1.月下真銀(1)
ある程度書き溜めがあるのでそれがなくなるまでは基本的に毎日投稿となります。
その他については活動報告をご覧ください。
(2024/4/23:追記)
直近で文章の方をより分かりやすく整える予定です。
改稿実施後またご連絡します。
「異動…ですか?どちらへ?」
モノクル越しに覗いた瞳が怪訝そうに瞬いた。
「はい。魔導省の特別執行局の方へ…」
「執行局!?」
すぐさまその瞳は驚きに変じた。
驚いた理由は彼女が口にした通りだった。
「それは…またどうして?あんな危ない所に行かなくたってコヨイさんならここでも充分やっていけるのに…」
コヨイと呼ばれた少女は薄く微笑んだ。
肩まで伸びた黒髪が艶やかに揺れる。
「もちろん親衛局が嫌な訳ではありませんよ?ただ、やるべきことを見つけましたので」
「やるべきこと…差し支えなければお伺いしても?」
今度はコヨイがその顔に驚きを浮かべる番だった。
「いえ、私事なのでフレッテさんが気にされるほど大したことではないのですが…」
「それでもです。コヨイさんほどの方が親衛局のキャリアを捨ててまでの異動でしょう?私でなくても気にしますよ」
実際フレッテの組んだ指はしきりに組み替えられていた。
怜悧に整った顔に揺らぎはないが、彼女も内心は得心がいっていないようだ。
「それに執行局といえば魔導省でも一際殉職率が高いことで知られていますよ?」
問いかける口ぶりから心配の程が伺える。
しかしそれを受けてもコヨイの表情は変わらない。
「運命…でしょうか」
迂遠な引き止めを退けるように、コヨイは厳かな言葉を口にした。
豪奢な窓から差し込む光はフレッテのみを照らし、コヨイの峻厳な面持ちを一層強く見せる。
「運命。それは…」
フレッテはコヨイの目を見つめた。
より厳密に言うならば、左右で異なる色をした左目の方を。
「その女神様からの神託ですか?」
コヨイは、にこりと微笑んだ。
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閉塞的な室内から一歩外に出ると、心地の良い風が首筋を撫で、白亜の街並みが眼前に広がった。
陽光が燦々と照り返すその様は目を眩ませんばかりだ。
クーベリア征竜王国、その街並みを代表する一幕。
コヨイの務めていた親衛局…「皇室省皇族親衛局」もクーベリアに属する組織だ。
これから向かう執行局もそう。
地政学的には大陸東部にあたり、四大国の一つに数えられる程には隆盛した国家だ。
コヨイは石畳を鳴らしながら道を行く。
その足取りは軽い。
「(やっとですね。女神様)」
内心でそう語り掛ける。
長い睫毛が飾る瞳は、両の色が異なっているのが特徴的だった。
右目の虹彩は一般的に見られるライトブラウン、そして左目は透明感を帯びた桜色。
こういった身体的特徴を持つ者はクーベリアを…いや、全世界で見てもごく僅かと言われる。
同時にそういった人物は得てして大成し、世に名を轟かせるとも。
これをよくある迷信の類と一蹴する世論もあるが、その結論に至るには些か歴史を知らないと言わざるを得ない。
そして虹彩異色の彼・彼女らに宿ったもう一つの才覚。
それは太古の神々に恩寵を受けたとするものだ。
事実として宗教色の強い北の大国では虹彩異色の子が産まれると国を挙げての祭典が行われるとか。
比較的宗教に寛容で多様性のあるクーベリアではそれほどの行事はないが、やはり目立った外見的特徴があると何かと関連付けられるものだ。
特にコヨイの桜色の瞳は「運命の女神」の恩寵を受けたものだと言う。
そういった不定形で数奇な物は何ら関係のない物事と結び付けられ、因縁じみた勘ぐりをされることも多かった。
しかし、彼女がその手合いの悩みに煩わされることは決してなかった。
それは彼女の生来の気質もあるが…最も大きいのはその恩寵を最大限に受けていたからだろう。
「(やっと、私の運命の人に会えるんですね…!)」
運命。
そう聞いて人は何を思うだろうか。
人生において必ず辿る道?
希望に溢れた一幕?あるいは避けがたき破滅?
然もありなん。あながち穿った見方でもないだろう。
しかしこの年の少女にとって答えは一つに限られたようなものだ。
それは小指から伸びる赤い糸。
かねてより瞳を通じてコヨイは神託を受けていた。
「ここへ行けば運命の人と出会えますよ」と。
年頃の少女というのは占いの結果一つだけでも一喜一憂出来るほどに純粋であることが多い。
それが神様からの預言なんていうとびっきりのご利益だったら?
それはもう人生を左右してもおかしくない規模の物だ。実際、そうなった。
かくして彼女の足取りは、尚も軽い。
跳ねるように歩き、結わえた髪が躍るのも道理だ。
全てはこの先、赤い糸が続く道の先にある。
魔導省は以前の勤務先と同じく王都の城下町にある。
複数の主要機関が連なるここは言うまでもなくクーベリアの心臓部であり、文官、武官問わず選りすぐりの人材が揃う。
それ自体は喜ばしいことだが、より自由な気風の西の大国の民から見れば「窮屈」と称されることもある。
都で生まれ都で育ったコヨイにはそれを比べる術はないが。
街道を歩いていると、立ち並んだ家屋の向こうに一際巨大な建物が目に飛び込んでくる。
それは一般的な建屋と呼ぶには長大で、塔と呼ぶには些か広大に過ぎた。
敷地を囲う鉄柵には銀の文字で「魔導省」とある。
噂には聞いていたが、建物の外観は風化も少なく実際に真新しさが目立っていた。
皇室省の建物も華美かつ荘厳な外観ではあるが、やや趣を放つ程度には貫禄が備わっている。
それと比べるとなるほど、魔導省が比較的新造の組織だというのにも頷ける。
予備知識としてコヨイが持ち合わせているのは、魔導省がそのまま魔術に関する業務を行う部門である事、あとは先述の通り新しい組織ということだけだ。
王国も昔は剣士一強の風潮が強く魔導省は存在しなかったが、昨今の魔術の立場の見直しによって創設へと至った…らしい。
あくまでもそれは座学にて聞きかじっただけの知識だ。
実体験での理解に至るほどコヨイは魔術について明るくなかった。
それで「魔導省」に務めるに当たって不安がないのかと問われればないとは言えないが…
それよりも大きな期待に胸を弾ませる彼女としては些事の類だろう。
敷地へ入ろうとした時に入口に控えた守衛がこちらを注視していたが、彼女の身なりを見て会釈をした。
皇族親衛隊特有の白と金の制服に身を包むコヨイは一目でそれなりの立場だとの判断だろう。
予想通り入口を通過したコヨイはそのまま脇道へ抜ける。
敷地内の建物では最も巨大な建物が目を引くが、それ以外の建物も敷地内には幾つか認められた。
「実験棟」「訓練棟」など雑多な札を見るに、その役職の多様さから複数の建屋を所有するに至っているのだろう。
その中の一画、お世辞にも豪奢とは言えないこじんまりとした立地に目的の場所はあった。
「特別執行局」。
待ちかねた目的地にいっそう期待が高まるが、そんなコヨイの内心に水が差された。
視線。
それも敵意を含む。
職業柄コヨイはそういった物に敏感だった。
背後に感じる気配はここまで無音を保っていたことから自ずと緊張が高まる。
吊り下げた刀に意識が向くが、そこで声が掛けられる。
「何者だ?」
声は男性の物だった。比較的若い。
音源から察するに背丈は平均からやや低め。
即座に切って捨てられる距離でもないのを勘案して、コヨイは声のした方へ振り返った。
「失礼しました。私、皇室省皇族親衛局からのこちらに異動になりました。コヨイ=ベル=クロイツラインで…す…」
警戒を解こうと挨拶を挟む刹那、心臓の跳ねる音を自覚した。
十年来の神託が脳裏を廻り、そしてそれは確信に変貌する。
この人だ、と。
認めた人影は先ほど感じた通り若く、まだ少年の面影の僅かに残る出で立ちだった。
彼女の身にまとう制服とは対照的に暗色で揃えられた制服は魔導省の物だろうか。
偶然だろうが、魔術師が好むローブを改造したような群青は、青年の持つ髪色と揃いのようにも見える。
ともすれば制服に着られているような印象すら受けそうだが、青年の持つ眼光がその印象を払拭する。
鋭く、しかし野暮ったく開かれた両の瞳は齢に見合わない厭世的なそれを思わせた。
しかしそれすらコヨイの鼓動を射止める要因にしか成り得ない。
超理論的な確信がコヨイの脈拍を確かに早めると共に、体内の血液が左目に集まるような錯覚を覚える。
同時に、不味い、とも思った。
心中の制止を振り払って、桜色の瞳が輝きを帯び始めた。
「おい、何を…!?」
その異変を感じ取ったのだろう、青年も吊り下げた剣帯へ右手を伸ばした。
しかしてその動作はたちまち緩慢になる。
同時にコヨイの心中に言い知れぬ感情が流れ込んだ。
コヨイの左目に宿るとされる運命の女神。
その主たる恩寵…権能とも呼ばれるそれは至って単純な物だった。
「意中の人物と心を通わせる」それだけだ。
それは文字通り「運命」を共にする為の権能。
喜怒哀楽に始まり悦びや痛みすら通じ合う個を超えた交わり。
一見役に立たない力だが、それは魔術でも侵す事の出来ない超神秘的な領域である。
この瞳に見つめられた時、視線で結ばれた者達は本来表に出ない深層を何も隠し通せ得ないのだ。
よってコヨイには青年の懐疑心が、青年にはコヨイの胸の高鳴りが共有される。
理屈で説明の出来ない現象にその場は停滞するが、却ってこれは好都合なのではないかとコヨイは考えた。
「その…怪しい者ではありません…。"伝わり"ますよね…?」
口先だけであればいざ知らず、今は胸の内すら卓の上に並べられたも同然の状況だ。
やましい事は決して無く…いや、懸想の念が漏れ出すのはそれに含まれるか…?
ともかく法規に触れるような事は決してない。
それは瞳を通して青年にも伝わっているはずだ。
しばらく静観が続いて重い沈黙が場を包むが、やがて青年は剣の柄からその手を離した。
ホッと彼女が胸を撫で下ろすのも束の間、撫で下ろした胸を燻らせるような感覚が流れ込んできた。
「…分かったからその眼を止めろ」
青年は溜め息と一緒に言葉を吐き出す。
コヨイは慌てて釘付けになっていた視線を石畳に向けなおした。
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執行局の中に入ると、そこにはこじんまりとした内装があるだけだった。
二人の他に人の気配はない。
「私達が最初みたいですね」
「いや、他には誰も来ない」
室内に青年の声が反響する。
「…というと?」
「この前の任務で粗方死んだからな。やることも単純だからお上も滅多にここには来ない」
「…まあ」
どうやら危険な部署という認識は間違いではないようだ。
戦争もない今の時期にそれだけ人死にが出るのは珍しい。
が、少なくとも疑問の一つに答えは出た。
「それであんたが異動になったんだろうな」
省を跨いでのコヨイの異動、それだけ逼迫した理由があっての事かと思っていたが、やはりそうらしい。
ようは欠員の補充だ。
しかし彼女は青年の言葉を聞いて眉根を顰めた。
「コヨイ…」
「ん?」
「コヨイと、そうお呼び下さい…」
「……」
頬を赤らめて俯くコヨイ。
左目は先ほどと同じく眩く輝いている。
それに気づいてから青年はすぐさま目を逸らした。
「クロイツライン…『王剣』か」
クロイツライン家。コヨイの名乗った姓名であり、ここ王国では知らない者のいない名前だ。
王国最筆頭とも言える武門名家であり、世界に名だたる二つの流派の始祖としても名高い。
嫡男は「クロイツライン流」を、嫡女は「ツバキ流」を教育課程で修め、それぞれが王国の枢要として相応しい地位に就く。
「王剣」はそんな一族を端的に示唆した通り名だ。
男児は軍部の最精鋭を、女児は皇族の親衛隊として名を馳せる。
誰が呼ぶともなくいつしかその名は浸透していた。
「ええ、若輩には過ぎた名ではありますが。ところで、私は貴方様のことをなんとお呼びすればいいでしょうか…?」
「ノックス・レイシールド。あんたと違って貴族姓はない。好きに呼んでくれ」
「ノックス様…素敵なお名前ですね!」
「…様はやめろ」
笑顔に花を咲かせるコヨイと打って変わってノックスと名乗った青年は怪訝そうな顔をした。
と、そこでコツンと何かが鳴る音がした。
「仕事だ」
ノックスは立ち上がって入口脇の書簡受けから一枚の紙を取り出した。
あれが仕事のサインらしい。
ということは何らかの指令書だろうか。
「そういえばまだどういった部署なのか伺ってませんでしたね。私は魔術を扱えませんが…大丈夫でしょうか?」
仕事と聞いて心の隅で懸念していた事を思い出した。
異動の辞令が下るくらいだから問題はないだろうと予想はあるが、実態を知るまでは少しばかり不安は残る。
が、予想は青年が頷いたことで肯定された。
「問題ない。俺も大して使えんが、戦力になるなら支障はない」
言葉少なにノックスは制服の裾を翻して外へ向かう。
それを追ってコヨイも後に続いた。