漆:伝説の勇者
竜人族は、人間よりも寿命が長い。
神殿にあった古文書によると、三百年から五百年生きることもあるとか。
「……もしかして、貴方は、勇者に会ったことがあるんですか?」
問うと、はっとしたようにこちらを見て、それから懐かしそうにその目を細めた。
「……ええ……」
その目は、ジャンがグレース様について語る時や、ジルベルトがロジェの話をする時と、同じ光を宿していた。
「……ちょっと語り過ぎちゃったわね……」
族長は誤魔化すように首を横に振り、そしてもう一度私を見た。
いつの間にか太陽は完全に沈み、空には星が輝き始めていた。
「……さて、これからどうしましょうかね」
族長はそう言って曖昧に微笑む。
意味深長なその表情に、頭の中で再び警鐘が鳴り始める。
「母親としては、息子が初めて花嫁にしたいと言い出した相手を、みすみす逃がしたくはないのよね」
「でも賭けは私の勝ちで……」
「賭けが一回だけなんて誰が言ったのかしら?」
ふふっと微笑む族長。
なるほど、そう来たか。
つまり、自分が勝つまで賭けをやめないつもりだな。
「さぁ、次は私と……」
彼女が言いかけた瞬間、私と彼女の間に魔法陣が顕現した。
何度も見たそれは、彼が現れる証。
安堵と歓喜で思わず視界が滲みかけた直後、目の前にクロヴィスが姿を見せた。
「クロヴィスっ!」
「アリス!」
転移魔術で現れたクロヴィスは、私の姿を見るなり強く抱き締めた。
「アリス! 無事か! 怪我はないか! あの竜人族に何をされた!」
「落ち着いてクロヴィス! い、痛いっ!」
何なら今怪我しそうなくらい背骨が痛い。
慌ててクロヴィスの背中を叩くと、彼ははっとして手を放した。
「す、すまん、つい」
「心配してくれてありがとう。私はこの通り無事よ。オロチもいてくれたしね」
「ああ、オロチが分身を飛ばしてこの場所を知らせてくれたんだ」
そんな指示は出していないが、と思ってオロチを振り返ると、彼は頷いて補足した。
「僭越ながら、私の分身は本体からさほど離れられないのです。精々この北の僻地の範囲のみ。気配を探って、クロヴィス殿が私の分身が行ける範囲に入った瞬間に分身を接触させました」
なるほど、分身を出しても本体からそれほど離れられないから、帝都までは飛ばせない。
自分達がこの村から動けない以上、クロヴィスが北の僻地に足を踏み入れてくれない限り彼への連絡手段としては使えないので、オロチも自らその術を私へ進言しなかったのだろう。
竜人族の集落は結界で覆われている。
おそらくだが、この結界は、雪除けと魔物除けの効果に加えて、中のものの存在を隠す作用があるらしい。
この結界の内側にいたせいで、私はクロヴィスに見つけてもらえなかった。探知魔術を使っても居場所がわからなければ、正確な座標が割り出せず転移魔術も使えない。
だが、この場所を知る者が、内側から誘導したとなれば話は別だ。
「竜人族が北の僻地に棲んでいるってことだけでもわかっていて助かったな」
そう言って、クロヴィスが愛おしそうに私の頬に触れる。
その一連のやり取りを見ていた族長が、愕然とした顔で呟いた。
「……勇者、様……?」
「は?」
クロヴィスが怪訝そうに眉を顰める。
「あれは?」
「竜人族の族長よ。ちなみに、私を攫ったエルガって男の母親で、魔王を倒した勇者と面識があるみたいなの」
「……竜人族は長生きだとは聞いたことがあるが、五百年前の勇者に会ったことがあるとはな……」
驚いた顔で呟き、クロヴィスは私を背後に庇いながら族長と対峙する。
「アリスは俺の婚約者だ。ファブリカティオ帝国皇太子である俺の婚約者を誘拐したこと、どう償う?」
「……ファブリカティオ帝国の、皇太子、だと……?」
族長の目が見開かれる。
「……まさか、勇者様の末裔の婚約者だったなんて……」
族長の言葉に、私とクロヴィスが顔を見合わせる。
「勇者の末裔とはどういうことだ?」
「……それさえも、人間の歴史からは消え去ってしまったのね」
族長はまた悲しそうに目を伏せ、しばらくの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「五百年前、人間の勇者様が魔王を倒した。それくらいは知っていると思うけど、その勇者様についてはどのくらい知っている?」
「伝承では、勇者は、ファブリカティオ帝国の庶民の出身で、魔術の才があり、剣と魔術を駆使して魔王を討った、としか……」
そう、勇者については、あまり多くの情報が残っていない。
五百年前の出来事は、この世界ではあまりに遠い昔のことだ。まして寿命の短い人間からしたら尚更。
それこそ、今を生きている者達の中には、魔王と勇者が実在したことを信じない者も多い。
「それは正解。じゃあ、勇者様が魔王を討った後、どうしたかは知っている?」
「いいえ、勇者について記された文献は少なくて、魔王討伐のその後についてはほとんど残されていないの」
「……勇者様は、凱旋後に皇太子の指名を受けて、皇太子妃となったのよ」
「……は?」
私とクロヴィスの声が重なる。
「勇者が、皇太子と、結婚……?」
「帝国では同性同士の結婚は認められていないわよね?」
戸惑う私達に、族長は目を瞬いた。
「あら? もしかして、勇者様が女性だったってことも伝わってないの?」
「ええぇぇぇっ!」
そんなまさか。
どの文献にも勇者を表現する時は『彼』と書かれていた。
勿論、当時の皇太子と結婚したなんて記述はどこにもない。
「勇者は美しい女性だったわ。銀髪に青い眼をしていて、凛とした佇まいの……本当に、よく似ている」
クロヴィスは確かに美形だ。女装させたことはないが、体格を隠して顔だけならば女性として通用するだろう。
「……そう、勇者様がとても美しい女性だったことさえ、帝国ではもみ消されてしまっていたのね」
「知らなかったわ……でも、どうして勇者様のことをきちんと後世に伝えようとしなかったのかしら……?」
大陸の魔族による侵略から人類を守ったのだから、間違いなく勇者は英雄だ。
それが女性であろうと、その情報は正しく語り継ぐべきではないのだろうか。
「五百年前の帝国は、聖女もまだ存在せず、今よりはるかに男尊女卑が激しかったと聞く。三百年間、人間を脅かし続けた魔王を打倒したのが一人の女性であるなんて、帝国にとったら都合が悪かったんだろうな」
自国の残念な歴史に、クロヴィスはそう呟いて視線を落とした。
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