捌:初代聖女
帝国に聖女という存在が初めて現れたのは、今から四百七十年程前、つまり魔王討伐から三十年程経った頃だったとされている。
それまでは、帝国内に於ける女性の地位は、著しく低かったそうだ。
その頃、生き延びた魔王配下の魔族の残党が、大陸の各地に散って、人間を襲っていた。
魔族の攻撃は魔物のそれと同様、人間に対して穢れを送り込んでくる。
魔王を失った魔族は大した強さを持たなかったが、それでも、人間がほんの少しでも魔族の攻撃を喰らうと、穢れを受けてしまい、結果として大勢の人が死んでいった。
まるで疫病のように、人々を死に至らしめる穢れを前に人間は成す術なく、魔族の攻撃を一度でも喰らえば、ただ死を待つのみだった。
そこに、一人の少女が現れた。
金髪碧眼のその少女の名は、イリス・サニー。
彼女は類稀な才覚で魔術を駆使し、人間で初めて浄化魔術を編み出した、初代聖女である。
彼女は各地を回り、魔族と戦って残党を狩り尽くしたといわれている。
そして天寿を全うするその時まで、穢れに苦しむ人々を救い続けたそうだ。
その功績は、帝国内に於ける女性の地位を底上げさせたともいわれている。
それ以降、聖女は姿を変え、時代を越えて、このファブリカティオ帝国を支え続けている。
「……そうか、もしかしたら勇者は聖女の力を持っていたのかもしれないな……」
「勇者が、聖女?」
「ああ。あくまで憶測だが……聖女という概念もなかった五百年前、勇者が聖女だと認定されることは当然なかった。勇者の死後に初代聖女イリス・サニーが現れているから矛盾もない……」
確かに辻褄は合う。
「そうか。当時の男尊女卑の価値観から、女性の活躍を良しとしない当時の皇帝は、勇者が女性である事を伏せ、男性として記録に残した」
「ああ……そして秘密裏に、当時の皇太子と結婚させたんだ」
「それで勇者は表舞台から姿を消し、ただの伝説として語り継がれるのみとなったって訳ね」
確かめる術などないが、点と点が繋がったような気がする。
魔王を打ち倒すという偉業を成し遂げた勇者についての記録が極端に少ないその理由が、今ようやく腑に落ちた。
歴史の闇、というやつだな。
「納得した?」
族長の問いに、私は頷く。
「ええ、そうね……まさか伝説の勇者が女で、クロヴィスの御先祖様だとは思いもしなかったけど」
「それを言うなら私だって、まさか勇者様の子孫が、これほど生き写しとなって……しかも男になって再び私の前に現れるなんて思いもしなかったわ」
妙に引っ掛かる言い回しだな、と思っていると、族長はつかつかとクロヴィスに歩み寄って、赤い唇を吊り上げた。
「あの時の勇者は女で、私の求愛に見向きもしなかったけど、今の貴方なら私の求愛に応じる可能性があるということ……」
「残念だが、俺はアリスと婚約している。他の女は要らない」
即座に拒否するクロヴィスに、族長は目を細めた。
「あら、そんなことはどうでも良いのよ、私は気にしないわ」
本気でクロヴィスを口説くつもりの様子の族長に、私はほぼ反射的に、彼女とクロヴィスの間に滑り込んだ。
「顔だけでクロヴィスが良いと言うのは、あまりに失礼では?」
「人間の取り柄なんて、顔と繁殖力以外にあるの? 魔力も身体の頑丈さも力も、竜人族には何一つ勝てない脆弱な生き物なのに」
「その脆弱な生き物に、魔王の支配から救われたんでしょう? だからずっと、勇者との口約束を守ってきた……だから、突然竜が三体も殺されたのに、盟約の破棄と捉えて帝国を急襲するのではなく、まず使者を送って、理由を尋ねた……違う?」
そう、それがずっと疑問だった。
突然竜三体が殺されたのに、何故族長は、盟約の破棄と捉えなかったのか。
最初は、竜三体を倒せる人間側の戦力を警戒してのことかと思っていたが、盟約の破棄と捉えていれば最初に私が竜を倒した張本人だとわかった時点で即座に報復していただろう。
それに何故、竜人族程の力があって、雪深く不便なこの土地に棲み続けているのか。
何故、竜が滅多に人里に降りてこないのか。
それは、竜人族の長である彼女が、勇者との約束を守り続けているからだ。
だから、竜三体が突然人間に殺されてしまっても、すぐに報復しようとはせず、理由を尋ねるために使者としてエルガを送ったのだ。
そして結果として、竜三体の内一体は人間に利用されて召喚されたとはいえ、その場にいた人間を襲おうとした事実があり、あとの二体もその先の一体の呼びかけに応じて人里に降りたという事を聞いた。
私が町と市民を守るためにその三体をやむを得ず倒したと聞き、彼女は竜三体を殺した私に対してその責を問う事はなかった。
私の言葉に、彼女は改めて気付いたとでも言いたげに目を瞠った。
「貴方が心酔している勇者だって、顔だけしか取り柄が無かった訳ではないでしょう?」
「……そう、ね……」
族長が寂しそうに瞑目した直後、ぱたぱたと足音が聞こえ、そちらを見ると目を覚ましたらしいエルガが駆け寄ってきていた。
「母上! 俺がアリスに負けたというのは本当ですか……!」
「馬鹿息子が……」
族長は嘆息して、額を押さえた。
「アリスに負けた? どういう事だ?」
クロヴィスが眉を顰める。私はこれまでの経緯を簡単に説明した。
「竜人族五人と戦って全員に勝てば花嫁にするのを諦める、だと?」
案の定、クロヴィスは心底驚き呆れた顔をした。
「それを受けたのか?」
「それ以外諦めてくれる方法がなかったんだもの。私がエルガの花嫁になっても良かったって言うの?」
「そんな訳ないだろう! だが、竜人族相手に魔術なしで戦うなんて、いくら何でも無謀過ぎる!」
私の両肩を掴むクロヴィスに、私は唇を尖らせる。
「勝ったんだから問題ないでしょう?」
「負けていたらどうするつもりだったんだ!」
「そしたら勝つまでやるわよ。何度でも」
けろりと答えると、クロヴィスは虚を突かれたような顔をして、それからふっと苦笑した。
「……本当に、アリスには敵わないな」
「おいお前! 帝国の皇太子だな! アリスに触れるな!」
「ああ? アリスは俺の婚約者だ。俺が触れて何が悪い?」
クロヴィスは、見せつけるように私の肩を抱く。
「っ! なら! アリスを掛けて俺と勝負しろ!」
「アリスは物じゃないし、帝国が認めた俺の婚約者だ。お前の勝負を受けてやる義理なんてないが……この際わからせておいてやろう」
クロヴィスはそう言ってエルガを睨みつけた。
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