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漆:神官長

 クロヴィス皇太子殿下の転移魔術によって神殿に戻った瞬間、私は息を呑んだ。


 神殿内に黒い靄が漂っていたのだ。


「黒い靄!」

「これは一体……」


 殿下もジャンにも、この靄が見えているらしい。


「禍々しいな……神殿には結界が張ってあるはずじゃなかったのか?」

「勿論、ゴーチエ様が最強の結界魔術を施していらっしゃるはず……」


 剣呑に目を眇める殿下と、その隣で愕然とするジャン。


「これはどう見ても、結界は機能してなさそうね」


 言いながら、私はこの靄が濃くなっている方へ向かって歩き出した。

 靄が最も濃い場所、即ち、靄が発生している場所だ。


「……大聖堂から漏れて来ている……?」


 神殿内の最も神聖な場所であるはずの大聖堂から、穢れの象徴ともいえる黒い靄が出て来ているとなれば一大事だ。


 神聖な場所には、僅かな穢れさえもあってはならないのだから。


「馬鹿な……!」


 ジャンの足が速まる。

 私達は急いで大聖堂へ向かった。


 木彫りの扉の前に立ち、殿下と顔を見合わせる。


「開けるぞ」

「ええ」

「扉は私が開けます」


 ジャンが一歩前に出て扉に手を掛けた。

 私は、扉を開けた瞬間に何が襲ってきても良いように身構える。


「っ!」


 扉が開き、見えた光景に絶句する。


 神殿内にいたはずの私以外の女が、全員そこにいた。

 それも、全員娼婦のようなスリップ姿で。


 その中心、祭壇に座しているのがゴーチエ神官長だ。


 祭壇の一番上には、神の化身とされている太陽の彫刻が鎮座している。

 その足元である階段状の祭壇は、普段は花が飾られ、神官見習いが最初に「踏んではならない」と教え込まれる、神殿内でも特に神聖な場所。

 その祭壇に座るなんて、神官長という立場からは考えられない行為だ。


「どういう、事だ……?」


 殿下が狼狽した様子で呟く。

 私達の登場に、ゴーチエだけが視線を上げた。他の女性達はこちらに見向きもしない。


「あぁん、ゴーチエ様ぁ」


 甘ったるい声色で神官長の名を呼び、彼の身体にしなだれ掛かっているのは、彼の愛人と噂のあったアネット大神官だ。

 四十歳とは思えぬ美しさとスタイルで、ゴーチエに擦り寄っている。


 ゴーチエは、彼女の腰から尻にかけてを、いやらしい手つきで撫で回しながら、その反対にいるクラリスの顎を指でなぞっている。


 そして、他の神官見習い達も皆、恍惚とした表情でゴーチエの足や背中にべったりと張り付いている。

 一様にして、皆目の焦点が合っていない事から、ゴーチエに操られているのだと察せられる。

 

「……ゴーチエ様、これは、一体……」


 ジャンが動揺が隠せない様子で尋ねる。

 ゴーチエは、グレーの瞳をすっと細めた。


「私は神官長にして最高神官だ。此処では私こそがルール。私がやりたいようにやる。文句があるかね?」

「で、ですが、これは……」


 ジャンは顔を赤らめている。純朴で常識人な彼には刺激が強すぎる光景らしい。


 私はというと、前世の殺し屋時代に散々腐った人間を見てきているので、この光景に驚きはしたものの、どうということもない。

 ただただ、自分でもわかるくらいゴミを見るような目でゴーチエを見る。


 と、私の視線に気が付いたらしいゴーチエが、不愉快そうに眉を寄せた。


「なんだその目は」

「別に。腐ってると思っただけよ」


 私の呟きに、ゴーチエは「生意気な」と吐き捨てた。


「だが、まぁ良い。まもなく皇帝は死に、この帝国は私が支配することになる。お前は私がこの国を支配するための傀儡かいらいになるのだからな」


 勝ち誇ったような顔で嗤うゴーチエに、私はやれやれと大袈裟に溜め息を吐いてやった。


「皇帝は死なないし、アンタは此処で終わるから、この帝国を支配することなんてできないわよ」


 私の言葉に、ゴーチエは不愉快そうに眉を顰める。


「何だと?」

「アンタが皇帝を呪ったことはわかってる。でも、あの呪いなら私が浄化したから、皇帝は死なない。浄化によって呪いが消えたことに、まだ気付いてなかったの?」


 敢えて挑発的な言葉遣いで言い放つと、ゴーチエははっと目を瞠った。


「そんな、まさか……!」


 ゴーチエが油断したところで、私は足をダン、と踏み鳴らした。


 刹那、私を中心に、清浄な魔力が渦を巻きながら広がっていく。


浄化魔術プルガティオ!」


 呪文に呼応して、渦を巻いていた魔力が一気に膨張し、その場にいた全員を包み込んだ。


 足を踏み鳴らすことで魔力を放出するなど、以前の私ならできなかっただろう。

 どういう訳か、それがごく自然なことのように、身体が動いた。

 前世は魔術など存在しない世界だった。前世の記憶のどこにも、魔術の使い方などない。

 強いて言うなら、前世の私の特殊能力は、いかなる武器も初見で使いこなすことができる、というものだった。それが、魔術に対しても適用されたのかもしれない。


 そんなことをぼんやりと考えているうちに、ゴーチエを取り巻いていた女達が皆気を失って倒れた。


 ゴーチエはというと、胸元を押さえて苦しんでいるようだが、意識は保っているようだ。


「ぐっ……なかなかの浄化魔術だが、私が長年取り込み続けた穢れを一掃するには弱いようだな!」

「ああ、そういうことだったのね」


 彼の一言で、全てが腑に落ちた。


 完璧な浄化魔術は聖女でしか使えない。

 聖女に次ぐ神官長でさえも、高度な浄化魔術は使えても完璧ではないのだ。


 完璧ではない浄化魔術で穢れを祓う場合、祓いきれない穢れはそのまま残る。

 そのままにできない場合は、その身に取り込む事によって時間をかけて浄化する事ができるとされている。

 但し、穢れを取り込む事は相応のリスクを伴う。そのため、神殿では穢れを取り込む事は原則禁止されていたはずだ。


「ゴーチエ様、まさか、穢れを取り込んでいたのですか!」


 ジャンが悲痛に叫ぶ。

 ゴーチエは、凄絶に嗤った。


「ああ、そうとも。お前達能無しの神官共の尻拭いのため、祓いきれない穢れをこの身に受け続けてきたのだ」

「何故そのような事を……! 穢れを取り込む事は禁忌とされていると、貴方様が一番よくご存知だったはず……!」


 ジャンの声が震えている。

 私は深々と溜め息を吐いた。


「憶測だけど、見栄のためじゃない? 彼は史上最年少で神官長となった逸材。だからこそ、馬鹿にされないために偉業を成し遂げる必要があった。そのために必要以上に浄化に拘り、祓いきれない分は、名誉を守るためにその身に取り込んで隠滅した……違う?」


 私が言い終えるのと、ゴーチエが立ち上がったのは同時だった。


 彼が諸手を挙げた瞬間、彼の身体から、これまでに見たことがない程の、強大な黒い靄が噴き出した。

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