとしていたが、明確な答えどころか答えに近いものすらも得ることは出来ないでいた。
「ああ、俺は確かに父親のことを死んで欲しい人間だとかあの人がいなければ自分の時間が取り戻せたんじゃないかと思うときはあったがそれでも父親のことを恨み切れなかった」
竜弥はようやく澤原の本音を聞けたような気がしていて安心していた。
どれだけ取り繕っても相手は澤原に対して怒鳴りつけたりしては澤原がバイトで稼いでいた金を根こそぎ奪い取った人間の一人。それなのに許せるなんて軽々しく言える訳がないと……。だからこそ、竜弥は彼の口から「死んで欲しい」という言葉が出てきたとき、安心しきっていたのだが竜弥はまた不安に駆られることになる。
「それでも……俺があの人のことを父親だと思っていてあのときのようにいつか戻ってくれるかもしれないと信じていた……」
「なんで……なんでだよ……」
竜弥は戸惑いを隠せなかった。まるでその瞳と表情は今まで自分が聞いて来た言葉のなかでどういう感情のものなのかすら判断が出来ないでいたのだ。普通であれば父親とあれど自分に対してほぼ虐待のよなことをしてきた人間のことなど許せるわけがないというのは一般的な考え方なのかもしれない。
それでも澤原瑛太にはたった一つだけ……たった一つだけ自分の父親を許せるという感情があった。
「愛していたからだ」




