陸:昔話
エルガの攻撃が届く直前、私は叫んだ。
「っ! オロチ!」
姿を消して控えていたオロチが、さっと姿を見せてエルガの拳を魔力の壁で受け止めた。
突如現れたオロチを見て、族長が目を瞬いた後、ふっと笑った。
「……は、反則よ! この勝負はエルガの勝ちね!」
まぁ、そう言うだろうことは予想済みだ。
私はわざと挑発的に、ふんと鼻を鳴らして見せた。
「あら? 竜人族は五人、私はその一人ずつと順番に戦うって話だったけど、私側に味方がついてはいけないなんてルールにはなかったでしょう?」
「っ! 屁理屈を……! でも、召喚魔術を使ったのなら、結局反則負けでしょう?」
「召喚魔術なんて使ってないわ。オロチはずっと私の近くに控えていて、名前を呼んで出てきてもらっただけだもの」
しれっと答えて見せる。
膨大な魔力を持っていながら、魔術をほとんど使えない竜人族は、完全に気配を絶っていたオロチに気が付いていなかった。
「実際、私が召喚魔術を唱えたという証拠はないでしょう? 呪文の詠唱を聞いた?」
私の言葉に、族長は唇を噛む。
と、その時、エルガがどさりとその場に頽れた。
「エルガっ?」
族長が色を失って叫ぶが、直後にエルガから聞こえたのは盛大な鼾だった。
「……っ! 何をしたのっ!」
「私は何もしてないわよ。決闘の最中に勝手に眠り出したのはそっちよ。これでエルガは戦闘不能、私の勝ちね」
にっこりと笑顔で告げる。
実は、オロチを呼び出した瞬間、念じて命令を出していた。
催眠魔術を無詠唱で行い、眠らせろと。
以前、オロチに聞いたことがあったのだ。
オロチは町医者の仮面を被るため、催眠系の魔術を相当鍛えたと。
それこそ、呪文の詠唱なしに、目が合っただけで眠らせることができるほどに。
相手が魔術に対する耐性を持った魔術師であれば効かないこともあるが、一般人であれば特殊効果に対する防御魔術を予め掛けていない限り、それを防ぐ手立てはないらしい。
竜人族は、強い魔力を有するが、どうやら催眠などの魔術に対する耐性はないようだ。
魔術を使ったのはオロチであって、私ではない。よってこれはルール違反ではない。
我ながら屁理屈だとは思うけれど、私が眷属を使うことは禁止されていなかったのだから問題ないはずだ。
「し、勝者、アリス……」
おずおずと宣言する審判の言葉を受けて、私は族長を振り返った。
「ほら、私の勝ちよ」
私が微笑むと、見物に来ていた竜人族がどよめいた。
エルガが人間の娘に負けるとは微塵も思っていなかったのだろう。先程助けた女性とその子供たちが、私が勝った事で少しほっとした様子で息を吐いているのが見えた。
「……約束は守るわ。貴方をエルガの花嫁にするのは諦める」
嘆息した族長に、私はふと目を瞬いた。
「……どうして、私をエルガの花嫁にしようと思ったの? いくらエルガがそう望んだといっても、竜人族からしたら、人間なんて脆弱な生き物のはずでしょう? それに、私は貴方達の眷属である竜を三体も殺しているのよ?」
「確かに人間は脆弱だけれど、竜三体を倒した貴方はそれに該当しないでしょう? それに、私達竜人族は、人間より長い寿命と強い魔力を持っているけど、繁殖能力が高くないのよ。それに引き換え、人間は繁殖力が高い……だから竜人族の頭数が減ってくると、度々人間の娘を花嫁として迎え入れてきた。人間と番うこと自体は、竜人族としても忌避するようなことではないのよ」
それに、と族長は続ける。
「そもそも、竜人族は竜と、人間と魔物の混血である魔族の血を引いているんだから、今更人間と交わることを拒絶なんてしないわ」
「竜と、魔族……?」
竜人族は竜と人間、あるいは魔物と交わって誕生した種族だと聞いていたが、魔族というのは初耳だ。
魔族と呼ばれるのは、魔物が人間と交わって生まれた存在で、勇者と後の聖女によって殲滅させられたため、今この世界にはいないはずだ。
とはいえ、魔族が魔物と人間の混血であるので、竜人族が竜と魔族の子孫であるなら、竜と魔物と人間の血が流れているというのは強ち間違っていない。
私が聞き返すと、族長は少し悲しそうに目を伏せた。
「……少し、昔話をしましょうか」
何か企んでいるのかと一瞬警戒するが、賭けが終了した以上、彼女がこれ以上何かするようならこちらも全力で相手をするまでだ。
そう判断し、オロチにも警戒しておくよう念じて伝えて、族長の話を待つ。
彼女は唯一残った審判と見物に来ていた者達に、倒れた戦士の介抱を命じ、人払いをしてから口を開いた。
「……遥か昔、私達竜人族の祖先たる竜が、世界を支配していた頃、人間は魔術を使うこともできず、ただ竜という存在に怯えていた」
それは神殿にあった古文書に書かれていた神話と一致する。
当時は竜が世界の中心で、人間は竜の怒りに触れぬよう、小さい集落を作って怯えながら暮らしていたそうだ。
「そんな中、ある時光の矢が降って来て、竜のほとんどが死に絶えた……そして洞窟に逃げ込んで難を逃れた人間たちがその後魔術を開発し、世界を支配するようになった……でも、今から八百年前、人間と交わった魔物から魔族と呼ばれる者達が誕生した」
それも、人間の歴史書に記されている内容と同じだ。
「程なくして魔族の頂点たる魔王が生まれた。魔王はこの北端の地に魔王城を築き、魔族を率いて人間との戦争を繰り返した……そんな中で魔王は、かつて光の矢の直撃を免れ、雪に閉ざされて封印されていた沢山の竜の卵を見つけた」
この地に魔王城があったことは知っている。
だが、魔王がこの地で竜の卵を見つけたとは知らなかった。
「魔王は膨大な魔力を用いて、卵を孵し、そしてこの地で竜を育てた」
そういえば、古文書に描かれていた魔王の絵には、竜に跨る姿があったな。
あれは魔王が竜と共に暮らしていたことを示していたのか。
「魔王誕生から三百年程経ち、魔王は人間の勇者に敗れた。残った魔族の残党も人間に殲滅されたけれど、魔王城で飼われていた竜は、それを免れた」
魔王を倒して疲弊していた勇者は、竜との戦闘を避けた、ということだろか。
「その中には、既に魔族と交わって人型を取れるようになっていた竜人族がいた。そしてその後五百年という時間を、この雪山で生き延びて来た」
「……つまり、竜人族は魔王によって育まれたってこと? 魔王を倒した人間を恨んではいないの?」
「人間を恨んだりはしていないわ。魔王は竜の卵を孵してくれたけど、それはあくまでも兵器として利用するためで、竜に尊厳はなかった。悪戯に魔族と交配させたりね……その魔王を倒し、私達を解放したのは間違いなく人間の勇者よ。勇者は、竜の中に知性がある個体がいる事にも気付いて、竜が人里を襲わない限り人間から攻撃することはないって、不可侵条約を提案してくれたのよ……口約束だったけど、それはずっと守られてきたの」
なるほど、それで竜たちは基本的にこの北の僻地に棲み、人里に降りて来ることはほとんどなかったのか。
強大な力を持つ竜が、何故雪深い山に棲み降りてこないのか、ずっと不思議に思っていた。
妙に納得していると、族長は空を見上げてから、何かを噛み締めるように瞑目した。
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