3.死が二人を分かつまで(1)
「何だよ」
苛立ち混じりの声が男の口から放たれた。
ガラの悪い男だったが、それはありがちな威圧や脅しの安売りではなかった。
ただただ滲み出るのは落胆。
心底期待外れだと言わんばかりの嘆息は、子供が期待外れの玩具を与えられた時のようにも見えた。
「お前は何か違うと思ってたんだが…勘が外れたか」
ああ、その目ももううんざりだ。
勝手に期待されて勝手に失望される。
第一こんな俺に何を期待しているんだ?
いや、それも自分が選んだ結果か。
いや、いや、本当にそうだったか?
これは自分の意思か?
覚えちゃいない。
考えるだけ無駄だと思っていた気もする。
思考がまとまらないが…
いや、もういいか。
もう終わったことだ。
「殺…せよ……」
血を吐きながら最後の望みを男に伝える。
腹部に刺さった巨大な鉄の塊がとにかく不愉快だったから。
「ああ、あばよ」
知人と帰り際の挨拶を済ませるように気軽に男は剣を引き抜いた。
出血を妨げていた異物が取り除かれ、勢いよく吹き出た血液が男の頬に付着する。
無感情にそれを舐めとると、そのまま血のように赤い目をギラりと動かした。
「──ス、おい…!ノックス!!」
男の視線の先には倒れ伏した青年とはまた別の青年がいた。
でも俺に見れたのはそこまでだった。
自分の名を呼ぶ声の主がどうなったのかはもう分からない。
生温い血だまりの中で冷たくなりながら思う事は一つだった。
ああ、どうかこれが悪い夢でありますように、と。
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王国魔導省特別執行局『死が二人を分かつまで』
「───っ!?」
それは恐ろしく不愉快な覚醒だった。
歪に心臓が脈打ち、肌という肌に冷や汗が滲み、呼吸は乱れ切ってどう息を吸っても苦しい。
たまらず胸を押さえながら飛び起きる。
「はぁっ…はぁっ…」
姿勢を起こしたことで汗が肌を伝って流れ落ちるのを感じた。
息を整えながらすぐそばに置いてあった布で体を拭う。
月光を頼りに水差しを手繰り寄せると、ナイトテーブルにあったグラスに注いでそれを煽るように飲み干した。
「はぁ…ふぅ…」
少し落ち着いて窓の外を見ると、そこはいつも通りクーベリア王国の城下街だ。
白亜の街並みは陽が落ち切ってもなお白く、夜闇のなか仄白く光っていた。
夜天に月の高さを見ればまだまだ朝日が昇る時間ではないことがすぐに分かる。
やがて完全に呼吸が落ち着いた頃、湿りきった服を脱ぎ捨てて水浴びをすることに決めた。
寝なおすにも不愉快であるし、そのまま明日起きても不都合だろうから。
「はぁ」
最後に呼吸の乱れとは違う、明確な溜め息をついてその場を後にした。
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朝。
窓から射し込む朝日と鳥の囀る声で目を覚ます。
毛布を剥ぎ取るようにめくってソファに掛けると、決まり切った流れに沿って体を動かす。
一杯水を飲んで、顔を洗う。
桶に張った水面が代り映えのしない自分の顔を映して少し不愉快になる。
それでも必要なことなので鏡映しの自分を睨みつけて目を凝らした。
そこにいたのはいつも通りの自分。
群青色の髪に紺の瞳。
両の瞳はどちらも同じ色を示している。
「(よし)」
それだけ確認出来ればもう見たくもない顔を見る必要はない。
足早に去って、朝食の準備をする。
休日ならばおざなりにしてもいいが、今日は出勤だ。
下手に手を抜くと後々後悔する羽目になる。
多少の面倒を感じながらも、極力考えないようにして黙って手を動かす。
今日の朝食はパンと干し肉にサラダ。
そして時間は多少かかるがコーヒーも淹れる。
食事よりも手間だが、癖になっているのかこればかりは抜く気にもなれない。
カップを黒い液体と芳香が満たしたら、砂糖を気持ち加える。
砂糖を入れる奴は舌が子供だとか言う風潮もあるが、誰に見られる訳でもないので好きなようにしている。
やがて食事を済ませると手早く後を片づけて、掛けてある制服を身に纏っていく。
ずっと前は丈が少し余っていた物だが、最近はそれもない。
紺に染め抜かれた布地は見慣れていたはずだが、最近は人員の入れ替わりで他局の制服を目にする機会の方が多い。
少し新鮮に思って一瞬だけ動きを止めていた。
だが特に意味もない感傷だと思ってすぐにボタンを留める作業に戻った。
同僚はそう口喧しい連中でもないが、そうであっても定刻に遅れるのは気持ちの良いものでもない。
手早く身なりを整えてから剣を腰に吊るして最後のルーティーンに取り掛かる。
「行ってきます。父さん、母さん、姉さん」
壁の棚に置かれたパイプ、髪留め、糸で紡がれた腕輪を見やって声を掛ける。
当然返事はない。
さあ。
また一日が始まる。
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「おはよう」
「びええぇぇぇぇっ!無理です!執行局なんて私死んじゃいます!治療院に帰して下さいぃぃ!!」
「あ、ノックスさん。おはようございます」
毎度建付けの悪い詰所の扉を潜ると挨拶をする。
既にコヨイとスミスと……まあ全員揃っているようだった。
とりわけノックスが遅刻した訳でもなく今日はたまたま順番が前後しただけだろう。
「お、おい待てノックス!この状況を見て何も気にならないのか!?コヨイさんも!」
これ、と指差してスミスは泣き喚く少女を話に上げた。
「その年でギャン泣きする人間と関わりたくない…。大方補充の人員だろう?」
「それは…確かに…というか妙に察しが良いな…」
「危険なのは事実ですからね~。気の済むまで泣いてもらった方が楽かもしれませんし」
我関せずを決め込んだノックスと、にこやかに現実を突き付けるコヨイにスミスは歯噛みする。
「(駄目だ、先達組は良くも悪くも肝が据わり過ぎている…)」
スミスは自分がしっかりしないといけないと静かに思った。
「あー、ミスリーさん?そろそろ落ち着いてもらっても良いかな…?」
「ぐすっ、うぅ…ずみばぜん……。洗って返します…」
不言実行でハンカチを差し出すと、ミスリーと呼ばれた少女は涙とかでしわっしわになった顔面を拭った。
無論ハンカチはぐしょぐしょになったのでスミスは無言で返品を拒否した。
「とりあえず自己紹介…はまだ無理そうかな。先に執行局の人を紹介しようか」
「スミスさん面倒見が良いですね。妹さんか弟さんでもいましたか?」
「ああ、妹が一人…っと、この方がコヨイさん」
たちまち場を回し始めたスミス。
途中でコヨイが茶々を入れたのにもしっかり反応した上で話を繋げている。
「はい、コヨイ=ベル=クロイツラインです。17なのでここでは最年少だと思います」
にっこり微笑んで挨拶を済ませるコヨイ。
「若いが腕利きだししっかりしている方だ。ノックスが関わらなければ基本的には優しい」
「おい、適当な事言うな」
すかさずスミスの補足とノックスの野次が飛ぶ。
コヨイはまんざらでもないのか微笑みを崩さないままだった。
「で、こっちがノックス。愛想はないけど結構気は配ってくれてる。歳は…19で合ってたか?」
「合ってる」
「19だそうだ。閣下を除けば一番ここに勤めて長い」
「…よろしく」
不愛想だが挨拶はしたノックス。
ミスリーはそれをまじまじと見て何かを思い出そうとしているようだった。
「あっ!もしかしてあのノックス・レイシールドさんですか?統一武技祭見に行きました!優勝されててすごかったです!!」
と、上手く記憶を引っ張り出せたのか、目を輝かせて跳び上がるミスリー。
さっきまで泣きじゃくってたのが嘘のような歓喜の表情だった。
「ミスリーさん?ちょっとノックスさんと距離が近いんじゃないですか?」
「…僕も一応ファイナリストなのに」
それと対称的に場の雰囲気は終わりかけていた。
こうも面識がない状態で的確に踏んではいけない話題を選ぶのは才能かもしれない。
「…おい、スミス。帰ってこい。お前が回さないと終わらないぞ」
消沈するスミスを見兼ねてノックスが声を掛けた。
「っ!すまない、コンプレックスが出た。えーっと、僕か。僕はスミス=ベル=スワイトベルト。術師、22だ。よろしく」
「よろしくお願いしますー」
スミスが首肯をするとミスリーも合わせてお辞儀をした。
思ったより平常運転に戻るまでが早い。
「えーっと、ノックスが優勝する所を見てたってことは97回の武技祭に来てたんだよね?僕の事とか覚えてない?」
「おいやめとけよ」
何か譲れない物があるのかスミスが追及を開始した。
よからぬ結末を予感してノックスが止めに入るが時すでに遅い。
「うーん…覚えてないです!でも…」
「うっ…うん、でも?」
「顔は一番タイプかもしれないです!」
渦中のスミスは一旦置いておいて、横からそのやり取りを見ていた他二人の反応は何とも言えない物があった。
あえて言及するならノックスは「なんだこいつ」という顔をしていたし、コヨイは「思ったよりヤバそうな子が来ましたね」の顔をしていた。
「そ、そうか、うんうん!じゃあそろそろミスリーさんの自己紹介をお願いしてもいいかな?」
スミスは単純な男だった。
「あっ、はい。ミスリー・ルナリア、19歳です。王立治療院から来ました」
ミスリーを名乗った少女は、顔つきと低めの身長の影響か年齢より幾らか若く見えた。声も容姿のイメージを裏切らず高い。
魔導省の標準と異なる制服には帽子が付いており、その下から薄めの紫の髪が覗いている。
髪はあまり長くなく、ボブくらいだろうか。
「治療院、つまり治癒術師か。担当は?」
ノックスの反応を皮切りに、異動者の来たタイミングでの恒例と化した質問タイムが始まった。
「はい!魔術外科です!」
「外科か…」
「外科ですか…」
「えっ?何を落ち込んでいるんだ二人とも…?治療が出来るなら良いことじゃないか」
ミスリーは景気よく返事をしたが、スミスを除いた二人の反応は芳しくなかった。
治癒術師が増えるということは現場で治療が出来るようになるということで、何も残念がることはないはずだ。
「スミスさん、もしかして大きい怪我をされたことがありませんね?」
「え?まあ、そう言われてみると…」
「外傷を処置する治癒魔術は回復と外科に別れる」
そこでノックスの解説が入った。
「回復は人体の回復力そのものを促進させて傷を直すやり方だ。放っておけば治るような傷をより早く治す術式と思って良い」
「なるほど」
「外科は骨折とか重度の切創を"外的な力"で"無理矢理"塞ぐやり方だ」
「滅茶苦茶痛いですよ」
「ヒッ…」
「で、でも!その分効果は高いですから!致命傷に近い怪我なら魔術外科一択です!」
スミスは二人があまり喜ばなかった理由を理解した。
同時に極力怪我は避けようと今一度強く思った。
「それに、最近は治療院でも外科の苦痛を和らげるよういろいろしてますから!まあ私はその…アレですけど…」
苦痛があることに関しては一切否定しないミスリー。
しかも最後の方はかなり裏がありそうな感じだった。
スミスはあんまりお世話にならないように強く誓った。
「ま、まあ、今までのメンバーで出来なかったことが出来るようになったと思えば良い事だろう。ちなみに戦闘は?」
「出来ません!」
「それは流石に…厳しいんじゃないでしょうか?」
「ですよねぇ!?」
実戦が日常の部署でそれは厳しいと苦言を呈すコヨイ。
それに対し、やっとまともに話が出来たと言わんばかりに賛同するミスリー。
手を取ってブンブン振り回しながら、さっきの号泣で発散しきれなかった愚痴を零していく。
「確かに魔導省へのお誘いは受けましたけどこんなバリバリの危険地帯に配属なんて聞いてません!ウィステリアさんは何か勘違いしてます!!」
「いーや?適正な人事の結果だぞ?」
「ぴぃっ!?ウィステリアさん!?」
突如としてミスリーの背後に現れたウィステリア。
…いやまぁミスリーが騒いだせいで入ってくる音が掻き消えていただけなのだが。
「おはようございます。最近は良く来ますね」
ノックスの反応の通りウィステリアは元来ガサツな方だ。
公務となれば手を抜くようなことはないが、その分公私の区別が激しいというか。
執行局の詰所が魔導省の僻地にあるせいで用がなければ基本的には立ち寄らない。
「ああ、おはよう。なに、死霊術師の一件からきな臭くてな。その件と…ついでに新人の配属理由も教えておいてやろう」
「ぴっ…」
「ひっ…」
にやり、と挑発的な笑みを浮かべるウィステリア。
視線を向けられて名指しされたミスリーと、先の摸擬戦でコテンパンにされたトラウマが蘇ったスミスが怯えた声を出した。
「そう複雑なものでもないがな。上にウチの損耗率の高さを指摘されたんだよ」
「成程」
もったいぶった割には簡潔な理由だった。
有り体に言えば、任務によって死人が出過ぎていることを咎められた形ということだ。
最近の異動ラッシュも元を辿ればノックス以外の全滅が糸を引いている。
王国の人材がそれほど不足しているという訳ではないが、それでも省に務める人間は国民の血税によって賄われる。
いくら潤沢と言えどもおいそれとすり減らすことが出来るという事ではないのだ。
「ではミスリーさんは間違って危険な箇所に配属されたと言うよりは…」
「そう!危険な職場だから配属されたってことだ!」
「ああっ!やっぱり治療院に帰ります!帰してくださいぃぃ!!」
ははっ!と豪快に笑うウィステリア
出口に向かって駆けだしたミスリーの首根っこをひっ捕らえて猫でも掴むように引き止めた。
「まあそう思い詰めるなよ。お前はこいつらを治療する。こいつらはお前を守る。そうだろ?そうそう簡単には死なないさ」
「簡単に言ってくれますね…。それで、ネリエル絡みの件とは?」
ノックスが次の話題を急かすと、途端にウィステリアの顔から笑みが消えた。
公私の切り替わりを否応なく伝え、場の雰囲気が一気に緊張した物になる。
「まあネリエルと完璧に結びついた訳じゃないがな」
徐に執務机の方へ歩いて行き、どかりと腰掛ける。
それを見かねたコヨイがお茶を淹れようとしたのを彼女は無言で留めた。
「ここ最近王国の要人が次々殺されてる。武官・文官問わずな」
「……」
語る方も聞く方も命のやり取りには慣れている。
ノックス達は沈黙以上の反応は示さず、話は続く。
「その件数も異常だが、殺された武官の面子も面子だ。仮に不意を打ってもそう殺せる連中じゃなかったはず」
ウィステリアが卓上に放り投げた紙面が散らばった。
人相書きと経歴の綴られたそれは一枚一枚が個人の情報だった。
そして一枚の漏れもなく氏名の横には「死亡済み」の押印がなされている。
さらに目を通せば、確かに経歴も並ではない者が多い。
騎士団の隊長クラス、武技祭での実績保持者、名門貴族の俊英…
「これは…」
「おかしいだろう?上層部は騎士団上位の投入を決定した。執行局もそれに同調する形で投入される」
その面々にノックスは思わず息を呑んだ。
「それと、我々にも疑いがかけられている。任務時は最低でも二人組で行動しろ、潔白を証明出来るように」
「待ってください閣下、僕達がですか?」
突如として自身らにかけられた容疑にスミスが食ってかかる。
意見の大小はあれどそれはこの場の総意でもあった。
全員が全員、身に覚えがないと言った顔をしている。
「残念だが疑うに足る証拠がある。ほら、お前なら分かるだろう?コヨイ」
「拝見します──っ!」
続いてウィステリアが取り出した紙にコヨイが手を伸ばす。
ちらりと覗いた限りでは人相書きのそれより鮮明な絵だった。
何らかの術式による写像だろう。
そして一見しただけで何の写像なのか分かるほど画像は鮮烈な赤いコントラストに満ち溢れていた。
「その殺し方を真似出来る人間がどれくらいいる?勿論私はそうは思わないが、そういうことだ。全部がこの通りじゃないが、少なくとも関与は疑われてる」
写真には斬殺された死体と、その故人が使っていたであろう破壊された武器が収められていた。
一際目を引くのはそれらの断面。
人体も武器も、裁断された紙のように寸分の淀みもなく斬り落とされている。
仮にくっつけたとしたらそのまま癒着しそうな程綺麗に。
これを可能にする術をコヨイは知っている。
「『月光』…」
コヨイが呟いた型の名前が全てを物語っていた。
月光はツバキ流の最高位の段にあたる「花」の型。
『種』『根』『芽』『葉』『花』の五段の最上位だ。
世界三大流派に名を連ねる故、流派を用いる人口は多いが、その多くは「芽」の段まで上り詰めるのが精々と言われる。
「花級剣士」に上り詰めるのはほんの、ほんの一握り。
世界を見渡しても「月光」を放てるのは十数人にも満たないだろう。
そしてその稀有な例が執行局にはいる。
五花・コヨイ=ベル=クロイツライン。
当然彼女に視線が集まるが、一人だけ煩わし気に息を吐く者がいた。
「つまり、コヨイ"並"の剣士を相手にすることを想定しろと。そう言う事ですね?」
ノックスだ。
「ああ、理解が早くて助かるよノックス」
「ノックスさん…」
ノックスは「コヨイを相手取るつもりで」とはあえて言わなかった。
多くは語らないが、真犯人は別でいると考えているのを示したようなものだ。
「とっとと下手人を捕まえて普段の業務に戻る。良いな?」